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2021.6.6 ヨハネの黙示録14 章1~5 節「救われた者たちの新しい歌」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年6月3日
  • 読了時間: 8分

牧師 松矢龍造

キリスト者は、新しい歌を歌います。それはクリスチャンには、新しいドレスコードすなわちキリストにある新しい服を着させて頂いているからです。イ・ジャンホという方が「クリスチャンのドレスコード」についてこのように言われていました。「公のイベントや外交的に重要な会合に出席するとき、必ず確認すべきなのが、ドレスコードです。集会の性格、出席者、開催される場所などによって、ドレスコードが違ってくるからです。

ところで、聖書に初めて出てくる服は、アダムとエバが、いちじくの葉で作ったものです。もともとエデンの園のドレスコードは、服を着ないことでしたが、善悪の知識の木の実を食べた後、アダムとエバは、裸の状態を恥ずかしく思い、いちじくの葉で、自分の恥を覆いました。いちじくの葉の服は、神様を失った失楽園のドレスコードでした。」

ユダヤの文化では、象徴的に、人間の罪は、腰に表れると言われます。なぜなら堕落したことは、霊的な姦淫と表現するからです。アダムとエバが、神様に背を向け、善悪の知識の木の実を食して堕落したことは、霊的な姦淫をなしたことであり、そのために、それを隠そうと、いちじくの葉で服を作り、腰を覆ったのです。

「クリスチャンのドレスコード」の続きです。「しかし、人が葉で作った服は、すぐに枯れてしまいます。それで神様は、動物の命を犠牲にして、新しく皮の服を作って着せてくださいました。

神様のドレスコードは、恵みと犠牲の皮の服、すなわちアダムに代表される人間の罪を永遠に覆うために、犠牲のささげ物として来られた『小羊なるイエス様』を暗示しています。

この恵みと犠牲の服を、私たちに着せるために、イエス様は、十字架で辱めを受けらました。高い丘の上に立てられた十字架の上で、すべての人から辱めを受けることにより、イエス様が私たちの皮の服になってくださいました。ですから、私たちは、自分の不器用な手で作った、葉の衣を脱ぎ捨てて、私たちを捜し求めておられる神様の御前に進み出て、私たちのために作ってくださった恵みの皮の服を着なければなりません。神様に喜ばれる子どもである私たちのドレスコードは、イエス・キリストなのです。」

今日の御言葉14 章1 節「また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。」

小羊とは、イエス・キリストのことであり、シオンの山とは、天上のエルサレムの都を指しています。そこには、復活されたキリストと共に、14 万4 千人の人達がいました。14 万4 千人とは、象徴的な数字で、キリストの救いを頂き、罪を贖って頂いた人々の初穂であると先ず考えられます。

他にも、霊的な神の民である霊のイスラエルの12 部族に、完全数の一つである12 をかけて、そして強調数字である千をかけますと14 万4 千です。これは完全な神の民を表します。

この完全な神の民の特徴が、以下いつくも記されています。第一に、その人達の額には、小羊なるキリストの名と、父なる神様の名とが記されています。これに対比されているのは、額に獣の印が記されていることです。天使たちは、この額の印を見て、天の御国に入れられる者たちと、ゲヘナなる地獄に行く者たちを分けました。

さらにこの額の印は、所有権、忠誠心、保証、保護、安全を意味する印でもありました。この印が額にある者たちは、神様のものであり、悪魔も悪霊も、サタンの勢力も、誰も手出しをすることか出来ず、完全に神様に保護される人たちです。

第二に、新しい歌を歌います。2節3 節「わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。」

父なる神様とキリストの玉座の前には、位の高い四人の御使いと、神の民の代表である長老たちがいました。これらの前で、14 万4 千人の神の民は、新しい歌を歌いました。この歌は、地上から贖われた14 万4 千の者たちのほかは、覚えることが出来ませんでした。覚えると訳された言葉は、原文では「学ぶ」あるいは「知る」「習得する」という意味でもあります。

どんなことを学んで習得した歌なのか。それは迫害と圧力・プレッシャーの中で、苦難と忍耐、忠誠と不断の進歩を体験してきた者たちの歌です。それは大水のとどろくような音、また激しい雷の音、それは琴を弾くものたちが竪琴を弾いているような伴奏の音であり、この音に合わせて歌われた讃美です。この新しい歌を歌うことが、14 万4 千人の完全な民の特徴です。

