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0521先週の講壇_ヨハネによる福音書 20 章 11-18 節 「 復活された主イエス様に最初にあった人 」

牧師 松矢龍造


マグダラ出身のマリアは伝統的には娼婦であり、この女性に対して、 イエス様は七つの悪霊を追い出し赦し浄化されました。七つの悪霊とは、七は完全数の一つですから、完全に悪霊に取りつかれていて、人間の力では悪霊を追い出すことは不可能であったことを示しています。初代教会では、このマリアほどイエス様を信仰的に愛していた人は、いないと言われるほどでした。マリアは、多く赦されたので多く愛したのです。さらにマグダラのマリアは、イエス様の弟子たちと、もっとも親しい女性の弟子だったと考えられています。ある方は、このマリアを「使徒たちへ遣わされた使徒」とさえ呼んでいます。ペトロとヨハネは、空になった墓を見ると家に帰りました。けれどマグダラのマリアだけは、墓のそばに留まりました。それは、主イエス様に対する信仰的な愛の深さの故でしょう。マリアは、最初、復活されたイエス様だと分か りませんでした。 一つの理由は、まだ薄暗かったので分からなかった。二つ目に、 涙で見えなかった。さらに 三つ目に、 イエス様が死んでしまったという事実が余りにも強烈であったので、イエス様が復活されて姿を現すとは思いも及ばなかったからでもあります。さらに四つ目の理由として、神様が適切な時まで分かることを止められていたかもしれません。 いずれにせよ、肉の目では、栄光の体を、認識することが出来な かったということです。復活された イエス様が分かるためには、肉の目で見るのではなく、私たちの主の御言葉を聴くことによって、信じる信仰と霊の目で分かるのではないでしょうか。イエス様は今も私たちのそばに、ご聖霊によって、おられて、あなたの名前を呼んでおられます。マリアは、イエス様との関りがなければ、生きていけないと思っていたでしょう。イエス様がマリアを通して伝えて欲しいことは、イ エス様を見捨てて逃げた弟子たちを、なお「わたしの兄弟たち」と言ってくださるイエス様の愛です。また父なる神様を「私の父と」と言われていることに加えて「あなたがたの父である方」とも言われています。父なる神様も、イエス様を見捨て逃げたペトロたちに対して、なお「あなたがたの父である方」となって下さる。

この 父なる神様のご恩寵と恵みを伝えて欲しいと願われたのです。復活されたイエス様の事を、個人的なことに、止めておいてはなりません。イエス様を信じる者たちは、「あなたがたの父」と言われているように、霊的な養子ではありますが、神の子どもとされています。その恵みの中で、祝福の基、復活の証人、平和の使者として、ご聖霊の力を頂いて、用いられて行きませんか。

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