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2022.1.23ヨハネによる福音書3 章16~21 節「神の御子を信じる人と信じない人」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2022年1月19日
  • 読了時間: 7分

天国と地獄は、架空のものではなく、確かにあります。そして天国だけを語ることも、地獄だけを語ることも、両方がふさわしくありません。天国と地獄を、聖書に基づいて両方語ることが、その存在を真に際立たせます。

また救いと裁きも、両方を語ることを通して、安価に受け留められることを防ぎます。救いだけを語ることも、さばきだけを語ることも、その意味を下げてしまいます。そして神様の愛と、神様の義においても、両方語ることによって、キリストの十字架と復活が真に深みを持ちます。神様の愛だけ語ることも、義だけを語ることもふさわしくありません。

今日の御言葉においても、御子を信じる者と、信じない者の両方と、その結果における永遠の命と、滅びの両方を語ることが、ふさわしい説教となります。

今日の御言葉にあります3 章16 節は、聖書の救いに関する凝縮された聖句として有名です。「これは人間の唇に上がった最上の言語である」と言った人がいます。また「これは極小な部屋に納められた絶大な富である」と言った人もいます。そして、「これは福音の全部を、ただ一句に約したものである」と言われる人もいます。

他にも大伝道者ムーディは「ただこの一句さえ残れば、聖書全体は失われても、なお救いの何たるかをわきまえることができる」と言いました。また宗教改革者マルチン・ルターは「これは聖書の縮図、また小さき福音書である」と言いました。そして同志社大学の初代学長であった新島襄は「これは新約聖書の富士山ある」と言いました。

いずれにしも、この3 章16 節が与えられていることは、まさに感謝であり、私たちカンバーランド長老教会の信仰告白の中心聖句でもあります。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この御言葉は、文脈上は、前回のニコデモに対するイエス様の言葉の一部とするなら、イエス様が言われた救に関する要約と言えます。同時に、この世界と人類に対して、このヨハネによる福音書の著者として用いられた使徒ヨハネが、大きな救いのテーマを述べている聖句でもあります。

この聖句を巡って、二つの不思議があります。一つは、原罪を持った罪人なる私たち世を、なお創造主なる神様が愛しておられることです。そしてもう一つは、世の人が暗闇を愛して、せっかく神様から賜った独り子を拒むという不思議です。

さらに言えば、この神の御子を巡って、人類は二つに分けられてしまいます。一つは、御子を信じて滅びを免れ、永遠の命を得る者です。そしてもう一つは、御子を拒み続けて、罪からくる報酬は死として、地獄で滅んでしまう人です。まさに神様の愛と裁きが両方語られています。

17 節「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」神様は本来、私たち人類がひとりも滅びることを望んでおられません。

独り子なるイエス様を、全人類にお与えになったという事実が、父なる神様の愛の広さ、高さ、長さ、深さを物語っています。いわば神様の無限の愛、永遠の愛の表われです。

旧約聖書エレミヤ書31 章3 節「遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」

新約聖書テモテへの手紙一2 章4 節「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」

新約聖書マタイによる福音書18 章14 節「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

ヨハネによる福音書は、しばしば終末を現在化して語る書簡です。それは現在終末論と呼ばれています。18 節「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。」天から派遣された神の御子を拒絶することが、すでに現実の裁きとして語られています。

信じない者とは、完全にイエス様を拒絶して無視する人のことであり、一時的に疑っている人のことではありません。変えられたくないと思い続けている人のことです。19 節「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。」終末の時を待つまでもなく、人々は光よりも闇を愛したということが、すでにさばきなのです。現在の不信仰な態度が、将来の罰を招くと言うのではなく、すでにさばきなのです。ローマの信徒への手紙1 章28 節「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。」