第三に、彼らは女に触れて身を汚したことのない者たちでした。4 節前半「彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。」旧約聖書は、しばしば偶像礼拝をなすことを、霊的な姦淫として描かれました。ヨハネの黙示録が記された初代教会の時代では、ローマ皇帝を、神として拝むことを拒否した者たちのことです。

またあらゆる時代において、力、富、性的な不品行など、地上にある、あらゆる誘惑や偶像を拒否した者たちのことです。使徒パウロの表現は、純潔な処女と言われています。コリントの信徒への手紙二11 章2 節「あなたがたに対して、神が抱いておられる、熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。」

第四に、この者たちは、小羊なるキリストの行くところへは、どこにでも従って行く者たちです。四節後半「この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで」。

キリストの行くところへ、どこにもついてゆく、それはキリストにある任務を遂行するために、迫害や要求されれば、死に直面するという、主にあって英雄的な努力をすることです。さらに偶像や不道徳から身を守り、無条件の従順と献身を持ってキリストに従って行った者たちです。

初代教会で言えば、人間に過ぎないローマ皇帝を礼拝しない、すなわち皇帝礼拝に屈しない者たちのことです。それは、初穂として神様に捧げることでした。

第五に、偽りと、咎めがない者たちです。5 節「その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。」キリストのみに操を立て、異教の神々を拝むことなく、誘惑に屈しない人達です。その為には、第一に、毎日、神の御言葉を、御聖霊によって生活に当てはめることが大切です。それは思いと心をきよめる効果となります。第二に、誘惑に屈しないという決意が、日々必要となります。第三に、讃美と感謝と祈りを、日々主に捧げる生活が重要です。

ジェイソン・ミッチェルという方が「従順が楽になる道」という内容を受け留めます。「生まれつき、人をよく赦すことができ、信仰深く、忍耐強く、謙遜であるかのように見える人がいます。

しかし、生まれつき、そのような人はいません。彼らは、イエス様が願われる生き方が、自然と身にまで、歯を食いしばって実践してきたのです。

真の偉大さは、電子レンジを使った調理のように、数分で完成するものではありません。一回だけのレッスンで、すばらしいピアニストになった人はいません。どんなことでも、時間と努力が必要なのです。私たちの人生において、イエス様のリズムに合わせる生き方が楽になり、最初はつらかった従順が、第二の天性のようなることが、イエス様の願っておられることです。

苦しくても、イエス様の道を選び続けていくなら、そのために必要な意志や努力を、神様が与えて下さることを経験することができます。そして、少しずつ神様に対する信仰が深まっていき、神様に従ううえで必要な新しい習慣が身についてきます。そうすれば、『楽でも間違った選択』と『苦しくても正しい選択』の岐路に立つ度に、悩むことなく、正しい選択をすることができるようになります。

生き方そのものが、根本的な変わるのです。以前は楽だった不従順が、むしろ苦しく感じられるのです。当然ながら、それは環境が変わったからではありません。『私たち』が変わったからです。」

主にある愛する皆さん、キリストよって、新しい義の服を着させて頂いた者たちは、新しい讃美と感謝を主に捧げながら、日々神様の御言葉を受け留めます。そして誘惑に屈しない決意を日々しながら、純潔なキリストの愛に答えて、純真な愛と信頼に基づく、主に従順な生活を、捧げてゆきませんか。

最後にキム・ソテクさんの「正義感よりも尊い愛」というポイムを受け留めて閉じます。「この世は、事の是非を問います。正義感を振りかざして、人をさばいて憤ります。しかし神様は、正義感の上に愛を置かれました。神様が私たちを造られたのは、人をさばくためではありません。人を愛して祝福する者となるために、私たちを召し出されたのです。

神様の恵みを受けると、分かるようになります。一人ひとりが、すべて大切な存在であることを。神様の御前で、一人ひとりの命の尊さと、彼らの人格の尊さが目に入ってくるようになるとき、はじめて私たちは罪に打ち勝ち、神様が与えてくだる愛の実を結ぶことができるのです。」

お祈り致します。

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