2021.12.15民数記25 章1~18 節「外なる敵と内なる敵」
- CPC K
- 2021年12月16日
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牧師 松矢龍造
起
私たちは、外側から来る攻撃や誘惑に加えて、内なる自分の欲望という敵に関しても、注意が常に必要です。世界的な文明や大きな都も、外なる敵には勝利しても、内なる腐敗によって内側から崩壊して行くことが多く見られます。
イスラエルの民も、外なる敵に対しては、主が介入して阻止して下さいました。しかしイスラエルの人々は、内なる敵に負けてしまったことが今日の御言葉に記されています。現在のキリスト者も、外なる敵に注意が必要であると共に、内なる敵にも注意が必要であること
は、まったく変わっていません。
ペトロの手紙一5 章8節9 節「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。」
承
前回の所で、モアブの王バラクは、呪術師であるバラムを招いて、何度もイスラエルを呪わせようとしました。しかし何度も主が介入されて、呪術師であるバラムがイスラエルを呪うことを阻止されました。
ところが、呪術師バラムは、別の方法でイスラエルを堕落される方法を伝えたようです。民数記31 章16 節にこう言われています。「ペオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を主に背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがく
だったではないか。」
バラムは、イスラエルを主に背かせる為に、モアブ人の女性たちに、イスラエルを誘惑させ、そしてバアル礼拝へと誘う方法を取らせたのです。ヨハネの黙示録2 章14 節「しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ず
る者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに
教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。」
そしてこの方法は、成功して、イスラエルは、内部から崩壊する危機に直面しました。これは現在の私たちに対する警告でもあります。
転
今日の御言葉である民数記の冒頭からもう一度です。25 章1 節~3 節「イスラエルがシティムに滞在していたとき、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげるときに民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた。」
シティムとは「アカシヤの木」という意味で、その場所は、死海の北端から東方に約15㎞にあった町です。当時、アカシヤの木など、草木が茂るような場所は、しばしばカナンの豊穣宗教であるバアル礼拝の温床となりました。さらにこのバアル宗教の特徴の一つは、性的な乱交を含んだ祭儀が行われていました。
そしてヨルダン側の東岸に滞在していたイスラエルの民は、モアブの誘惑に屈して、ペオル山で崇拝されていたバアル礼拝に引き込まれました。25 章4 節5節「主はモーセに言われた。『民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすれば、主の憤りはイスラエルから去るであろう。』モーセはイスラエルの裁判人
たちに言った。『おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕った者を殺しなさい。』」
モーセらは、会見の天幕の前で、悔い改めの涙を流していましたが、その時に、シオン族の指導者の一人が、ミディアン人の女を連れて同胞のもと入り、奥の部屋に行き、乱交に酔いしれていました。6~9節「そのとき、モーセとイスラエルの人々の共同体全体が臨在の幕屋の入り口で嘆いているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。
祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスはそれを見ると、共同体の中から立ち上がって、槍を手に取り、そのイスラエル人の後を追って奥の部屋まで行き、この二人、すなわちイスラエル人とその女を共に突き刺した。槍は女の腹に達した。それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は二万四千人であった。」
主の御前で、処刑して、白日のもとにさらすことを、祭司であったアロンの孫であるピネハスが実行すると、主の裁きが治まりました。この際に2 万4 千人が災害で死んだとあります。この災害は、おそらく疫病と考えられています。
新約聖書のコリントの信徒への手紙一10 章8 節では2 万3 千人となっています。「彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、
一日で二万三千人倒れて死にました。」一説によりますと、2 万4 千人のうち2 万3 千人が
疫病であり、残りの千人は、性病による死と言われています。
いずれにせよ、バラムは、宗教的な誘惑と甘言とを持って、イスラエルの宿営地に入り込み、モアブ人の女性の中には、イスラエルの男性と結婚して、モアブ人の神々に犠牲を捧げ
るように、彼らを誘った者たちがいました。
さらにモアブ人だけでなく、ミディアン人の女性も、イスラエルを誘惑して来ました。ミディアン人のルーツは、アブラハムと後妻あるケトラの子孫とされています。ミディアン人の女の名はコズビであり、部族の父祖の家の長であるツルの娘と言われています。
またシメオン族の指導者の一人は、ヤコブとレアの二番目の息子がシメオンであり、その子孫で、名をジムリと言いました。この乱交をしていた二人は、由緒ある家の者たちです。
この二人が処刑されたことは、イスラエルの民にとっても、ミディアン人にとっても、大き
な警告となりました。さらに主は、イスラエルを誘惑した女性の民族あるミディアン人も襲
い、彼らを打てと命じられました。
10 節と11 節で「主はモーセに仰せになった。『祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。それでわたしは、わたしの熱情をもってイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。』」とあります。
熱情と訳された言葉は、聖なる妬みという意味でもあります。主はイスラエルに抱く、熱
情・聖なる妬みを持って怒り、裁かれました。またピネハスもまた、同じ熱情を持って、二
人に刑罰を与えました。そして同じ熱情と聖なる妬みによって、主はイスラエルの人々を、
絶ち滅ぼすことししませんでした。
マタイによる福音書18 章7~9節で、イエス様は言われました。「世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
最も危険な問題は、敵軍ではなく、絶えず別の敵が存在しています。民数記のイスラエル
では、多神教を信仰するカナン人の宗教と文化と性の誘惑でした。私たちも、気をつけて、
援助を差し出すと主張する人々の、言葉と行動を吟味する必要があります。
この新会堂建設の際に、建築業者を選別する時がありました。合い見積もりを出して頂いて、ものすごく安価で請け負って下さる会社がありました。しかしこの会社を、興信所調べてもらうと、水商売の施設をおもに手がけており、しかも経営難に陥っている会社であることが分かりました。この会社は、手付金を奪って消えるつもりであったか、あるいは教会を建設することで、今までの水商売の建物を建設してきたことへの評判を隠す意図があったのかもしれません。結局お断りした後、この会社は倒産したことが分かりました。
結
かつてクリソストムという聖徒がいました。このクリソストムを迫害する者たちが、彼に向かい「おまえの財産を没収するぞ」と言うと、彼は「私は裸で来た。また裸で帰ろう。財産の没収は意とするところではない」言いました。
さらに「おまえを、遠国に流すぞ」と言うと、彼は「全地は主のものである。わたしの行
く所、父の家でないものはない。遠国へ流されることは恐れるに足りない」と答えました。
加えて「おまえの命を奪うであろう」と脅すと、「わたしの命は、キリストのうちに隠れて
おり、だれもこれに触れる者はない」と答えました。
そこで迫害する者たちは、種々相談した結果は、ただ何とかして彼に罪を犯させ、神から離れさせるように仕向ける以外に、彼を苦しめる方法はあるまい、ということに一決したと伝えられています。
ある方は言います。「私たちが、神様と共にいる限り、何人も、何物も、わたしたちに危害を加えるものはありません。ただ戒めなければならないことは、私たちが罪を犯して神様を離れ、私と私の身を、陥れることです。」
私たちは、自分は大丈夫という思い込みをしないようにしなければなりません。使徒パウ
ロは次のように言っています。コリントの信徒への手紙一10 章12 節「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」ご聖霊様の助けを、常に求めて行きま
せんか。お祈り致します。

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