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1204先週の講壇_ヨハネによる福音書14章1~14節「イエス様は天の父なる神様に至る道

牧師 松矢龍造


私たちの人生における道には、心を騒がせてしまうことが起こりえます。親しい人の死に直面したり、自分自身の死期が近づいて来たりした時、私たちは、心を騒がせるのではないでしょうか。イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から、地上を去られる日が近いことを聞かされて、心を騒がせ、動揺しました。最も必要なことは、父なる神様と御子イエス様に、信仰的、霊的に結びつき、信頼することです。「わたしの父の家」とは、天の御国・天国のことです。十字架にかけられて陰府に降り復活されたイエス様は、天に昇られ、天の御国に行かれました。そしてイエス様を信じる人たちと、父なる神様が共なる場所を、備えに行かれます。イエス様こそが、私たちが神の真理を学び、神と共にある命を見出すための道であると、言われています。そして父なる神様の御もとへ至る道であり、イエス様以外の道を通っては、父なる神様の御もとに行くことが出来ません。もっと言えば、イエス様は、永遠の命に至る門であり、神の御子・救い主なるイエス様に以外に、父なる神様の御もとに行く道は、他にありません。フィリポは、かつてシナイ山で、モーセが雷の中で、主と出会ったように、自分にもそのように示されるのではないかと思っていたかもしれません。しかしイエス様が示された父なる神様は、日常のキリストの姿の中に、父なる神様の本質を見るというものでした。イエス様の御名による祈りは、あたかも、イエス様ご自身が祈られたように聞かれるのです。ただし、神の目に喜ばれることのみを願う時に叶えられます。すなわち主イエス様の御思いと、ご意志に沿って願うときに叶えられます。そして大きな栄光が、父なる神様に帰されます。神の御心にかなう内容は、神様に栄光を帰し、人類の祝福となり、自分自身の霊的な益となることを求めることが少なくても言えます。さらに言えば、キリストの御名によって祈り求める為には、キリストとの親しい交わりの中に生きなければなりません。そうでなければ、主がどのような態度を取られるかが、分かりようがありません。主イエス様との霊的な距離が、近ければ近いほど私の願いが、主イエス様の願いと同じものになってゆきます。そして心から神様に従い、神様の御心を求めるなら、私達の願いが、神様の望んでおられることと一致し、神様は、それを叶えてくださいます。一言で言えば、主イエス様が求められることは何でも祈りなさい。そうすれば、祈りは叶えられます。

主イエス様こそ、道であり、真理であり、命です。主イエスのみが、父なる神様と、天の御国に至る道です。そしてイエス様の御名によって、主のみこころを祈るなら、父なる神様は、必ず実現してくださいます。全てを、主イエス様の御名によって、ご聖霊を求め、祈り、信じ、従ってゆきませんか。

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