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2021.7.14希望の祈祷会 民数記10 章1~36 節 「約束の地への出発」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2021年7月16日
  • 読了時間: 7分

牧師 松矢龍造


 キリスト者の地上での生涯は、天に向かう旅であり、この地上は、クリスチャンにとって

は、寄留の地でしかありません。かつてアブラハムも、永遠の天の都を目指して、旅人であ

ると思っていました。

 ヘブライの信徒への手紙11 章13~16 節「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。

約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たち

が地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。

このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。

もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。

ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だか

ら、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されて

いたからです。」

 シナイ山の麓での約一年後、イスラエルの民は、約束の地に向かうべく、荒れ野へと旅立

つことが今日の御言葉です。シナイ山の麓の荒れ野には、11 か月と19 日の滞在でした。幕

屋を建ててから、約50 日後になっていました。

 イスラエルの民は、この約一年の間に、律法を主から頂き、それぞれの家系を確認し、そ

れぞれの部族の旗のもとに集まりました。さらにそれぞれの持ち場や役割を主から受け、旅

立ちの準備となりました。

 神の民は、神様の意志に沿って生きるべきであり、その為には、十分に神様との交わりを

経験し、神様にあって生きる確信を持つ必要がありました。

 「出発」と訳されたヘブライ語は、テントの杭を抜くという動詞で表現されています。イ

スラエルの民は、テント生活をしています。旅立つには、そのテントを支える杭を抜いて出

発しました。今日の御言葉では、その旅に出発する際に大切な要素がいくつか記されていま

す。

 先ず主はモーセを通して、銀のラッパを二本を作らせました。この銀製のラッパは、先端

が細長く、朝顔のような形をしていました。大きさは約30 ㎝の長さをもつものです。この

銀のラッパは、短い音を連続で吹いたり、また長く吹いたりして、イスラエルの民に合図を

送るものでした。

 銀のラッパが吹かれる場面は、祭りを祝ったり、民を招集したり、さらに戦いの時に命令

したりするために使われました。二つとも吹く時は、イスラエル共同体が、臨在の幕屋の入

り口に集まる合図でした。加えて、ラッパを吹くことは、神様の守りがイスラエル人たちの上にあることを思い出せました。

 ラッパを吹く役割は、祭司であるアロンと子どもたちでした。そして幕屋の移動や務めは、レビ族の四氏族であるアロン、ケハト、ゲルション、メラリ氏族が担当しました。ラッパの合図と共に、出発の順番は、先ず東側のユダ族とイサカル族とゼブルン族でした。次に南のルベン族、シメオン族、ガド族です。さらに西のエフライム族、マナセ族、ベニヤミン族です。そして北のダン族、アシュル族、ナフタリ族と続きます。けれど、一番先頭に立って進むのは、契約の箱であり、契約の箱に設けられた挿し棒をレビ人たちが肩に担ぎ先頭を行きました。契約の箱が先頭を行くことは、主の御心に従って進んで行くことの示しでした。彼らが宿営を旅立つとき、昼は主の雲が彼らの上にありました。雲は、神様の臨在を表すことであり、神様が共にいて民の間に住むことを、目に見える形で思い起こさせました。シナイ半島の南部から、約束の地であるカナンには、妨げるものがなければ、10 数日の道の

りです。申命記1 章2 節「ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは十

一日の道のりである。」

 しかしその旅の場所は荒れ野であり、しかも240 万人の老若男女の人々です。加えて原

住民の敵がいます。ですから、この度を、人間だけで導くことは不可能です。主なる神様の

導きがなければ、約束の地には到着出来ません。この導かれる主は、保護される主であり、

また安息を与えられる主です。そして神様に従うところに、安息と平和があります。詩編68 編4~11 節「神に従う人は誇らかに喜び祝い、御前に喜び祝って楽しむ。神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げてくだ

さる。神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださ

る。背く者は焼けつく地に住まねばならない。

 神よ、あなたが民を導き出し、荒れ果てた地を行進されたとき、地は震え、天は雨を滴ら

せた。シナイにいます神の御前に、神、イスラエルの神の御前に。神よ、あなたは豊かに雨

を賜り、あなたの衰えていた嗣業を固く立てて、あなたの民の群れをその地に住ませてくだ

さった。恵み深い神よ、あなたは貧しい人にその地を備えられた。」

 この出発のことを通して、主が私たちに示されていることをいくつか受け留めましょう。

第一に、主がイスラエル民を、約束の地カナンに導かれる目的は、イスラエルの民を、全世

界の祝福の基とするためです。その為に出発する必要がありました。同じように、キリスト

者も、全世界にキリストの福音を宣べ伝えるために、出発するように、主は、眠っている教

会を、霊的なラッパによって呼び覚まされるお方です。

 第二に、契約の箱が、民の先頭に立ち、その後にイスラエルの民が従ったように、私たち

キリスト者も、先だって進んでおられる、羊飼いなる主イエス様の後についてゆきます。ヨ

ハネによる福音書10 章4 節「自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその

声を知っているので、ついて行く。」

 第三に、モーセは、旅の同行者として、義兄にあたるミディアン人のホバブに言いました。29 節「わたしたちは、主が与えると約束してくださった場所に旅立ちます。一緒に行きましょう。わたしたちはあなたを幸せにします。主がイスラエルの幸せを約束しておられます。」

 ミディアン人は、アブラハムと妻ケトラとその子孫からなります。モーセは、このミディ

アン人の義兄ホバブにも、主の恵みを分かち合うとしました。加えて荒れ野のことをよく知

っている義兄は、宿営地の場所に関する知恵を提供したことでしょう。

後に、このホバブあるいは、モーセの舅の子孫は、カナンの地へと共に旅し、カナンに定

着したと士師記にあります。1章16 節「モーセのしゅうと、あのケニの人々は、ユダの人々

と共になつめやしの町からユダの荒れ野、アラド近辺のネゲブに上って来て、そこの民と共

に住んだ。」時に、クリスチャンでない人からの協力を得ることも、主が備えてくださいます。主が示されたなら、未信者からの協力も大切です。かつてこの新会堂建設の際に、建築会社の青木工務店の社長さんは、子どもの頃、高座教会の教会学校に行っている人でした。利益を度外視して、この教会堂を建ててくださいました。

 さらに第四に、イスラエルの民は、途中、異民族や不信仰者と戦う必要がありました。今

日では、不信仰そのものと、その背後に働く悪霊に対して戦う必要があります。エフェソの

信徒への手紙6 章11 節12 節「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具

を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗

闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」

 最後に、チャン・ギョンチョルという方の「全き信頼によって与えられる平安」を受け留

めます。「主が私に平安を与えてくださるとき、必ず一つの告白を求められます。私の人生

に無数の問題があっても、主はその問題よりも大きと告白するとき、主は全世界よりも大き

いと告白するとき、私の心に天からの平安が臨みます。

未来への心配、過去に対する後悔、現在の不安が、私の心を揺さぶるとき、主はその人生

の荒波の中で、ご自分に信頼して告白するかどうかを、ご覧になります。主に対する全き信

頼の告白、そして全き愛の告白が、私のくちびるから溢れ始めるとき、主はどんなことにも

動じない、全き平安を与えてくださいます。」

 主にある愛する皆さん、地上の旅において、主が先だっておられます。その後に信頼して

聴き従い、祝福の基として、キリストの福音を証しする生活となりませんか。御聖霊の力と

助け、そして導きと愛に預かって、主に従う歩みとなりますように。お祈り致します。

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