滅びとは、罪の刑罰としての永遠の滅亡のことです。「滅び」と訳された原文の言葉は「無駄になる」「滅びつつある」「滅びようとしている」という意味でもあります。人生が全て無駄になる。滅びようとしているのです。ならば、先に御子を信じて救われた人たちは、光のうちに生きることが、どんなに良いことであるかに、人々が気づくように祈り続け、証し続けることが、私たちの使命です。

20 節「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。」当時のユダヤ思想は、救い主・メシアの降臨の目的は、もっぱら万国民の審判の為と考えていました。しかし神の御子の最初の降臨の目的は、世を救う為でした。ですからユダヤ思想に捕らわれている人は、神の御子の救いの光を憎むのです。

またキリスト教の異端であったグノーシス主義も世の光なるキリストのもとに来ません。義を問わず、放縦を続けるか、自分の義を主張する為に禁欲主義となります。放縦主義と禁欲主義は、真逆なようで、キリストの救いの光と義を拒む点では共通しています。21 節「しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」ニコデモは、イエス様との対話の中で、闇の中からイエス・キリストを知り信じるという、真の光へと生まれ出たに違いありません。すると光のもとに来て、神様の栄光が現わされてゆきます。

ニコデモは、ご聖霊、御子、御父と三位一体の真理が導かれてゆきます。御父と御子と御霊の業は、区別はされますが、分離されることがありません。御霊によって、御子と御父を見い出し、御子にあって、御父と御霊を見い出し、御父にあって、御子と御霊を見い出します。

真理を行う者は光に来ますが、神の愛を拒絶し、御子の光を憎む者は、闇に行きます。そして真理を拒む者は、うそを愛し、その業を汚し、その人自身を滅ぼします。だから、誰においても、キリストの真理が支配しなければなりません。私たちは、光と闇のどちらを愛するのでしょうか。光を愛したいと願いながら、実際は闇を愛する生活をしてしまうのが、人間の罪の闇です。

イエス様だけが、私たちを救うことが出来ます。イエス様を信じるとは、イエス様を信頼し、イエス様にすがり、イエス様を頼りにするということです。そして私たちの計画や永遠の運命を、主キリストに任せることです。あなたも、父なる神様の愛を、キリストにおいて、さらに見つめて行きませんか。

最後に、キム・ドンホという方の「聖さを失えば、すべてを失う」という内容を受け留めます。「韓国の初代教会は、人数も少なく微弱でしたが、正直で純潔でした。そして謙遜でした。この点は、神様をよく知らない世の人々にも認められていました。世の人々は『イエスを信じれば正直になれるのだ。人を騙したり、自分の利益のために人を利用したりしないのだな』と考え、イエス様を信じている人々を信頼していました。

しかし最近は、その大切な信仰の遺産が失われています。聖さを軽んじてきたからです。もちろん私たちは完全にはなれません。完全に聖くなることもできません。どんなに決心しても、私たちは失敗して倒れてしまいます。しかし倒れたとしても、聖さのために、神様に似るために、御心を知るために、あがく努力は、必要なのではないでしょうか。

倒れたなら、痛いと言って泣けばいいのです。悔い改めればいいのです。そして、もう一度キリストの十字架を掴んで進めばいいのです。しかし、聖さを失ってしまうと、神様に似ることができません。神様のみこころを読み取ることができません。世の欺きに倒れてしまいます。罪から離れなさいという、みことばを軽く聞き流さず、今日、自分自身に与えられた。みことばとして受け留めましょう。

鴨は、水上にいるとき、毛にある油分のために、羽に水が染み込みません。そのように、私たちが罪に満ちた世界に生きていても、キリストによって聖くされ、神様のみこころを読み取ることができるなら、世の人々に影響されず、神様の栄光を現わすことかできるでしょう。」

神様に愛されている皆さん、キリストの救いと光を信じて、キリストによって聖くされ、神様の御心を、日々聖書の御言葉によって読み取り、悪しき世に影響されず、神様の栄光を、ご聖霊って現わして生きませんか。

お祈り致します。

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