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2021.6.20『先週の講壇』 ヨハネの黙示録14 章6~13 節 「天使たちからの慰め」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年6月22日
  • 読了時間: 3分

教会で葬儀礼拝が行われる際に、労苦や病との闘いが大きかった人たちの場合に、今日の御

言葉である13 節を拝読することがあります。「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。

『書き記せ。【今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである】と。』“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」私自身も、やがていつか来ます自分自身の死に対しても、この御言葉によって慰めを得ている一人です。

けれど、この御言葉が第一に語られている対象者は、殉教者たちに語られた天使からの慰め

の言葉です。ヨハネの黙示録の時代で言えば、ローマ帝国から迫害され、プレッシャーをかけられていた殉教者たちと、その遺族に語られています。しかしどの時代においても、主の為に労苦した人たちや、自分の十字架を負って歩んだ人たち全員に語られている御言でもあります。この御言葉にあります「幸い」は、敵対者の裁きが確実になったからではなく、主に結ばれて死ぬ人の、天での報いのことです。最も素晴らしいものは、今から後、平安と共に来ます。大バビロンとは、邪悪な都市と不道徳な帝国の両方の名であり、偶像崇拝の世界的な中心地でした。旧約時代では、バビロン帝国であり、初代教会では、ローマ帝国の首都ローマのことです。「怒りを招く、みだらな行い」とは、ローマ皇帝を神として礼拝する偶像礼拝のことです。皇帝礼拝を諸国に強いたり、誘ったりすることが、葡萄酒を飲ませたと、たとえられています。神の怒りのぶどう酒を飲むとは、神様の処罰を受けることです。そして火と硫黄で苦しむとは、神様を拒否する人々に対する神様の裁きを、しばしば表現するものです。皇帝礼拝をなし、神様に敵対する人たちは、一時、皇帝の保護を受けたとしても、必ず神様の怒りの裁きを受ける時がきます。それは「昼も夜も安らぐことはない」と言われています。主なる神様の指導力より、お金、力、快楽に価値を見いだす人には、本当は、昼も夜も、やすらぎがないのです。これらのものを手に入れる為に、多くの人が、主なる神様を否定し、クリスチャンの信念を破ります。しかし彼らは、神様の怒りの葡萄酒を飲まなければならない時が来ます。罪の最終的な結果は、創造主なる神様からの永遠の分離です。キリスト者は、労苦や迫害、プレッシャーや圧力の中で覚えるべきことがあります。第一に、たとえ迫害され、殉教したとしても、主にあって、その労苦は決して無駄になりません。復活の主がおられ、完成して下さるからです。第二に、信仰の闘いの労苦から、解放される時が来ることです。第三に、キリストの福音は、永遠だからです。聖徒に与えられる祝福が、天で用意されています。第四に、永遠の命が与えられることです。つらく苦しい時に、主に拠り頼み、御言葉と祈りによって、御聖霊の力に預かり、永遠の安らぎへと招かれてゆきませんか。

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