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1107先週の講壇_ヨハネによる福音書1 章6~13 節「真の光なるキリストへの道備え」

牧師 松矢龍造


バプテスマのヨハネは、12 使徒のヨハネとは別の人物です。旧約聖書最後の預言者とも言わ

れています。このヨハネは奇跡をすることはありませんでしたが、彼がキリストに対して伝えた証しは全て真実でした。月は太陽の光を受けて輝きます。同じように義の太陽なるキリストが、真の光であって、その光を受けてヨハネも私たちクリスチャンたちも輝きます。私たちは、光そのものではありませんが、キリストの光を受けてキリストを反映し真の光なるキリストに人々を向かわせるべきです。私たちは、キリストの光を受けて、キリストを心の中に迎え入れますと、私たちの態度や願望、動機や生き方が変えられてゆきます。それはキリストを指し示す証しの生活となります。

まことの光であるキリストは、まじりけのない、完全な、不変の光です。またイエス様の光

は、一時代、一地方、一民族、一階級の光ではありません。あまねく各時代の全人類を照らす、まことの光です。加えてイエス様は、世の光として、私たちに神様への道を教えてくださいます。そして神様への道を、どのように歩けばよいのかを示してくださいます。しかしこの世には、この光に照らされることを拒む人たちがいます。この光は、私達人間の罪を露わにする光でもあるからです。それはイエス様以外の人間が、どれほど不完全であるかを示されます。世を創造された創造者なるキリストが、来られたのに、この世は言なるキリストを認めませんでした。すなわちキリストを創造者なる神の御子と認めず、よそ者のように、邪魔者のようにして扱いました。しかし、どの時代の世の民であってもキリストを信じキリストの言葉を受け入れる者は、神の子となる資格が与えられました。不完全な自分であることを気づき悟り、光なるキリストを受け入れ、その名を信じることによって、神の子とされます。イエス・キリストを、人生の主として喜んで迎える人々は皆、神様から新しい命を受けて、霊的に生まれ変わります。すると第一に、罪を犯し続けません。罪を告白し、悔い改めて、罪からご聖霊によって離れます。第二に、国籍、人種、肌の色に関わりなく、キリストの光を受けて輝きます。第三に、神の家族としての歩みをします。

十字架と復活のキリストは、私たちの存在を、あるがままで、そのままで愛して受け入れて

くださいます。ならばその愛を受けるなら、ご聖霊によって、心を尽くして神様を愛し、隣人の存在を、あるがままで、そのままで愛してゆく歩みがふさわしいです。真の光なるキリストの光と愛を受け入れ、信じて、神の子とされる恵みと福音を自分のもとされますように。そしてキリストの十字架の愛と、復活の力に預かり、ご聖霊によって、真の光なるキリストを証しする歩みとなりませんか。

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