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2021.6.20 ヨハネの黙示録14 章14~20 節「永遠の命と滅びへの刈り取り」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年6月19日
  • 読了時間: 7分

牧師 松矢龍造

世の終末において、全世界は、刈り取りと表現されています、世界審判の時がきます。このさばきは、創造主なる神様の職分です。この刈り取りは、一方において、永遠の命への刈り取りであり、もう一方では、永遠の滅びへの刈り取りとなります。

このことを、主イエス様は、麦と毒麦のたとえで表現されました。マタイによる福音書13 章36~43 節「弟子たちがそばに寄って来て、『畑の毒麦のたとえを説明してください』と言った。イエスはお答えになった。『良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。』

毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

この麦と、毒麦に分けられるのは、主イエス様に対する私たちの選択によります。オク・ハンフムという方が「運命を決める選択」ということで、次のようことを言われていました。「1829 年、アメリカでジョージ・ウィルソンという人が、絞首刑の宣告を受けました。ところが、アンドリュー・ジャクソン大統領が、すべての起訴を取り下げるように特赦を出しました。判事が刑務所に行って、ジョージ・ウィルソンに、そのニュースを伝えました。ところが、おかしなことに、彼はそれを拒否したのです。主任判事は、大統領の赦免状に従って、釈放すべきか、それとも、本来の判決通りに、死刑を執行すべきか悩み、最高裁判所に判決を委ねました。大法院は、次のような結論を下しました。『裁判所は、赦免の恩恵を強制的に与えることはできない。赦免は恵みを施す行為であり、法の執行を委任された権力から出るものである。しかし、恩恵を受ける者が、これを拒む場合、裁判所が、強要する権限はない。』この話は、今日、私たちに一つの真理を教えてくれます。神様が、ご自分の御子を十字架につけ、その血潮によって、私たちを生かす道を備えてくだいましたが、私たちが、御子を信じないなら救われないということです。

出エジプト当時、過ぎ越しの小羊の血は、死の災いを免れさせてくれました。ここで重要なことは、イスラエルの民が、主の言葉を信じ、その御言葉に従って、鴨居と門柱に小羊の血を塗ることでした。イエス様は、完全な神の小羊として、十字架にかかってくださることにより、私たちすべての死と呪いから贖ってくださいました。イエス様を受け入れ従うなら救われ、永遠に生きることができます。今、決断し、いのちの道を選択してください。」

ヨハネの黙示録14 章14~16 節「また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子

のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。『鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。』そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。」

人の子すなわち主イエス様は、父なる神様の時に、地上にさばきを意味する鎌を持って来られます。そして父なる神様から伝令が天使より伝えられると、さばきの鎌を入れて刈り取られます。この刈り入れは、さばき全体の刈り入れのことか、あるいは、キリストによって信仰者が集められるための収穫です。

そして二度の目の刈り入れは、天使によって、神様の敵対者たちが、滅ぼされるために刈り入れられる収穫のことです。17 節18 節「また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。『その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。』」

この際に、刈り入れるのは、最初の刈り入れは、穀物と言われているのに対して、二回目の刈り入れは、ぶどうの房と言われています。イスラエルの預言者たちは、よく、ぶどう畑を、神の民にたとえました。イザヤ書5 章1~7 節「わたしは歌おう、わたしの愛する者のために、そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に、ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。

その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。わたしがぶどう畑のためになすべきことで何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに、なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。さあ、お前たちに告げよう、わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに、見よ、流血。正義を待っておられたのに、見よ、叫喚)。」

また預言者たちは、神の民の不従順に対するさばきを、ぶどう酒造りにたとえることもありました。ヨエル書4 章13 節「鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。来て踏みつぶせ。酒ぶねは満ち、搾り場は溢れている。彼らの悪は大きい。」

これらの背景の中で、ヨハネの黙示録14 章19 節「そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。」

古代世界では、絞り桶に熟した、ぶどうを入れ、足で踏んで、ぶどう液を抽出しました。神様を拒否する人々は、搾り桶の中のぶどうのように、踏みつぶされます。また聖書においては、酒ぶねは、しばしば、罪に対する神様の憤りと、さばきの象徴として用いられます。このように記されるのは、悔い改めと従順と礼拝に至る為には、優しさだけでなく、厳しさも必要だからです。14 章20 節「搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。」1600 スタディオンとい距離は、約300㎞で、パレスチナの南北の距離でもあります。しかしこれ象徴的な数字であり、4 かける4 かける100 となっています。4 は四方、あるいは、東西南北のことで、100 は強調数字です。ですから1600スタディオンとは、全世界を指しており、宇宙と地球全体に向かって、全体的に、しかも完全な、神様のさばきが及ぶという象徴的な意味です。

さばきにおけるぶどうの収穫は、悲しみと怒りの刈り入れとなります。ですから、神様の怒りを恐れると共に、隣人の救いの為に、神様の恵みを願います。私たちに人間にとって、最期の刈り入れを覚えるなら、さばき合うよりも、慰め合うことの方が重要です。他の人を神様の憐れみへと導く者は幸いです。

世の終わりに世界審判という刈り取りを覚えるなら、だれでも罪の告白と、人の子である救い主なるイエス様に頼って霊的な目を覚ましていることが最も重要です。

最後に、ジョン・オートバーグという方の「神様が喜ばれる告白」を受け留めます。「神様は光であり、光は隠されていたものを露わにします。神様の光に少しでも当たれば、私たちの歪んだ、裏表の違う、罪深い性質が明るみに出ます。何かあれば、すぐに人を拒絶し、衝突する私たちの姿が赤裸々に現れるのです。ですから、私たちは『主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから』(ルカ5:8)と告白するしかありません。

主は罪の告白を喜ばれます。私たちは、嘘をついたり、物を盗んだり、アダルトサイトにアクセスした後に、神様にそのことを話しません。しかし、神様は、すでに知っておられると考えてみませんでしたか。そのような罪を告白したら、神様は怒るでしょうか。そんなことはありません。神様は『私は罪人です』という真実で正直な告白を聞かれた後、私たちを赦し、大きく用いてくださいます。この告白がある限り、私たちは人を軽蔑しなくなります。そして、善人と悪人が別々に存在するのではなく、私たちはみなイエス様の前で、罪人であることをいつも自覚するようになります。

私たちは、『世界罪人連盟』の会員であり、完璧な振りができないだけでなく、そうする必要もありません。失敗を繰り返して落胆し、後悔しながら座り込む代わりに、キリストの御前に進み出るとき、私たちは神様へと向かう旅路の新しい段階に入るのです。」

主にある愛する皆さん、世の終わりに、永遠の命と、永遠の滅びへの刈り入れがあります。神様の御前に、自分の罪を告白し、主イエス様を信じて、隣人の救いの為に、執り成してゆきませんか。御聖霊の助けを祈り求めながら。お祈り致します。

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