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0522_先週の講壇_ヨハネ福音書7 章1~13 節 「人の時でなく神様の時」

牧師 松矢龍造


神の御子イエス様の真のメシア性は、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり復活されることにおいて示されます。そしていつ十字架にかかり死にて葬られ三日目に復活されるかは、神様の時がありました。イエス様は、迫害や危険を恐れて、エルサレムのある南のユダヤ地方を巡らずに、北方のガリラヤ地方を巡ったのではありません。まだ十字架と復活の時が満ちていないので、この年の春から秋にかけて、ガリラヤを巡って宣教をされていました。ユダヤ三大祭の時には、エルサレムには、多くの人々が集まります。兄弟たちは、もし兄が政治的、軍事的メシアなら、そのメシア性を公にするように勧めました。主イエス様は、敬虔なるユダヤ人としては祭りへの参加は望まれました。ただし、兄弟たちと共に行って、公然と奇跡を起こすことの為に、今は上って行かないと言われたのです。後に別の目的を持っておられて、神の時にエルサレムに上られました。イエス様は、注目を集めないように、ひっそりと行動されました。イエス様には、奇跡や癒しのみを求めている群衆、政治的、軍事的、経済的なメシアを求めている群衆がいるのが分かっていました。そして奇跡によってのみ、人々を信じさせるのは危険だと分かっていました。

エルサレムで待ち受けていたのは、イエス様についての分かれる評価でした。イエス様を信じて、救いと平和を頂く者とイエス様を拒む者と、いつの時代にも分かれます。どうかイエス様への偏見や誤解や無知などがなく、イエス様を信じて心の中に迎え入れられる人々が、さらにこの街に、また私たちの隣人の中に、増して行くことになりますように。ユダヤ人の宗教指導者たちは、イエス様を公然と支持する者は、ユダヤ教から破門すると脅していたのでしょう。現在ロシア国内では、ウクライナ戦争は間違っている。プーチン大統領は間違っていると言う事は、時のロシア当局を恐れて公然と語ることが難しいです。同様に日本においても第二次世界大戦の時、戦争反対と言うと、非国民とレッテルを張られて、公然と語ることは出来ず、語れば投獄され、獄中死する人々も出ました。イエス様は、私たちがイエス様を、人の前でも認めるなら、イエス様も、天の父なる神様の御前で、認めてくださいます。公然と語る為には、使徒たち同様、ご聖霊の力に預かる必要があります。

私たちの信仰生活において、人の時ではなく神様の時に語り行うことが大切です。そして私たちは、神様の御心とご計画に従って、今の時を用いることが重要です。神様に愛されている皆さん、皆さんの今の時は、どのようなものでしょうか。主の御心に沿って、今の時を、神様の栄光の為に、神様と人への愛の為に、神様の時を弁えて、ご聖霊によって乗り越えてゆきませんか。

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