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0716_先週講壇_サムエル記上 1 章 1 2 節 「 人間の移り変わりと不変の神様の真実 」

牧師 松矢龍造


サムエル記から、私たちが、おもに学び取れる信仰の内容は少なくても次の三つです。一つは、どのような人物が、神様に用いられ、どのような人物が退けられるのか。そのことが鮮明に描かれています。二つ目に、神様の御旨にかなう王や王国が、どのようなものであるかを伝えています。そして三つ目に、人間である王の有限と転変を記すことによって、不変の神様の真実や、神様の民に対する変わらない愛を伝えています。

サムエル記は、本来一つの書で したが 一つの巻物に納めるには長すぎるために上下に分けられました。上 には、 サムエルと、サウルと、ダビデという 3 人の人物の生涯がおもに語られています。 この 3 人が人間的な弱さを持っているにもかかわらず、いかにイスラエルを強力な国家に変えられて行く為に用いられたかに焦点が当てられています。私たちにとっては、私たちも弱さや欠けや醜さを持っているにもかかわらず、主が用いてくださって家庭や教会、社会や国や世界の為に用いて下さる。そのことに対する信仰的な示唆が与えられる書となっています。おも登場人物である エリにしても、サムエルやサウル、そしてダビデにおいても、神様に背く時、悲劇的な結果に直面しました。それは現代の私たちとて、同じです。背景としては、紀元前BC 1080 年から 970 年、つまりサムエルの誕生から、ダビデの死までの 1 世紀余りの期間のことが記されています。これに先立つ、士師記の時代は、イスラエルが約束の地であるカナンを征服した後、無法状態に陥っていたことが記されています。こうしたイスラエルの内乱に加え、当時は、イスラエルのすぐ西側の地中海沿岸にすむ好戦的なペリシテ人の軍事的な脅威に常にさらされていました。現在は、イスラエル人とガザ地区に住むパレスチナ人との抗争が続いていますが、このガザ地区がペリシテ人の中心的な土地でした。背信を続けていたイスラエルに対して、あえて主は、懲らしめの為に、敵の攻撃を許されました。私たちも、もし人間関係でトラブルをかかえた時、まずその人とのことの前に、自分自身が神様との関係において、トラブルを抱えていないか。神様と自分自身の関係が、不調和なら、それが人間との関係で、不調和となっていないか、吟味が必要です。エフライムに住む、レビ族の流れにあるエルカナには、二人の妻がいました。

神様の御心は、最初から一夫一婦制です。この原則が破られる時、必ず家庭は乱れます。神様が評価されることは、私たちの従順です。世のあり方や自分の肉の願望ではありません。

そして私たちの人生における困難な状況や、待つ時間は、しばしば私たちを洗練し信仰的に教育し、神様が後に、私たちに課す責任や使命に対して備えさせます。あたなも、神様が最も喜ばれることは、主の御心に聴き従うことであると受け留めて、ご聖霊の助けを祈り求めて、主に聴き従って行きませんか。

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