2021.5.30 ヨハネの黙示録13 章11~18 節「偽預言者や偽キリストに気をつけよ」
- CPC K
- 2021年5月27日
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牧師 松矢龍造
起
旧約時代から、現在にいたるまで、そして未来においても、偽預言者、偽キリスト、反キリストは存在します。イエス様は、マタイによる福音書7 章15~17 節で、このように言われました。「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」
偽預言者は、一見良い存在に外見は見えますが、中身と結ぶ実は、悪しきものです。使徒パウロの時代にも、「偽使徒」がいました。コリントの信徒への手紙11 章13 節14 節「こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。」
承
かつて日本を震撼させたオーム真理教の教祖は、ロシアで、自分のことを再臨のキリストと言ったと言われています。また異端の一つである統一教会の教祖は、自分のことをキリストと称した時がありました。現在でも、偽預言者、反キリストの勢力は、顕在化しています。
他にも聖書の権威を軽視したり、聖書以外の歴史的前提と称して、聖書の誤った解釈をしたりする道を開く、キリスト教自由主義があります。それらは巧妙に教会の内部に入って来ます。迫害は、外部から教会にプレッシャー・圧力をかけますが、偽預言者は、教会の内部から攻撃を加えます。内と外が違う、偽預言者、偽キリストに対して、どの時代も注意が必要です。
今日の御言葉には、もう一匹の獣とか、666 という人間のことが出来来ますが、二つとも偽預言者あるいは、反キリストのような人間のことです。ある方が、このような偽預言者の特徴を次のように表現しています。「物腰の点では小羊のようであって教会を騙し、教えの点では、竜のようであって、教会に死をもたらす。」
転
黙示録13 章11 節「わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。」もう一匹の獣とは、偽預言者あって、小羊すなわちキリストのような二本の角があります。外見は神の小羊なる救い主キリストのようであることを暗示しています。そして外見はキリストのようで、竜・すなわちサタンのようにものを言うのです。まさに偽キリストです。
12 節「この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。」
先の獣すなわちローマ皇帝を神として拝ませるのです。いわば宗教的に、欺くことを主要な働きとします。
具体的な人物として、皇帝礼拝を民衆、特にキリスト者に強制する任務を与えられたローマ帝国東部の総督を恐らく指すという説があります。あるいは皇帝礼拝を推進する小アジアの神殿祭司たちとも考えられます。
13 節14 節「そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。」
人々の心を奪う為に、魔法仕掛けや手品など、よく考案された仕掛けや見世物をもって、民衆を惑わしました。また獣の像が、しゃべっているように見せた腹話術なども含んでいました。旧約時代のエジプトの呪術師たちも、似たような、しるしを行ったことがありました。
15 節「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。」
獣の像を礼拝しなかった人々は、迫害され殉教の死に追いやられました。まさに皇帝礼拝を拒否したキリスト者は、生存の危機に立たされました。旧約時代にも、バビロンの王ネブカドネツァルは、金の像を作って、拝ませました。ダニエル書3 章1~7 節「ネブカドネツァル王は一つの金の像を造った。高さは六十アンマ、幅は六アンマで、これをバビロン州のドラという平野に建てた。ネブカドネツァル王は人を遣わして、総督、執政官、地方長官、参議官、財務官、司法官、保安官、その他諸州の高官たちを集め、自分の建てた像の除幕式に参列させることにした。総督、執政官、地方長官、参議官、財務官、司法官、保安官、その他諸州の高官たちは、その王の建てた像の除幕式に集まり、像の前に立ち並んだ。
伝令は力を込めて叫んだ。『諸国、諸族、諸言語の人々よ、あなたたちに告げる。角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器による音楽が聞こえたなら、ネブカドネツァル王の建てられた金の像の前にひれ伏して拝め。ひれ伏して拝まない者は、直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる。』
それで、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴の音楽が聞こえてくると、諸国、諸族、諸言語の人々は皆ひれ伏し、ネブカドネツァル王の建てた金の像を拝んだ。」
日本でも、神社参拝を、日本や韓国の教会に強要ようにした時代がありました。
16 節17 節「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。」ここでの刻印は、皇帝礼拝の儀式に参加したことを表すしるしです。もしくは、皇帝の像が描かれたローマの硬貨を指します。
18 節「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」
6は完全数である7 から1を引いた数です。いわば不完全の象徴的な数字です。獣の数字は、不完全の数です。そしてこの不完全な数字である6 を3 回繰り返すことは、その不完全さを強調しています。完全なキリストの7 に似ていながら、完全に不完全な存在が、666 です。ヘブライ語も、ギリシアにも、それぞれのアルファベット、数字が当てられています。666 は、反キリストであり、邪悪な三位一体による世界全域の支配と完全な悪を象徴います。また、あらゆる点におい、完全な神様に及ばない偽キリストの象徴す。ローマ皇帝ネロの名前を、ヘブライ語で書くと、その数値の合計が、666 です。またナチス・ドイツのヒットラーの名前も、数字に置き換えると666 という説もあります。
神の子たちは、その時代の世の精神と、いつも衝突します。そして、どの時代も、神様の言葉に矛盾する教えは、全て偽ものです。偽預言者や反キリストは、神の時に必ず裁かれます。テサロニケの信徒への手紙二2 章9~12 節「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。
彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。」
結
3500 年前のモーセの時代から、偶像を拝むことが禁じられてきました。出エジプト記20 章4~6 節「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」どの時代も、偶像ではなく、唯一の神である創造主こそ、私たちの進むべき真の目的と、危機に対する克服を与えて下さる唯一のお方です。コン・ジンスという方の「創造主である神様を知る知識」という内容を受け留めます。
「多様な年齢層を対象にしていたある講師が、聴衆に質問しました。『皆さんがエレベーターに乗っている時、エレベーターが故障したとしましょう。非常用連絡網も遮断され、通信も途切れ、だれかが来て助けてくれなければ出られない絶対絶命の危機の瞬間です。
そのとき、あなたのそばに一人だけ来ることが出来るとしたら、だれに来てもらいますか』。すると、ある中学生がこう答えました。『エレベーターの修理技師です!』そうです。エレベーターの修理技師と一緒にいれば、故障したエレベーターを直してくれるので、脱出することができます。
エレベーターが故障したとしても、修理できる人がいれば、問題は解決します。製造者は、物をデザインし、その使用意図と目的をはっきり知っています。だれよりも自分が作った製品をよく知っている人です。
人をデザインされた創造主は、被造物である人間よりも、人間についてよく知っておられます。創造主の目的と意図と計画を知れば、私がどんな存在なのか、現在の私の危機をどう克服すべきかを知ることができます。その為、『私』を知る最も大切な知識は、『私』を造られた創造主を知ることから始まるのです。神様の力こそ、苦難から抜け出すことのできる唯一の力です。不安定な人生の決定的な糸口は、創造主の御手にあります。創造主である神様を知る知恵は、私たちの人生の目的を確かに知らせるだけでなく、危機をチャンスに変えてくれるのです。」
主にある愛する皆さん、サタンと反キリストは、私たちから、創造主に対する信仰と信頼、従順と祝福を奪おうとします。しかしどんなにキリストに似ている偽キリストであっても、不完全であり、私たちを危機や苦悩から救い出してはくれません。また人生の目的も意味も、罪と死と悪魔と虚無の問題も解決してくれません。
解決して下さるのは、唯一、創造主にして救い主であり、私たちの罪の為に十字架にかかり復活されたキリストのみです。この主に対して、御聖霊によって祈り、その導きに従いませんか。最後に、コリントの信徒への手紙二11 章15 節「だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。」お祈り致します。

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