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1009先週の講壇_ヨハネによる福音書11章45~57節「人間の計画を超える神様の深い意図」

牧師 松矢龍造


創造主なる神様であり、救い主である神様のご計画と意図は、実に深く、人間の思いをはるかに超えています。約2000年前にユダヤ人指導者たちは、神の御子イエス様を殺す計画を企みました。しかし父なる神様の御心と、イエス様ご意志は人間の思惑や妬み、殺意と憎悪を超えて、十字架に向かうことでした。

ラザロのよみがえりを通して、ユダヤ人の多くがイエス様を信じたことを通して、ユダヤ人の指導者たちは二つの恐れと不安を覚えました。一つは、多くの人々がイエス様とその教えを信じ始めると、指導者たちの権威が失墜することへと妬みと恐れです。そしてもう一つは、イエス様が、イエス様に従う者たちをローマ帝国に対して蜂起させ、ローマ帝国がイスラエルの国と神殿を破壊することになるという誤解した不安と恐れです。

すると、ユダヤ人指導者たちは、ユダヤ最高法院会議を開きます。その年の大祭司カイアファの言葉は、先ずイエス様を殺そうとする人間の計画を語る一方で、大祭司の口を通してイエス様の死が特別な意味を持っていることを暗示しています。また大祭司カイアファは、自分が何を語っているか、全部のことを理解していなかったとしても、イエス様の死を説明する為に、神様によって用いられていたことや、自分たちの利益の為を思っての発言ですが、神様の深いご計画があることが預言として語られることになりました。しかもイエス様の死が持つ救済的な意味が、ユダヤ民族を越えて異邦人にも及ぶことが付け加えられています。イエス様の十字架の死は、過ぎ越しの祭りの時なので、その時が満ちるまで、公然と歩かずエフライムの町で弟子たちと滞在されました。過ぎ越しの祭りは、身を清める祭りです。ユダヤ人指導者たちは、自分を清めとしていた一方で過ぎ越しの小羊なるキリスを殺害しようと企てていました。人間の心の悪を、恐ろしいほどまでに暴露しているという他ありません。大祭司カイアファの語った預言は後に至りて実現します。本当の神様の意図を知らずして、彼は預言しました。しかし彼の意に反して、神様の本当の意味が一緒に語られていました。イエス様は万民に代わって十字架で死なれることになりました。けれども、カイアファの言ったこととは違い、ユダヤ人たちは、かえって間もなく、ローマ人によって、けちらされました。そしてADの70年に、エルサレムと神殿が、ローマ人によって破壊されます。それはユダヤ人が、主を受け入れた為ではなく、主を拒んだ故であることを忘れてはなりません。

人間の計画や企てを超える、神様の深い意図と救済のみ旨と聖定を覚えます。神様の栄光と、神様と人への愛の為に、神様の御心に沿った計画や言動や仕事を、ご聖霊様の助けを祈りながら行ってゆきませんか。

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