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0327先週の講壇_エフェソの信徒への手紙5 章10 節「イエス様は御自身への精一杯の愛を喜ばれる」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2022年4月7日
  • 読了時間: 3分

牧師 松矢龍造


イエス様ご自身への愛と感謝と献身の思いとして、高価な香油を捧げた女性がいました。この女性がベタニヤに住んでいたマルタの妹のマリアと言われています。このマリアは、私たちの為に死なれる時が近づいているのを、イエス様のひざ元で教えを聞いていたことから、よく分からないながらも、直感していたのではないでしょうか。このマリアには弟のラザロを、よみがえらされて頂いた大きな感謝の思いがありました。また死んで葬られる準備として、香油を捧げる献身の思いがあったのではないでしょうか。当時香油と香草は死体の埋葬準備に用いられていました。そして私たちを愛して、私たちを罪と死とから救ってくださる為に、命を捧げてくださるイエス様に対する愛と礼拝行為として、高価な香油を、イエス様に捧げたのではないでしょうか。

この女性が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った斥候の壺を持って来て、それを壊し香油をイエス様の頭に注ぎかけました。そこにいた何人かが、意味も分からずに憤慨し咎めた中心人物は、イエス様を裏切り売るイスカリオテのユダでした。彼は貧しい人々たちへの気遣いからではなく貪欲に基づいたものでした。この時ユダは、一行の会計係りでしたが、その中からお金を盗んでいたのです。この女性が、貧しい人たちの為に捧げたら、自分がまたお金を盗むことが出来たという思いを隠しながら憤慨したのです。これに対してイエス様は、この女性の行為を高く評価されました。イエス様は、貧しい人たちを無視せよと言われたのでもなく、貧しい人たちへの無関心を正当化したのでもありません。貧しい人たちへの施しは、この後にいつでも出来ます。しかし十字架の死を目前とされていたイエス様です。このイエス様に、愛と感謝と献身を表すとしたら、この今の時しかないのです。まじかに死に直面されていたイエス様は、この女性の油注ぎによって励まれさたでしょう。そして油注ぎは救い主・メシアにふさわしいものでした。この女性の愛と感謝と献身が、どれほど主イエスを感動させ、どれほど後にイエス様に従う人々への模範となったことでしょうか。

主キリストを礼拝する真髄は、キリストを最大限に愛し尊敬し献身することです。そして私たちの最も大切なものを喜んでお捧げすることです。父なる神様は、私たちを愛して最も大切な神の御子を、私たちに捧げて下さいました。またイエス様は、私たちを極みまで愛して、私たちの罪の身代わりとなって十字架で苦しみ死なれることをよしとして捧げて下さいました。この愛に応えて、私たち一人ひとりもイエス様への精一杯の愛を捧げるなら、イエス様は喜んでくださいます。今私たち一人一人が何を捧げることが主イエス様に喜ばれることなのか、考え吟味出来ますように。ご聖霊様の導きに従い、これを捧げる愛と力を頂いて、祈りつつ実行出来してゆきませんか。主イエス様は全てを捧げられました。ならば私はイエス様に何を捧げたでしょうか。

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