1205先週の講壇_ヨハネによる福音書1 章29~34 節「世の罪を取り除く神の小羊なるキリスト」
- CPC K
- 2021年12月3日
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牧師 松矢龍造
滅びから免れて私たちが救いだされる出発点は、自分自身の罪を知ることと、その罪を救い
贖うキリストを知ることです。ヨハネは、イエス様を見て「世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました。「世の罪」と言ったのは、キリストの救いと贖罪は、一民族に限られたものではありません。世の全ての民族、すべての民の為の救いであることを先ず確認しています。次に「罪」とは、単数形が使われています。これは具体的な諸行為による罪というより、罪深い状態を念頭に置いています。そしてこの罪とは、人が創造主なる神様より離れ、神様に背いている霊的な状態のことであり、罪の基本姿勢のことを言っています。そしてそこから発する行為の全てを指しています。すなわち神様との不調和、自分自身との不調和、隣人との不調和、自然との不調和の全ての罪を含んでいます。
さらに、この世の罪を取り除く「神の小羊」と続きます。これは旧約聖書における小羊に関
して、二つのことが背景となっています。一つは、おのおの自分の思いによって散らばっていた神の民を一つに回復するために、屠り場に黙々と引かれて行く、受難の僕としての小羊のようだと言われています。さらにもう一つの背景は、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りにおいて、祭司によって屠られる小羊のことをも意味します。
ヨハネは、イエス様が来られる前に、イエス様を指し示したので、「わたしの後から一人の人が来られる」と言いました。しかしその方は、万物の創造主であるので、わたしよりも先におられ、わたしよりもまさると言ったのです。
ヨハネは、イエス様に洗礼を授けた時、ご聖霊が鳩のように降ったのを見て、この方こそ神の子であると証ししました。イエス様が洗礼を受けられたのは、第一に、イエス様こそが、イスラエルいや世の全ての民を治めるために、神様がご聖霊を注がれて選ばれた者であるということです。第二に、私たちの罪を贖い、きよめ、新しい命に、ご聖霊によって入らせて下さるお方です。第三に、創造主なる神様が、ご聖霊をイエス様に降らせたように、イエス様は、御自身を信じて従う者に、ご聖霊を降らせます。第四に、私たちに降って来た御聖霊は、私たちに生きる力と、イエス様による救いの教えを説く力を与えて下さいます。第五に、主が望んでおられることを行い、イエス・キリストのみに栄光を帰することに満足するなら、神様は私たちを通して、大いなることをなされるでしょう。
イエス様が世の罪を取り除く神の小羊と信じるなら、自分自身の罪が赦されることを知りま
す。さらに隣人の罪を赦す事を通して、罪の赦しを深く実感してゆきます。そして赦せない、あるいは罪責感に捕らわれている人たちに、キリストの赦しの恵みを証ししてゆきませんか。




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