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0709_先週講壇_ヨハネによる福音書21章20-25節「イエス様とその愛する弟子 」

牧師 松矢龍造

ヨハネによる福音書の最後に来て、受け留めて来た者たちには、最終的に神様から問われています。「あなたは、イエス・キリストを神の子として信じるか否か」「あなたの決断はどちらなのか」。その決断によって、永遠の命か、永遠の滅びかが、決まってしまいます。

この福音書では、イエス様が、こよなく愛する弟子として 、ヨハネが 特筆されてきました 。 12弟子の中で、最も地上に長く留められた使徒でした。それはそれだけ長く迫害を受けて耐え忍びながら、神様の言葉を伝える使命がある為に、こよなく愛されることが必要だったのでしょう。

ペトロ は、 親しい中であるヨハネ がどなるのか、 心配半分、好奇心半分で 、イエス様に聞きました。

クリスチャンにおいて、弟子たちが失敗する原因の一つは、主ご自身よりも、お互いのことで頭がいっぱいになるためである場合が多いと言われます。ヨハネが、どんな死にかたをするのか。ヨハネにはどんな務めが与えられているのか。他の人のあり方がどのようであっても「あなたは、私に従うのか」。それが最も大切なことです。私たちも、父母や兄弟、友人や他の兄弟姉妹がどうなるのか、 気になるところです。しかし他の人のことより、先ず「あなた自身はどうなのか」。他の人の働きは置いておいて、先ずあくまで、「神の御国の為に忠実に私は務めます」

その覚悟がなくてはなりません。この後、ペトロは迫害などで試みられている人たちに対して、苦しむ者の使徒となるべく用いられて行きました。そしてペトロによる二つの手紙が後に記す務めとなって行きました。方やヨハネは、生ける教会に、黙示的な幻が与えられ、それを宣言するヨハネの黙示録を記してゆく務めとなってゆきました。その為にヨハネは、パトモス島に迫害によって数年間、流刑にされた後、エフェソに戻り、イエス様の母マリアを養いました。そして1世紀の終わり頃、そこで年老いて天に召されました。 使徒ヨハネは、沢山あります。

イエス様の言動についての教えの出来事を、記憶の中から選んで記されねばなりませんでした。そして、ご聖霊の霊感によって、ヨハネは、誤りなく、神の言葉が記される為に用いられました。

復活の証人を、世界中の人々は、待っています。そして信じた人たちの世話をするのは、今も私たち教会の務めです。私たち一人ひとりが、主イエス様と個人的に出会い、イエスから愛されていることを確信しましょう。そして教会で養われて、主が示される隣人に対して、私たちも、ご聖霊によって復活の証人とされて行きませんか。

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