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1218先週の講壇_ヨハネによる福音書 15 章 1-10 節「 主イエス様はぶどうの木、あなたがたはその枝です 」

牧師 松矢龍造


今日の御言葉では、イエス様御自身が、ぶどうの木 で、父なる 神様が農夫にたとえられています。ぶどうの木 の枝 が、よく実を結ぶように、農夫は世話をします。古い枝や、実を結ばない枝を、剪定して切る必要があります。ぶどうの木は、剪定しないと、多くの実をつけることが出来ません。イエス様が話された、キリストの福音の言葉を信じる者は、既に霊的にきよくされています。そしてさらに、生活において、世的なものから、きよめられ、キリストに似た者として、変えられ、きよめられ続けることが必要です。

キリストにつながり、キリストにとどまるとは、一つはイエス様が、神の御子であると信じることです。二つ目に、イエス様を私の救い主として受け入れることです。三つ目に、神様が言われることを行うことです。

四つ目に、キリストの福音を信じ続けることです。五つ目に、キリスぶどうの木なるイエス様につながる枝だけが実を結びます。ですから一日たりとも、キリストを忘れないように、生活の中で、 祈りと静思の時を守ることが重要です。そして父なる神様を礼拝し、愛し、感謝し、讃美する主日公同礼拝や祈祷会や小グループを大切にすることも同じく重要です。実を結ばない枝は、切り落とされた後に、乾燥させて燃やされました。ぶどの枝は細くて、木工製品などに加工することはできません。ですから良い実を結ばないなら、何の役にもた

たないので、焼かれるだけです。最後の晩餐の時に、イスカリオテのユダは、イエス様を裏切るために、外に出て行きました。まさにユダは、無益な枝として、刈り込まれました。神様のために実を結ばない人や、神様の信者たちの努力を妨げようとする人々は、取り除かれます。主イエス様とつながり、絶えずイエス様の言葉が心の中にある時、イエス様の心と一つとなり、イエス様の御心のものを望むなら、必ず叶えてもらえます。

イ エス様が、弟子たちに望 まれる実は、神様と隣人への愛に基づくものです。そして神様の栄光のための実を結びます。私たちも愛の実、神様への栄光の実を、結べますように。しかしもし主に不従順となるなら、神様と人と自分を汚すことになります。愛と従順の原型は、父なる神様と、御子なるイエス様の関係にあります。そして愛と従順の実は、イエス様の真の弟子であるしるしとなります。イエス様が、このぶどうの木のたとえをされた背景には、この後に十字架につけられて息を引き取るまで、ぶどうの木から作られたものを飲むことをしないと言われる中でのことです。主イエス様が、十字架につけられることを非常に意識されながら語られました。その断食は、苦難への覚悟です。主イエス様は、十字架を通しての愛の中で、私の愛に留まっていなさい。私とつながっていなさいと言われています。私たちも、イエス様からの霊的な養分を頂いて、良き実を結ばせて頂けます。あなたも、常に、日々、イエス様にとどまり、つながってゆきませんか。

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