2021.7.11 ヨハネの黙示録16 章12~21 節「神様の世界審判とハルマゲドン」
- CPC K
- 2021年7月8日
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牧師 松矢龍造
起
かつてイスラエルに研修に行かせて頂いた際に、カルメル山からハルマゲドンと呼ばれる広大な平野を眺めながら、全世界の民の救いの為に祈ったことがありました。
カルメル山は、預言者エリヤが、バアルの預言者450 人とたった一人で、主にあって霊的な決戦をして勝利した山です。その地には記念教会が建てられ、その屋上から、ハルマゲドンと呼ばれる平野が見渡せました。
かつてナポレオンは、このハルマゲドンの地を見た際に、世界の格闘場、つまり理想的な戦場と呼んだと伝えられています。「ハルマゲドン」は、「ハル・メギド」から来ていると言われ、その意味は「メギドの山」です。「ハル・メギド」といわれる言葉から変化して「ハルマゲドン」になったと言われています。
イズレエル平野の街メギドの周辺では、古来、この地の支配権をかけた決戦が、しばしば行われていました。そのことから、神様の世界審判の日における最終的な決戦の戦場と呼ばれるようになりました。全能者である神様が、反キリストの勢力と、最終的に戦われる大いなる日の闘が、世の終末において行われます。
承
このハルマゲドンを巡って二つの説があります。一つは、文字通りハル・メギドという地で、神様の勢力と、反キリストの勢力が戦うという説です。そしてもう一つの説は、ある特定の場所のことではなく、世界的な規模の反抗との戦のことをハルマゲドンと呼んでいるという説です。どちららであるのか分かりかねます。しかしいずれにせよ、創造主なる神様の勢力と、反キリストの勢力との最終的な戦いがあり、そして神様の勢力が勝利して、世の終末が完了するということです。
迫害の世にあって、無敵を誇るかのように見えるサタンの同盟軍の前で、無力に見える神の僕たちに対して、ハルマゲドンにおける神の民の勝利の預言は、大いなる励ましを与える御言葉です。
転
今日の御言葉である16 章12 節をもう一度拝読します。「第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。」かつてユーフラテス川は、歴史的には、東方の異教的な諸帝国から、イスラエルを守る役割を果たしていました。すなわちかつてのアッシリア帝国やバビロン帝国、そしてペルシャ帝国という東側の諸帝国を、ユーフラテス川が、自然の防壁となって抑えていました。
しかしこの大ユーフラテス川が枯れてしまったということは、反キリストの勢力が、神の国を倒すのに有利な道が開かれたということを意味していました。
13 節「わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。」竜とは悪魔のことであり、獣とは、反キリストの勢力であり、これに偽預言者が加わると、悪の三位一体となります。これら悪の三位一体の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見たとあります。古代において、蛙は嘘をついて人を騙す能力を持つと考えられていました。三つの霊とありますのは、完全数の一つ3ですから、これ以上ないほどの偽りの霊ということになります。
イエス様の警告の言葉はこうです。マルコによる福音書13 章22 節「偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。」使徒パウロも警告しています。テサロニケの信徒への手紙二2 章9 節10 節「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。」
続いて16 章14 節「これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。」勝ち目がない戦いなのに、地上の王たちを欺いて、神の民の勢力と、大いなる最後の戦をする日に備えて、招集するために出て行きます。
16 章15 節「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。」
主イエス様の再臨は、盗人のように、突然来ると言われています。テサロニケの信徒への手紙一5 章1~6 節「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身につけている人は幸いです。「衣を身につける」とありますが、衣とはキリストを信じる信仰のことであり、キリストの義の衣を、信仰によって身につける人は、さばきと滅びを見ることはありません。
ローマの信徒への手紙13 章14 節「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」生まれながらの人間の恥の一生から、神様に栄光を帰する一生へと、キリストって変えられたいものです。
16 章17 節「第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、『事は成就した』言った。
かつてイエス様が十字架上で、「成就した」あるいは他の訳では「完了した」と叫ばれました。主イエス様は、十字架上で、罪に対する贖いの業を、旧約預言を成就して完了されました。意味上では同じ言葉によつて、神様の裁きの預言が成就し、完了するのです。
18 節19 節「そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い出して、御自分の激しい怒りのぶどう酒の杯をこれにお与えになった。」
大バビロンは、初代教会の時代では、ローマ帝国のことであり、その国が三つに引き裂かれるとは、完全な破滅の象徴です。20 節21 節「すべての島は逃げ去り、山々も消えうせた。
一タラントンの重さほどの大粒の雹が、天から人々の上に降った。人々は雹の害を受けたので、神を冒涜した。その被害があまりにも甚だしかったからである。」一タラントンの重さの大粒の雹とは、30㎏前後巨大な雹であり、かつて見たことがないほどの大きな地震と共に、人々の上に降るとあります。この裁きを受けても、悔い改めて、真の主なる神様のもとに立ち帰ることなく、むしろ神様を冒涜して、神様の名を汚し、侮辱的な言葉を浴びせるというのです。かつてエジプトにも大きな雹の災害がありました。出エジプト記9 章24 節「雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。」しかもエジプトの王パロも、心を頑なにしました。
今、神様に立ち帰ることが大切です。神様の警告を返し無視していると、そのうちに神様の声が聞こえなくなってしまいます。
結
しかし主の民は、たとえ天変地異が起きても恐れません。
逆に神様への反抗の結末は、彼らの敗北です。神の民は、永遠に立ちます。詩編46 編2~4 節「神は、わたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも。海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」
最後に、イ・ジェミョンという方の「神の民の潜在能力」という内容を受け留めます。「『シービスケット』という映画があります。実話を基にしたこの映画は、経済恐慌という暗い時代に、人々に希望と喜びを与えた競走馬、シービスケットの話です。
シービスケットは最高の血統から生まれた馬でしたが、体がとても小さく、競走馬にはふさわしくありませんでした。ところが、その馬の可能性を見た調教師と馬主、そして騎手の努力によって、シービスケットは、技量が日ごとに開発されていき、ついには、全ての競馬大会を総なめにし、快進撃を果たします。
シービスケットの勝利の秘訣を記者から聞かれると、馬主は答えました。『今、シービスケットは、自分が世界で一番大きな馬だと思っているかもしれません。重要なことは、シービスケットが、自分を小さいと思わない限り、驚くべきことができるということです。』
この映画を通して、私は今日のクリスチャンの姿を振り返りました。全能なる神様の子どもでありながら、世の人々の偏見と環境に圧倒され、自分ことを何も出来ない存在だと考えて生きているクリスチャンが、どれほど多い多いことでしょうか。
もし今でも、創造主なる神様から与えられた、いのちと賜物を最大限に開発できず、恐れ震えていたとしたら、自分がどのような者なのかを、まず考えてみてください。神様の力を受けて、勇気を出してください。ポニーのように小さかったシービスケットも、自分に不利な条件に不満を抱かず、自らの潜在能力を、最大限に引き上げたとき、伝説の名馬として生まれ変わったことを覚えてください。」
主にある愛する皆さん、今見える反キリストの勢力が、いかに大きく見えても、御聖霊よって、神様の民には、潜在能力があります。神様の力を受けて、勇気を出して行きませんか。主の勢力の勝利は確かであり、悪の勢力の負けは明らかになります。
そしてもし地上で裁かれた人がいるなら、神様を冒涜するのではなく、悔い改めて主に立ち帰り、勝利の列に加えられる側になり、執り成してゆく側になりませんか。
お祈り致します。

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