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2021.9.12ヨハネの黙示録20 章7~15 節 「命の書と火の池での第二の死」

牧師 松矢龍造


今日の御言葉では、サタンの最終的な完全な敗北と、私たち人間に対する最後の審判が預言

されています。サタンが、一時、底なしの淵から解放されるのは、恐らくサタンに組する悪の勢力が誰であるか明らかにされるためです。

ヨハネの黙示録おけるゴグとマゴグとは、特定の人のことではなく、反キリストの勢力の象

徴的名称です。あるいは神様と神の民に敵対する、この世における、すべての強国を代表する名称でしょう。そしてこのゴグとマゴグの勢力は、イエス・キリストへの信仰と畏れを、地上から抹殺しようとしますが、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くします。サタンが、火と硫黄の池に投げ込まれますと、サタンは二度と誰かを脅かすことはなくなります。

大きな白い御座とは、神様の裁きの座のことです。その権威の偉大さの故に、大きなと言わ

れています。また完全な正義と聖さの故に、白いとも言われています。そして主イエス様は、死と陰府ハデスの鍵を持っておられます。幾つかの書物とは、恐らく、地上での人々の行いを記した書物のことでしょう。そして命の書とは、父なる神様によって救いの為に選ばれた人の名前が書かれていると言われています。人が救われるのは、信仰によって義とされ、行いによるのではありません。しかし救われた後の行いは、その人の神様との本当の関係の確かな証拠として見られます。私たちは、救いという神様の恵み深い賜物によったとしても、忠実な従順と奉仕の責任から解放されるのではありません。むしろ神様の愛と、イエス様の十字架での犠牲と愛に応えて、忠実な従順と奉仕へと向かいたい。感謝と愛を持って応えたいと思い行うことが、救われた者たちのしるしとなります。私たちは、それぞれ自分の知る限り、最高の方法で、キリストに仕えます。

そして最期のある日に、天にある書物が開かれることを意識しながら、毎日を生きることが、救われた者にふさわしいです。第一の死とは、肉体の死のことです。そして第二の死とは、最期の審判の後に有罪となり、火と池に投げ込まれることです。

最後の審判の後の新しい時代には、罪も死も不完全さも、永遠に存在しなくなります。それ

は私たちの心を引き付ける魅力と喜びに満ちています。その命と心の豊かさを覚えて、今の時の艱難を、主にあって忍耐して待ち望むことが出来ますように。神様に愛されている皆さん、キリストを信じて命の書に名が記されているなら、最も素晴らしいことは、これから来ます。

第二の死は、全く恐れる必要がありません。そして命の書に一人でも多くの人々が記される為に、キリストにある感謝と恵みと特権を、隣人に対して、御聖霊の助けを祈りつつ、証ししてゆきませんか。

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