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2021.12.19NGW イザヤ書33 章22 節

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年12月16日
  • 読了時間: 6分

「主は我らの王となって、我らを救われる。」

『救い主を礼拝するためにやってきた異邦人』


牧師 松矢龍造


皆さんは、王様と言うと、どんな存在だと思いますか。偉い方、王宮に住んでいる方、王

冠が頭にある方などを、想像されるかもしれません。

王とは第一に、支配されないお方であるということです。救い主は、罪や死や悪魔に支配

されないお方です。第二に、王とは、支配し治めるお方であるということです。イエス様は、神の国と、全宇宙を支配し、治めておられるお方です。そして第三に、王は、治める民を持っています。救い主イエス様は、神様の民から、礼拝と讃美、感謝と従順を受けておられます。

イスラエルから見たら、東方の国に、星を研究する博士たちがいました。彼らは、東方で

不思議な星が出現するのを見て、新しい、真の王が誕生されると確信したのです。この星は、紀元前BC6 年頃に木星と土星と火星が接近したことによって輝いた光が見えたとか、彗星であったとか、様々な説があります。しかし東方から博士たちを導き、また再び現れて、エルサレムから、ベツレヘムで誕生した家まで先導するとなると、超自然的な星を、全知全能なる創造主が誕生させて、導いたと考える方が良いかもしれません。

博士たちは、三つの方法で、イエス様のところに導かれました。一つは、かつてイスラエ

ル民が、東方に移住させられたことがありました。バビロン捕囚ということが起こったので

す。そこでユダヤ人たちが、救い主の誕生の話を残していました。二つ目に、星に導かれて

来ました。三つ目に、エルサレムで、民の祭司長たちや律法学者たちから、メシアである救

い主は、ベツレヘムで誕生するという預言があることを聞いたことによります。

今も、神様は、私たちを、聖書を通して、自然界を通して、聖書を学ぶ人たちを通して、私たちをイエス様のもとに導いて下さいます。ファーブル昆虫記で知られている、ファーブルは、多くの虫を研究しているうちに、こんな精巧な昆虫は、偶然に作られたとは考えられない。虫たちを造られた創造主がいるに違いないと考えるにいたりました。また万有引力を発見したのは、クリチャンであった、ニュートンでした。創造主なる神様が造られた世界には、必ず美しい法則があるに違ないと信じて、これを発見して、創造主なる神様を讃美した

いと思いました。

東方の博士たちは、東方の国にいれば、それなりの地位と財産と安定した生活がありました。それでも何千キロの危険な旅に出て、多くの財産をついやしても、新しい王のもとを訪

れて、礼拝を捧げ、感謝の贈り物をしたいと旅に出ました。それは往復、半年以上もかかる

長旅です。そんな困難があったとしても王であり救い主にお会いして礼拝をささげたかった

のです。どうしてでしょうか。

それは私も少しだけ同じ部分があります。生きる本当の意味が分からなかった。なぜ勉強し続けなければならないのか。罪と死の解決は、どこにあるのか。誰も、私に教えてくれる人はいませんでした。博士たちは、地位や名誉や財産があっても、解決できない、心の闇を抱えていたのではないでしょうか。

ところが、東方の博士たちが、これほどの犠牲を払っても、新しい真の王にお会いしたか

ったのに、生まれる場所を知っている祭司長たちや律法学者たちは、救い主にお会いしよう

と思いませんでした。またヘロデ王は、博士たちを騙して、「自分も、その王を拝もう」言

いました。しかし心の中では、自分の王位が危うくなることを恐れて、その新しい王を、殺

そうと思っていました。

誰でも完全な者は、一人もいません。義人は一人もいません。けれど、二つのグループに人は分かれていきます。それはその罪をひた隠しに隠す祭司長たちや律法がいました。またその罪を指摘する存在があれば、これを抹殺したい、殺したいと思うヘロデ王のようなグループです。

そしてもう一つのグループは、自分の罪を認めて告白し、罪の赦しを求め、力と愛を頂いて、罪から離れて行く人たちです。私たちは、どちらの方でしょうか。博士たちは、救い主

とお会いして、喜びに満たされ、礼拝を捧げ、贈り物をしたら、ヘロデの道に帰らず、別の

道を通って、自分たちの国に帰って行きました。

博士たちが、救い主なるイエス様に捧げた三つの贈り物は、イエス様のことを表わしています。黄金は、イエス様が、王であることの表われです。また乳香は、礼拝に用いられ、神様であるということを示しています。そして没薬は、死んだ人に用いられます。救い主は、私たちの罪の為に、十字架で死なれるお方であることを示しています。

そしてこの三つの贈り物である黄金と乳香と没薬は、どれも高価なものであり、幼子を殺そうとするヘロデから逃れて、エジプトに行き、しばらく滞在される旅費に当てられました。

私たちも、創造主にして、救い主なるイエス様に、どんなものをもって、礼拝を捧げましょ

うか。私は、私の一生を神様に用いて下さいと。時間と、エネルギーと、委ねられた賜物を、主に捧げるように導かれました。

真の生きる意味、罪と死の解決、永遠の命、悪魔に打ち勝ち、真の喜びと感謝を頂いてい

ます。礼拝を捧げることは、造られた人間の本分です。

それにしても、神の御子イエス様が、天におられる時の輝きを捨てて、人となって来られたのはどうしてでしょうか。デンマークの神学者に、セーレン・キルケゴールと言う方がい

て、こんなたとえ話をしています。「その国に、非常に凛々しい王子が住んでいました。彼

は自分の妻となり、また、国の王女となるにふさわしい女性を探していました。

ある日、彼は父親の用件で、貧しい村を通りかかり、馬車の窓から外を眺めていると、そこに住む美しい農夫の娘が目に止まりました。それからも度々彼女の近くを通りかかったのですが、やがて王子は、彼女に恋をしました。しかし、彼には問題がありました。どうやっ

て彼女の気持ちを、自分に向けることが出来るだろうか。

王子であるからには、彼女に、『私と結婚しなさい』と、命じることもできたかもしれません。けれど、強制されてではなく、自分のことを心から愛して結婚して欲しかったのです。

また王子なのだから、素晴らしい衣装を身にまとい、宝石と金貨を携え、金箔で飾った六頭

立ての馬車で、彼女の家の前に現れることもできたでしょう。しかし、それでは、彼女が本

当に自分のことを愛したのか、あるいはただ、彼の持ち物の素晴らしさに圧倒しただけのこ

となのか、どうやって分かるというのでしょう。

ついに彼は、違う方法を考えました。彼は、着ていた王服を脱いで、普通の服に着替え、その村に移り住み、自分の身分を知らさずに、彼女と知り合うことにしました。王子は、村の人々と共に住み、彼女の友達になって、互いに互いの興味や、考えていることや、悩みなどを語り合いました。この娘は、王子の人柄が良かったので、そして彼がまず自ら真摯に彼女を愛してくれたので、徐々に王子を愛するようになってゆきました。

神様に愛されている皆さん、イエス・キリストは、この王子のように、天の御国の栄光の王服を脱いで、私たちと同じ人間の姿になり、私たちを愛して、プロポーズする為に、地上に来られたのです。そしてご自身の命を十字架で捧げて、私たちの一人ひとりの罪の身代わりとして死ぬほどの愛を現わされました。この愛に応えた人々は、世界中で愛の実を結んでいます。あなたも、このイエス様の愛を受けて、復活の力をご聖霊によって頂いて、新しい愛と真実の生き方をしてゆきませんか。お祈り致します。

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