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0813_先週講壇_箴言15 章11~9 節 「癒しをもたら舌」

牧師 松矢龍造


私たちは、物心つく頃から言葉で表現してゆきます。良い言葉を多く聴くなら、良い言葉が多くなり、悪い言葉を多く聴けば、悪い言葉を語りやすくなります。一切悪い言葉を語ることがない人はいません。それは人類が堕落していることの表われでしょう。喧嘩や口論は、しかける者と、しかけられる者がいて、両方の同意なしには出来ません。しかけられた者が、とりあげて相手にしなければ案外たやすく喧嘩や口論を避けることが出来ます。けれど、私たちは、どんなに激しい非難や侮辱や高慢な独り善がりの言葉をかけられても、いつも穏やかに答え、平和な返事が出来るでしょうか。ある方が言われていました。「一度や二度、人間的な計算から、『まあまあ』と柔らかく出ることができても、『常に心から』というわけにはいきません。激しい言葉には激しい言葉を返さないと、損をしたように思ってしまいます。」主が先ず、私に対して、忍耐の限りを尽くし、主イエス様の十字架の慈しみをもって、接してくださっています。さらに神様から、人知に勝る平安を頂き、柔和の賜物を頂くことです。イエス様は「平和をつくり出す者は、幸いである」と言われました。

私たちが、どんな言動をしたか主は全てを見ておられます。愚か者や悪人は、その言動を隠しておくことは出来ません。創造主なる神様は、全知全能の神様です。私たちと人間の絶えざる監視者でもあります。そんな中で、自分の弱さ罪深さを感じる心となって、謙遜な心で主の御前に出るなら、私たちの心は砕かれるのではないでしょうか。

穏やかに優しく語りかけることを通して、心が健康になり、癒されて行きます。しかし「よこしまな」言葉なら、すなわち偽り、不平で、乱暴な言葉は心を砕きます。私たちの言葉や舌は、心から出てきます。ですから、心の中に先ず神の言なるキリストを入れることです。さらに、ご聖霊によって祈り神様との会話の中で、傷んだ心がイエス様の十字架の愛と復活の力で包まれることです。そして主から、語るべき真理と愛の言葉を頂くことです。

正しい人とは、神様を正しいと認める人であり、神様の正しさが実現することを心から期待する人のことです。主の恵みと愛に包まれて、主の正しい言葉を受け留め、正しいことを語ることが出来ますように。これに対して、愚か者や、悪者とは、神様を度外視し、問題にしないで、自分中心、自分の欲望中心だけに生きる人のことです。旧約時代のアカンという人の貪りの罪に対する神様の裁きを思います。あなたも、主の御前に、心貧しくなり、心砕かれ、ご聖霊によって愛をもって真理を語る者とされて行きませんか。

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