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0115_先週の講壇_ヨハネ による 福音書 15 章 18 27 節「 助け主であり真理の霊である御聖霊なる神様」

牧師 松矢龍造

ここで「世」と言われているのは、この世に暮らす人々のことであり、彼らを支配しようと

する悪の勢力のことです。この世が、キリストを信じ従う人たちを憎むなら、その前にキリスト

ご自身を憎んでいたことを覚えなさいと言われています。キリストとキリスト教徒の一体性が暗に語られており、キリストを憎む人がいればクリスチャンをも憎むということです。人が悪の勢力に属しているなら、悪の勢力たちは、その人を身内として愛します。しかし世に属さないなら、世は、その人を憎んできます。主キリストが、弟子たちを選び任命されたことによって、弟子たちは、もはやこの世に属さない者たちとなっています。

しかし人間の拒絶にもかかわらず、キリストに対する証言が途絶えることはありません。それは助け主である御聖霊なる神様が、その証言を担ってくださるからです。弁護者と訳されている原文のギリシア語は、「助け主」とも訳せる言葉です。もともとの意味は、傍らに助けるために呼び寄せられて来た者ということです。ですから力強い味方、肩を持ってくれる者、同情を持って弁明してくれる人、弁護人、執り成し人です。この助け主は、私たちの罪を断罪しようとする悪魔に対して、私たち罪人の側に立って、弁護してくださるお方です。イエス様が、地上に来られた時は、助け主でしたが、十字架に着けられ、復活され、天に昇られた後には、御聖霊なる神様が遣わされ、私たちの助け主となってくださいます。力ある証をすることが出来るのは、御聖霊様の力を頂くことによってです。証の主体は、御聖霊なる神様です。ですから、祈りの力、祈って御聖霊なる神様から力を頂くことが、イエス様の弟子である私たちにとって、必要不可欠なものです。主イエス様との交わりをなし、また真理の御霊様を体験したなら、私たちもまた同じくイエス様を証しする使命が託されています。時に私たちの周りには、下品な言葉を使い、肉欲に陥る人、あるいは洗練されてはいますが 、自分の為にだけ生きる人々が、世の人としています。

これに対して、キリストに結ばれて、キリストのようになればなるほど、キリストの苦しみに預かるようになります。御聖霊によって、導かれた生活の証は、キリスト教の弁証論よりもずっと重要です。クリスチャンが聖い生活をするなら、無言に彼らは、咎められたと受け留めます。

すると憎んできます。主の御名に忠誠を尽くそうと、すればするほど、主イエス様と同様に、世から必ず迫害と敵意に会います。そのことを覚悟しなければな りません。ならば弁護者にして 助け主にして、真理なるイエス様の霊である御聖霊に絶えず、祈り求めましょう。

御聖霊なる神様は、栄光の主イエス様に、罪人と聖徒の心を、向けさせてくださいます。絶えず、御聖霊なる神様を歓迎し、助けと力と満たしを求め、その導きに従って行きませんか。

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