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2021.8.29『先週の講壇』 ヨハネの黙示録19 章11~21 節 「再臨の主キリストによる裁き」

牧師 松矢龍造


キリストが再び、この世に来られる時の姿は、どのようなものでしょうか。一度目の時は、

マリアの胎を通して、この世に来られました。そして大人になられた時、エルサレムへの入場は、子ロバに乗って、平和と救いの君として来られました。しかし二度目は、裁きを実行するために、軍馬に乗り、征服者として、また王として戻って来られます。

白い馬は、戦いの勝利を象徴しています。乗っている方すなわち騎士は、主キリストであり、出陣する軍の指揮官のようです。しかも悪の勢力を裁かれ戦われる時、誠実と真実と正義をもってなさいます。再臨される主キリストの目は、燃え盛る炎のようであり、主の裁きの力が、透徹した、全てを見通すものであることを暗示しています。多くの冠は、キリストの権威を象徴しています。さらに自分のほかはだれも知らない名が記されていました。それは、人間をはじめ、被造物世界の権力に付けられた名では、表せない内容ということです。血に染まった衣とは、おそらく報復と裁きを意味するところの、血の染まった衣でしょう。イエス様が神の言葉です。

天の軍勢とは、恐らく、天使と殉教者たちのことでしょう。彼らも勝利の象徴ある白い馬に

乗り、キリストの血によって救われ、正しい行いをしたことを表す、白い清い麻の布をまとって、主キリストに従っていました。鋭い剣とは、闘いのためであり、鉄の杖は、支配の為に使われるものです。そして剣は、神の言葉の比喩です。続いて神様を拒否する人々は、搾り桶のぶどうのように踏みつぶされます。王の王、主の主とありますのは、再臨の時に現わされる、絶対的な権力と力とによって、神様のあらゆる敵に対する普遍的な勝利を収めるお方だということです。

この大宴会は、前にありました花婿なるキリストと花嫁なる教会の婚宴ではありません。別

の裁きにおける神の大宴会です。婚宴は、祝宴であり、もう一方は、荒廃です。世の社会的な地位や立場に関係せず、神様の恵みとキリストの福音を拒む者、逆らう者は、この裁きから逃れることは出来ません。裁かれた人たちの肉が、全ての鳥の主要な食事・正餐とされると預言されています。これをもって、大患難時代は幕を閉じます。イエス様が、十字架上で、私たちの罪の為に死に、死者の中から復活された時に、霊的には勝利は得られています。そしてキリストが再臨される時、実際の戦として、悪の勢力の全滅の時が来ます。

主にある愛する皆さん、再臨のキリストが、やがて神様の時に来られます。全ての悪の勢力

は裁かれ滅びます。その悪の勢力から、私たちの隣人が救い出される為に、委ねられたそれぞれの召し応えて、神様の栄光と救いの為に、御聖霊の力を祈り求めてお仕えしてゆきませんか。

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