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0320_ヨハネによる福音書5 章19~30 節「神の御子イエス様の裁きと命の権威」

牧師 松矢龍造


イエス様は、よくご自身のことを「人の子」と言われました。その意味は、神でありながら人となられたということ。また霊である神が肉体をとって現れた神であるということ。そして天と地との仲介者であるということです。

今日の御言葉において、父なる神様と御子なる神様の意志と行いにおける緊密な関係が示されています。イエス様は、父なる神様の御心を行う者であることで、父なる神様と御子の一体的な関係を受け留めてこられました。そして命を与えることと裁くことにおいて、父なる神と御子との一体性が語られています。さらに御子の命を与える権能も、さばく権能も共に父なる神様に由来して、御子に一切を任せておられます。御子なるイエス様を退けて、父なる神様を敬うことは出来ません。父なる神様を敬うなら御子イエス様を敬うでしょう。逆に御子イエス様を敬わないなら、御子を遣わされた父なる神様も敬わないことになります。ヨハネによる福音書において「聞く者」と出てくる時は、単にイエス様の言葉を聞くだけでなく、イエス様を受け入れ信じ従うことを意味しています。また永遠の命とは、イエス・キリストを救い主として受け入れる時に始まります。そして御子は、御自身を信じ受け入れる者に霊の命を与えます。「生きる」と訳された言葉は、神様との関係において霊的に生きるということです。また神様の栄光を表し、御心を行い神様を讃美し神様と人を愛する生活をすることです。そして永遠の命を頂いて、永遠に生きるということです。創造主なる神様は、命の源です。また私たちの内にある命は、神様からの賜物です。そして永遠の命は、御子の内にあり、御子イエス様を信じる者の内にあります。死者は復活して、ある者はイエス様の御言葉を聴き信じて受け入れ、従って永遠の命を受けます。また悪を行い、悔い改めず御子を信じない者は、復活して裁きを受けます。私たち人類は、終末の時に、死者の復活と、全人類に対するさばきを、驚くべきこととして見るようになるでしょう。イエス様は、御自身を信じる者と教会に、二つの権能を委ねておられます。一つは、神の御子イエス様による救い、すなわち福音を宣べ伝える宣教の権能です。そしてもう一つは、御子を信じ受け入れた者に、洗礼と聖餐式に預からせて「子よ、あなたの罪はイエス様によって赦された」と宣言する権能です。そしてイエス様を受け入れ信じ従う者たちは、父なる神様をあがめ御父の

望まれるように生きます。またイエス様なら、どのようになされるだろかと日々思いつつ生きます。そして御聖霊の望みに生かされ永遠に生きる為に復活する希望を世に証しします。

イエス様は、さばきと命の権威を、父なる神様から任されています。そして私たちは、自分の罪を悔い改めて、主に立ち返り、主に聴き従う歩みを選ぶでしょうか。それとも、イエス様を退け、罪を悔い改めず、警告を何度も無視して、さばきと永遠の滅びを選ぶでしょうか。

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