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2022.1.19民数記27 章1~23 節「信仰と使命と土地の継承」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2022年1月19日
  • 読了時間: 8分

牧師 松矢龍造


人は皆、空中携挙した何人かの例外を除き、地上で肉体の死を向かえます。そして信仰と

使命と土地の継承が必要となります。すでに最初の大祭司として召し出されアロンは死に、

息子のエルアザルが、大祭司としての務めを引き継ぎました。そしてモーセも、天に召され

以前ヒルソング・カレッジの学長をされていた人から、継承に関するセミナーの内容をお聴きする機会がありました。その中で、自分はやがて死ぬということが、第一の前提となって意識する必要が語られていました。私もやがて地上の時が終わる時が来ます。また牧師として使命や、希望が丘教会の担任牧師としての使命を受け継がせる時がきます。

そのプロセスは、祈り、選び、育成し、任命し、公然の任職となります。今日の御言葉には、土地の継承における相続法の整備と、モーセの後継者としてのヨシュアの任命が記され

ています。

ヨセフの子のマナセの一族であるヘフェルの子ツェロフハドの娘たちが、臨在の幕屋の入り口にいるモーセと、祭司エルアザル、指導者および共同体全体の前に立って言いました。

3 節4 節「わたしたちの父は荒れ野で死にましたが、主に逆らって集まった仲間、あのコラの仲間に加わりませんでした。彼は自分の罪のゆえに死に、男の子はありませんでした。男

の子がないからといって、どうして父の名がその氏族の中から削られてよいでしょうか。父

の兄弟たちと同じように、わたしたちにも所有地をください。」

通常、財産は父から息子へと受け継がれます。しかし息子がいない場合は、娘たちに分配されました。ただし、父方の部族の男性と結婚することが条件でした。イスラエルの民にとって、カナンの土地を所有するということは、三重に渡って大切なことでした。一つは、主がそれぞれの地境を移してはならないと命じられていたからです。二つ目に、約束の地カナンに土地を得るということは、天の嗣業を得るしるしでした。そして三つ目に、全世界の祝福の基となる使命を担って行く場所にて、その使命を果たして行くための土地の所有でした。

もともと古代イスラエルにおいて、土地の究極的な所有者は、創造主なる神様御自身でし

た。レビ記25 章23 節「土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者

にすぎない。」

そして土地の管理権は、男性の子孫によって継承されました。ところがツェロフハド族には、相続人となる男性が誕生しなかったのです。そこで娘だけの場合は、どうすべきかをモ

ーセは、究極的な所有者である主なる神様の御前に持ち出しました。「持ち出す」と訳され

た原文のヘブライ語は「近づく」あるいは「進み出る」という意味でもありますが、主の御

前に、託宣を受けるべく、進み出ました。

すると主は言われました。7~11 節「ツェロフハドの娘たちの言い分は正しい。あなたは、必ず娘たちに、その父の兄弟たちと同じように、嗣業としての所有地を与えねばならない。

娘たちにその父の嗣業の土地を渡しなさい。あなたはイスラエルの人々にこう告げなさい。ある人が死に、男の子がないならば、その嗣業の土地を娘に渡しなさい。もし、娘もいない場合には、嗣業の土地をその人の兄弟に与えなさい。もし、兄弟もない場合には、嗣業の土地をその人の父の兄弟に与えなさい。父の兄弟もない場合には、嗣業の土地を氏族の中で最も近い親族に与えて、それを継がせなさい。主がモーセに命じられたとおり、イスラエルの人々はこれを法の定めとしなさい。」

今から3500 年前から、男女平等の示しがあることは驚きです。2000 前になるともっとキリストにあってさらに明確になります。ガラテヤの信徒への手紙3 章28 節29 節「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」

続いて、モーセの継承者としてヨシュアが任命されることが続きます。もともとモーセは、

ベニヤミン族であり、御摂理によって、律法では、天の嗣業に預かることが出来ず、救い主

によって、天の嗣業が導かれます。ヨシュアの名前は、「主は救い」という意味ですが、ギ

リシア語に直すとイエスとなります。約束の地は、ヨシュア・イエスによって導かれます。

しかしヨシュアは、エフライム族です。天の嗣業に導くのは、最終的にはユダ族の末なるイ

エス・キリストによって導かれます。ヘブライの信徒への手紙4 章8 節「もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったで

