0926先週_ヨハネの黙示録21 章5~8 節「命の水の泉と、火と硫黄の燃える池」
- CPC K
- 2021年9月23日
- 読了時間: 3分
牧師 松矢龍造
イエス・キリストは、創造者であり、始まりと終わりを司っておられ、その間にある全てのものも支配されているお方です。神様の言葉が信頼でき、真実なのは、神様は偽りを語ることは決してなく常に真実なお方だからです。そして預言されたことを、主はことこどく成就されて来たので、信頼できる真実な言葉なのです。
渇いている者とは、神の御前で、自分の心の貧しさに気づいている者、また自分が惨めで裸
である者であることに気づいている者、そしてそれ故に救い主なるイエス様を求めて渇いている者のことです。さらに言えば、神様の義に飢え渇いている者のことです。渇いて、主イエス様を求める者には、命の水の泉から、値価なしに飲ませて頂けます。すなわち真の命であるキリストを求める、渇きを持つ者だけに与えられます。価なしであるのは、キリストの十字架で私たちの罪の代価を完全に支払ってくださったからです。このキリストの命の水を飲む者は、その人の内に泉となって、永遠の命への水が湧き出ます。
受け継ぐとは、相続のことです。相続において、最も重要なことは、子として扱われる身分
のことです。相続は、子としての身分に扱われる者にだけが預かることができるからです。キリストを信じる者には、神の子とされる特権が与えられます。神の子とされる為には、神様の約束が必要であり、またキリストによります。さらに神様の恵みと、私たちの信仰によってです。しかし逆に、火と硫黄の燃える池に投げ込まれるという第二の死を迎える者たちがいます。
八つの不幸なことが記されています。ここに挙げられています8 種類の罪を犯したことのある者が、すべて新天新地に入れないということではありません。それであったなら、誰も新天新地に入れないでしょう。悔い改めて、主イエス様を信じる者であるなら、命の水の泉から、価なしに飲ませて頂き、新天新地に入れて頂けます。しかし悔い改めず、こうした悪に根強く固執する者たちは、火と硫黄の燃える池に、投げ込まれます。燃える火は、真の主なる神様を否定する人々に対する神様の裁きを表現するものです。加えて第二の死とは、第一の死が肉体の死のことであるのに対して、第二の死は、霊的に死んだままの状態であり、永遠の苦痛または、破滅を意味します。どちらにしても、神様からの永遠の分離のことです。
人生の苦難や迫害などの時に、大胆さと勇気を持つためには、ご聖霊に満たされることが必
要です。またどんな圧力やプレッシャーに直面しようと、正しい行いが出来るように勇気と力を、父なる神様に祈ることが大切です。そして悪い者たちからの試練に耐えて、忠実であり続ける者には、主イエス様から天での報いが与えられます。無力さを常に忘れず、父・子・御霊様に拠り頼んで、命の水の泉から価なしに飲ませて頂ける、恵みの証人とされませんか。

コメント