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0417先週の講壇_ヨハネによる福音書6 章14~21 節「宇宙を創造された神の御子イエス様」

牧師 松矢龍造


ガリラヤ湖は海抜マイナス200mのところにあり、すり鉢状になった地形から、しばしば嵐によって海面が荒れました。主イエス様は、その夜に嵐が起こることを知っておられましたが、あえて弟子たちを舟で行くことを許されました。その嵐を最高度に利用する力がご自身にあることを知っておられたからです。

民衆が求めていた預言者とは、ローマ帝国の支配から自分たちを解放してくれる預言者であり、地上の政治的軍事的な君主を待ち望んでいました。イエス様が、神の御子であるとか人が自分の罪を告白して、イエス様を救い主として受け入れるという思いがありませんでした。奇跡だけを求め、地上の王を求めて連れて行こうとする群衆からイエス様は退かれて、ひとりまた山に行かれました。主がこのように黙想し、父なる神様と交わるために誰にも煩わされない静かな時を持つことを必要とされたとすれば、私たちがそれを必要とするのは当然です。イエス様が湖の上を歩いて舟に近づいて来られました。この水面を歩く奇跡は、創造主なる神様が創造の時に水に命じられたこと。またモーセが紅海の海を分断してイスラエルの民を助けられた奇跡。そして再臨のキリストが雲に乗って再び来られる奇跡を、初代教会の人々は想起したことでしょう。イエス様は、私たちが遅れるように思えても必ず来てくださいます。しかも神様の時に一番ふさわしい時に来てくださいます。ここでイエス様が「わたしだ」と言われた原文の言葉は、「わたしはある」という意味です。モーセに言われた「わたしはある」と同じ言葉であり、わたしは万物を創造し、永遠に存在する神であるという意味です。ガリラヤ湖をも造られたお方が、その波を静めることができるのは当然のことです。キリストにお委ねするなら、どんな嵐の中でも平安が与えられます。復活されたイエス様は今でも、私たちの悩みの時の近き助けです。宇宙万物を創造され、永遠に存在し続けられるお方が私たち一人ひとりにも、「わたしだ。恐れることはない」と今も言ってくださいます。私たちの人生の嵐の中でも、主イエス様をお迎えしてこそ、目指すところに行き着くことが出来ます。主イエス様は、全宇宙を創造されたお方です。このお方は、私たちの罪のために十字架に着けられ、死にて葬られ陰府に降り三日目に復活される為にこの地上に来られました。そして世の終わりに、もう一度再臨されるお方です。そして御聖霊によって、世の終わりまで共にいてくださる、いと近き助けでもあります。このお方から、人生の嵐の中で「わたしだ、恐れることない」と励まされ、強められ、ご聖霊の力に預かって、主の栄光を目指して歩む人生となりませんか。

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