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  • 執筆者の写真CPC K

2021.8.11 民数記13 章1~33 節「肉による見方と信仰による見方」

牧師 松矢龍造


肉による見方と、信仰による見方は、180度異なる時があります。信仰は、神様を先ず見ます。

すると巨人と思える問題を小さくします。しかし不信仰は、神様を見ず、「巨」という字を大きく考えます。

また信仰は、神様を通して状況を見ますが、不信仰は、状況から神様を見ようとします。また、信仰は、神様の約束の御言葉から現実を見ますが、不信仰は、現実から御言葉を見て出来ないと思います。私たちはどうでしょうか。

荒れ野から、約束の地カナンに向かっているイスラエルの群れは、カナンに偵察隊を送ることにします。民数記だけですと、主なる神様からカナンの土地を偵察せよと命じられたように見えます。

しかしカナンの土地を探らせることを提案したのは、申命記を見ますと、イスラエルの民から方で、主なる神様は、彼らの提案を、恵み深く容認されたのです。申命記1 章19~22 節「我々は神、主が命じられたとおり、ホレブをたち、あなたたちが見たあの広くて恐ろしい荒れ野を通り、アモリ人の山地に至る道を、カデシュ・バルネアまで来た。わたしが、『あなたたちは、我々の神、主が与えられたアモリ人の山地まで来た。見よ、あなたの神、主はこの土地をあなたに与えられた。

あなたの先祖の神、主が仰せになったとおり、上って行って取りなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』と言うと、あなたたちは、そろってわたしのもとに来て、『まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう』と言った。」

主が与えて下さるので、軍事的な意味での偵察は必要ではありませんでした。しかしイスラエルの民は、人を恐れ、未来を恐れました。主を恐れ敬うことが第一ではありませんでした。

「偵察させる」と訳された原文の言葉は、「見極める」という意味ですが、ここにすでに、神様の約束に信頼して従うより、自分たちが見極めて、出来る出来ないと言おうとする姿勢が見受けられます。

モーセは、12 部族の指導者を一人ずつ遣わすことを命じました。その土地を巡って調査する内容は、おもに三つでした。一つは、カナンの地の住民について、強いか弱いか。多いか少ないか。

二つ目に、カナンの地の人々の住居について、良いか悪いか。宿営か城壁か。三つ目に、カナンの地の土壌について、肥えているか、やせているか。木が茂っているか否か。

その偵察期間は、40 日であり、偵察距離は、往復約800 ㎞の道のりでした。カナンの土地には、おもにカナン人、アマレク人、ヘト人、エブス人、アモリ人が住んでいました。カナン人は、ノアの子孫であるハムの子孫が、ヨルダン沿岸とエルサレムの北西の地中海沿岸の町や村に住んでいました。

アマレク人は、おもに死海の南と東の地域に住んでいた遊牧民で、イスラエルの敵でした。ヘト人は、ハムの孫であるヘトの子孫です。小アジアに帝国を建設し、アブラハムの時代からBC12 世紀の頃まで、カナン地方に影響を与えた列強の一つ、ヒッタイト帝国と関係するとも言われています。

エブス人は、ダビデ王に追い出されるまで、エルサレムを支配していました。アモリ人は、イスラエルが侵略したときに、カナンの丘陵地帯に住んでいました。

40 日の後に、カディシュにいるモーセ、アロン、及びイスラエルの民の人々の共同体に報告をしました。27~29 節「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。

しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。」

カナンの地は「乳と蜜の流れる所でした」という表現は、約束の地カナンの肥沃さを表現しているたとえです。ここで良い地であり、その住民が良い地を、罪で汚していて、主なる神様を悲しませていますという報告ではありませんでした。ここで求められていたのは、事実を把握して、信仰によって見ることです。

以前2020 年から2 年間、アジアン・アクセス・ジャパンという研修所で研修した際に、希望が丘教会が置かれている周辺地域を調査して、宣教ビジョンを提出したことがありました。これが現在の希望が丘教会のビジョンとなっています「ゆりかごから天国まで『神の国・希望が丘ミッション』」として主から導かれ際に、参考の一つとした要素となっています。