しょう。」

モーセの後継者としてヨシュアが選ばれたのは、その信仰と人格、識見と信頼に足る指導者であったからです。信仰においては、かつて12 部族の長、12 人がカナンに偵察に行った際、10 人は無理と報告したのに、ヨシュアとカレブだけは、主の御心なら必ず所有できると信じ、その一人がヨシュアでした。

また神様の御霊が宿る人でした。18 節「主はモーセに言われた。『霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、』」とあります。新約時代も、神様の御霊の宿

れる人が選ばれている例があります。使徒言行録2 章4 節「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」ローマの信徒への手紙15 章

16 節「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。」

神様に用いられる人は、すべての罪からきよめられ、神様の御旨をわきまえて従い、また上からご聖霊によって、力を着せられた人です。加えて、ヨシュアは、長くモーセと共にいて見習いをし続ける謙虚さを持つ人でした。モーセもまた、その人の個性を破壊することなく、モーセと共に働くことによって育成していました。小事に忠実であり、やがて大事を任

せられます。さらにヨシュアは、目標に向かって進み、かつ人々を大切にする人でした。

しかしモーセの場合は、大祭司アロンに優る立場と権威を持つ者とされていましたが、ヨシュアの場合は、大祭司エリアザルに並ぶとしても、モーセほどの特異な立場は与えられていません。モーセは神様から直接託宣を受けましたが、ヨシュア大祭司エリエゼルの助けを必要しました。エルアザルは、ヨシュアの為に、主の御前でウリムによる判断を求めました。

大祭司は、ウリムとトンミムと呼ばれる小さな道具を使って、神様の意図を知ることが出来

たとされます。しかし実際、どのような道具であったかは不明です。

出エジプト記28 章30 節「裁きの胸当てにはウリムとトンミムを入れる。それらは、アロンが主の御前に出るときに、その胸に帯びる。アロンはこうして、イスラエルの人々の裁きを、主の御前に常に胸に帯びるのである。」ヨシュアは、軍事的な指導者でしたが、大祭司

エリアザルの助言を必要とました。

そして最も指導者として大切なことは、すべて主の命じられた通り行う人であるということです。初代の王サウルは、これに失敗しまた。しかしヨシュアは、主に聞き従う歩を一生いたしました。ヨシュア記24 章15 節「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

さらに新約のヨシュアなるイエス様の姿です。マルコによる福音書14 章36 節「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、

わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

しかし私たち自身は実に弱い者です。ですから、主の御心に絶えず従う為には、主の御名を永遠に呼ぶことがどんな時にも大切です。ジョン・スンファンという方の「私たちが永遠に呼ぶべき名」を受け留めます。「子どもたちは、何か緊急な状況に陥ったとき「パパ、パパ」と大きな声で私を呼びます。その声を聞いて駆けつけると、毎回いろいろな状況が起こ

っています。

本棚から本が落ちそうになっていたり、椅子に足が挟まって動けなくなっていたり、早くトイレに行きたいのに、スボンが、うまく脱げなかったりと、実に様々です。しかし私は『パ

パ』の一言で駆けつけ、子どもたちのために、どんな問題でも解決します。彼らが私を救い

主のように頼り、わたしは彼らを愛しているからです。

しかし彼らが成長するにつれ、私が解決してあげられることは、少なくなっていきます。彼らが私を救い主と信じて呼べなくなることは、さらに増えていくでしょう。ですから、教えてあげたいのです。彼らには、真の救い主が必要であり、いつもその方を呼ばなければならないということを。

そして私は、彼らの永遠の救い主にはなれないけど、ともに主を呼ぶ者となろうと決心していることも。主の御前に、悔い改めのない人生を送りたくないクリスチャンいるでしょうか。しかし、いくら決心して努力しても、倒れて揺らぐのが私たちの人生です。そんなとき

は、主の御名を呼びましょう。主を呼ぶたびに、私たちから弱さが離れてゆき、主が御力を

働かせてくださるでしょう。」

主に愛されている皆さん、使命も土地も、受け継がれて行きます。また全世界を祝福するという使命の継続と、天の嗣業が与えられることも継続してゆくことが必要です。キリスト者として、主にある宣教の使命と天の嗣業をイエス様にあって確信し、信仰の遺産を隣人と後世に遺すことが、ご聖霊によってさらに出来ますように。その為に絶えず主の御名を呼び、従う力を与えられてゆきませんか。

お祈り致します。

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