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0821_先週の講壇_ヨハネによる福音書 9 章 13 23 節 「 霊の目を開けてくださるお方 」

牧師 松矢龍造


イエス様が 、 生まれながら目が見えない人に対して、 土をこねて目を開けられたのは安息日のことでした。父なる神様が、安息日には仕事を休んで、礼拝を捧げよと言われた際に、神様が決して、憐れみや思いやりの行為まで禁ずるために、安息日を定めたわけではありません。ですから、イエス様が、安息日において生まれつき目が不自由な人を癒されたことは、むしろ安息日において、神様の祝福と聖別を頂く日として、ふさわしいと言えます。にもかかわらず、律法の表面的なことだけを理由に、ファリサイ派の一部の人々は、盲人を癒した時、イエス様は、安息日規定に違反したと非難したのです。

ここで目を開けて頂いた人が「あの方は預言者です」と言いました。 旧約時代、預言者エリヤやエリシャは、主にあって奇跡を行ったので、イエス様の奇跡を見聞きした人々は、旧約の成就を連想していたでしょう。そしてこれらの預言者は、時として、将来についての幻を見て語ったり、あるいは身の周りに起こる出来事を観察して、神様の啓示の言葉を伝えたりしました。目が開かれた人は、霊的な目も開かれ始め 、奇跡をなしたイエス様が、預言者の再来 と見ました。今日の御言葉に登場する四者は、まさにイエス様が、言われた四つの心の土壌に蒔かれた神の種のたとえに当てはまります。ファリサイ派の一部の人は、証拠よりも妬みにかられて、イエス様が語られた言葉が、悪魔によって取り去られ、何も心に入ってきません。二つ目は、ファリサイ派の一部の人は、「どうして罪のある人間が、こんなしるしや奇跡を行うことができるだろうか」と心を一時開き始めましたが、 岩地のように根がないので、すぐに枯れてしまいました。三つ目の人は、目が開かれた両親のように、信仰の目が出始めましたが、いばらに塞がれて成長しないように、ユダヤ当局から脅されると、口をつぐんで、それ以上に、信仰が成長しませんでした。四つ目の良く耕された土壌のような心は、イエス様から目を開けて頂いた人のように、脅されても、はっきりとイエス様について証言してゆきました。私たちの心は、この四つ 目の心のようでしょうか。

日本の国は、8月は特に戦争と平和を覚えて平和を祈り求める大切な時です。明日は終戦記念日です。ロシアのウクライナ侵攻が続いています。その陰でミャンマーやアフガニスタンでは、国民への弾圧が続いています。そして日本の政治家が、異端でありトラブルを起こし続けている団体との癒着が明るみに出ています。真実に、神様と人との平和は、神の御子キリストからのみきます。主の平和が、私たち自身に、また隣人の中に、霊的な目が開かれて、浸透してゆくことになりますように。ご聖霊の力を求め、あなたも置かれた場所で、祈りと愛と証しに生かされ、生きてゆきませんか。

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