この調査は、困難さを覚える為ではなく、いかにして宣教ビジョンを、この周辺地域に提供できるかを探るものでした。もしこれが、恐れと繋がるなら、その調査は、良いものとはなりません。イスラエルの偵察隊の12 人のうち、10 人は否定的でしたが、ユダ族のカレブとエフライム族のホシェアだけは違いました。モーセは、ホシェアをヨシュアと呼んだとありますが、ホシェアの意味は、「彼は救い出す」という意味ですが、ヨシュアは、「主は救い」という意味です。この名前と意味の違いは、ホシェアなら、人間の力で救い出すという意味合いが強いですが、ヨシュアなら、主が救ってくださるという意味合いが強いです。

カレブは民を静め、モーセ向かって進言しました。30 節「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」カレブとヨシュアだけは、神様がついていてくださるなら、どんな敵にも勝てると主張しました。当時、世界最強のエジプト軍を、紅海で沈めた主なる神様が、自分たちの主であるから、直ちに攻め上って、その町を占領しよう。必ず出来る。信仰によって、カレブとヨシュアは、進言しました。

しかし二人と一緒に偵察に行った他の10 人は、またもや否定的に反対して言います。31~33 節「『いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い』と言い、イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。

『我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。』」

ネフィリムとは、「落ちた者」という意味で、伝説的な巨人として知られていました。後にダビデの時代に登場する巨人ゴリアテは、アナク人であり、ネフィリムとの関連で言われるのかもしれません。カナンの地の偵察で、アナク人を、伝説的な巨人ネフィリムにたとえています。

そして「住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ」とありますのは、土地を奪い合う戦いが続くことや、農作物の収穫が少ないという意味です。27 節にありました「乳と蜜の流れる所」という表現と矛盾しています。不信仰は、事実まで歪めてしまいかねません。

私たちは、この12 人の偵察隊の二つに分かれた報告と進言を通して、信仰的な教訓を受け留める必要があります。第一に、主が約束されたなら、明日のための心配は無用であるということです。

マタイによる福音書6 章33 節34 節「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

第二に、神様に信頼して、前進することの大切さを教えられます。後にネヘミヤ記における城壁の再建の中で、ネヘミヤも、破れた城壁を偵察しました。しかしそれは、駄目だと諦めるためではなく、主にあって出来ると前進する為でした。

第三に、信仰的な勇気のなさは、停滞を産んでしまいます。

イスラエルの民の信仰的な勇気のなさが災いして、実のところ、荒野を40 年間近くも流浪することになってしまいます。

第四に、主が先立ち、私たちの道を開いて下さます。かつてアブラハムは、神様の約束に目を注ぎ、決して動揺することがありませんでした。ローマの信徒への手紙4 章20 節「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。」

私は35 年前に、カンバーランド長老教会に移籍してきました。その際に、どの教会に派遣されるか分かりませんでした。そして希望が丘教会に赴任して今年で、33 目となっています。知らない土地でした。しかし主が遣わされた土地と信じて、これまでお仕えしてきました。これは主の恵みの他ありません。

そして第五に、比較する対象を誤るなということです。イスラエルの民は、カナン人を、全能の神様と比較せず、自分たちと比較してしまったのです。問題や課題に対して、比較するのが自分自身なら、困難と思うでしょう。しかしその問題や課題を、全能の神様と比較するならどうでしょうか。可能です。

クリスチャンは、死からよみがえった、生けるキリストに永遠に結びつけられた者たちです。主に全く委ね、主に従い通して行きませんか。死と罪と悪魔と虚無に打ち勝ち、宣教

の前進においても、肉の力では無理です。しかし御聖霊様の油注ぎがあれば、主は勝利と良き実を結ばせて下さいます。主に信頼して、祈り続けましょう。

ローマの信徒への手紙16 章20 節「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。」

お祈り致します。

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