0209先週の講壇-コリントの 信徒への手紙一 4 章 1-5 節 「 神様の秘められた計画の管理者 」
- CPC K
- 3月22日
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この世では、頭の良さや知恵や知識のある人、富や成功を、 高く 評価し賞賛が与えられます。しかし神の国では、神様の御心に忠実に従ったかが評価され賞賛が与えられます。そして忠実とは、その人が信用できる人だと証明することでもあります。神の国では才能や学識よりも、イエス様に忠実であることが弟子としての第一条件です。
その際に、私たちが忠実に生きようとすればするほど、悪魔との戦いが大きくなります。イエス様に忠実でなく、ほどほどならば、それほど悪魔の誘惑や攻撃は強くないでしょう。ですが神様に忠実になり、敬虔深く、信心深く生きれば生きるほど、迫害に遭います。
信心深く、忠実に歩む為には、肉の力や、自分の力だけでは無理です。祈り、ご聖霊の力に誰もが預かる必要があります。
キリスト者は、この神様の秘められた計画の管理者です。管理者とは所有者ではありません。所有者でなく管理者ならば、誰も自分が所有者と誇ることは出来ません。自分のものではなく、所有者である主人の為に、忠実に用いることが期待されます。しかも管理者として忠実に職務を果たすということは、ただ言われたことを実行するだけでなく、そこに秘められた意味や目的を正しく汲み取り、委ねられたものを生かして行くことです。キリストの福音を委ねられたキリスト者また教会は、他の使徒パウロの言葉では、和解の福音を委ねられた者たちであると言われています。イスラエルとハマスの停戦合意の話し合いが進んでいると報道されています。段階的に和解が進んで行くとなっていますが、実現するように私たちは祈り続ける必要があります。また日本にもユダヤ人にも、民族的な救いが興るようにも、祈り続ける必要があります。そして和解の福音が、身近な所からも広げられるよう、仕えることも神の国の奥儀であるキリストの福音を委ねられた私たちの使命でもあります。世の人も、信者も、自分自身も、不完全な者です。全知全能全聖全義なる神様だけが真の審判者です。ここで信仰的な教訓を確認しましょう。第一に、神様の裁きを免れる人は誰もいないということです。第二に、裁きは神様のものであり、神様だけが真に人を裁きうるということです。第三に、私たち人間は、人を裁いてはならないということです。そして第四に、忠実な僕は、誉を受けるということです。
最後に、神の国の奥義であるキリストの福音に忠実である際に、心の動機も問われることも 確認しておきたいです。働きをなしても、その動機が、見栄や自己顕示欲のためになされ たなら、天での報いを受けることは出来ません。神様に愛されている皆さん、私たちも、神様の秘められた計画を委ねられた一人ひとりとして、忠実な管理者として、ご聖霊によって、お仕えして行きませんか。
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