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0904先週の講壇_ヨハネによる福音書 9 章 35-10 章 6 節 「 真の救い主の声を聴き分ける」

牧師 松矢龍造


生まれながら目が見えなかった人が、肉眼の目も、霊的にも信仰的にも目が開かれてゆきました。そしてイエス様のことを証言したことによってユダヤ当局から破門されてしまいした。するとイエス様は、その人が追い出されたと聞くや主イエス様ご自身が彼を歓迎されました。私達ももしイエス様を告白して迫害されるなら、主イエス様ご自身が私たちを歓迎してくださいます。

続いて、肉眼の癒しに加えて、魂の癒しを与えるべく、イエス様は彼に問いました。「あなたは人となられた神の御子・救い主を信じますか。」

彼は、イエス様を、 神の御子・救い主として礼拝の姿勢で信仰告白をしました。

神の御子キリストは、救いの為に来られましたが、キリストを拒むなら、神のさばきは避けられない結果となります。キリストの福音が語られると、 自分が霊的に盲目であると認めて目が見えるようになる人々と、もう一つは、主イエス様なしで、完璧に見えると主張する人々に分かれます。もし後者なら、霊的な目は閉じたままで、救いがたいものとなり、それが結果的に、さばきとなってしまいます。目が見えると思っていたファリサイ派の人々は、かえって霊魂上の盲目であることが発見される場合となってしまいました。見えると自分を誇る。それこそ盲目の証拠となります。誰でも、霊的傲慢、頑固と愚かさに陥るなら、霊的な盲目に陥ってしまいます。

羊の囲いとは、神の国や教会をたとえています。また羊や羊の群れは、神の民の象徴です。イスラエルでは、羊を夜中に安全に守る為に柵で囲んだ場所に入れておきます。羊の囲いの中に入る者を決めるのは門番です。門番は時に羊飼いが兼ねる場合もあります。羊飼いは、朝になると羊の名を呼んで連れ出し、夕方になりますと囲いに羊を入れる時に頭数を数えます。この門番のいる門だけが、囲いの中に入る唯一の門です。良い羊飼いはキリストであり、門番はご聖霊なる神様とも言えます。目が癒された人は、キリストの声を知っていてファリサイ派の人々の声にはついてきませんでした。主イエス様は、神の救いの門です。御自身を、羊飼いと信じる者を囲いの中に入らせ、悪魔から守られます。そしてイエス様は、父なる神様に近づく唯一の道です。

イエス様は、私たちが霊的に盲目でも真理なるキリストを受け入れるなら、罪人でないと言われます。しかし律法に基づくことを理解しているとファリサイ派の人々は主張していますが、イエス様を信じない人々は、罪人であるとイエス様は言われます。その違いは、救い主イエス様の御声を、ご聖霊の助けを頂いて聴き分けることです。その為には日々本物の主の声を、聖書を通して、ご聖霊によって聴き続けることです。日々の黙想また祈祷会や小グループで、そして毎主日礼拝ごとに、神様の御言葉を聴き続けてゆきませんか。そして聴くだけでなく、信じ、聴き従って、救いと平安、神様の栄光と、愛の実を結んで行きませんか。

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