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2021.8.15『先週の講壇』ヨハネの黙示録18 章14~24 節 「世の悲しみと神の民の喜び」

牧師 松矢龍造


古代では、果物は、ぶどう酒と共に、一種の高級な食品と考えられていました。都にあった、これらの贅沢品が、私たちの中にないでしょうか。私たちも、実に大いなる贅沢品の中に生きているのではないでしょうか。目に見える全ての物を、追いかけないように注意が常に必要です。私たちも、所有物や快楽に夢中になってしまう危険にさらされていることを忘れてはなりません。

この反キリストの都は、ヨハネの黙示録の時代では、ローマの都のことです。この大バビロ

ンに対する裁きの特徴が三つあります。一つは、バビロンへの裁きが、一日のうちに、一瞬のうちに、ひとときの間に起こるということです。二つ目に、荒れ果ててしまうとは、徹底的な裁きであるということです。「荒れ果てる」と訳された原文の言葉は「無に帰する」あるいは「見捨てられた状態にする」という意味でもあります。そして三つ目の特徴として、「遠くに立って、泣き悲しんで」とありますように、裁きが防ぎようもない、恐ろしいものであるということです。

この都が裁かれた大きな理由の一つは、迫害による血を流した罪によります。この裁きは、

国籍が天にある主の民にとって喜びであり、祝うことです。神様の正義を求め続けてきた彼らにとって、待ち望むことだからです。神様は、迫害の中で、殉教の血を流して罪を犯した者たちを、必ず神様の時に裁かれ、滅ぼされます。これが創造主なる神様なしに築いた文明の末路です。それならば、不信仰と共に気をつけることは、お金への欲望が、私たちの生活を満たすと、偽りの神となるということです。富に対する欲望の奴隷にならないように常に気をつけなければなりません。神の民は、お金ために生きるべきではありません。お金は、永遠の世界では価値のないものです。私たちの生活を支配しようとするものが、貪欲さと言う罪にならないように、常に警戒が必要です。むしろ私たちの望みが、正しい方向に私たちを導くようにすることが重要です。きちんと境界線を引いて、世の欲に深入りすることなく、委ねられた賜物を、主の御心に沿って、善用出来ますように。神様は、私たちが働いて、家族の必要を満たすことを望まれ、お金を正しく使うように命じておられます。また人を助けること、神様に仕え、神の国を築き上げることに望みを集中して用いることを望まれています。

主にある愛する皆さん、神様を無視し、物質主義に陥り、迫害の血を流す者たちとその文明

は、必ず神様の時に裁かれ滅びます。むしろ悔い改めて、主イエス様によって救われ、委ねられた賜物を、神の国と、他の人の必要の為に用いて、未来に備えることができますように。御聖霊様の助けと力を祈り求めませんか。

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