2022.1.5~1.6年頭祈祷会_エフェソの信徒への手紙2 章14~22 節
- CPC K
- 2022年1月6日
- 読了時間: 9分
更新日:2022年1月9日
「神の家族・神の住まい」
牧師 松矢龍造
起
今年は、新たな五ヵ年宣教計画の三年目です。この五年間の宣教基本姿勢は「御聖霊による神の国の文化の浸透」です。そして今年は「交わり強調」の年です。教会標語は「神の愛に生きる信仰の家族」です。さらに年度課題は三つで、「子どもたちとの愛の交わり」「キリストとの愛の交わり」「全世代との愛の交わり」です。
承
先ず五か年の宣教基本姿勢である「御聖霊による神の国の文化の浸透」ですが、神の国の文化あるいは、天国文化とはなんでしょうか。アメリカのベテル教会の主任牧師であるビル・ジョンソンという方が、著書と共に「天国文化」ということを広めたと言われています。ビル・ジョンソン牧師は、天国文化が教会にあれば、その文化が、教会が置かれた地域に浸透して行くと言われています。
文化とは、生活習慣が、そこにいる共同体全体に広がっていった時になるものです。その神の国の文化・天国文化の特徴は、今年の「交わり強調」とも深く関係しています。神の国の文化・天国文化の特徴は、少なくても以下の七つの要素があります。
第一に、神の国と神の義を先ず求める文化です。第二に、神様と隣人を愛する文化です。第三に、キリストに倣う文化です。第四に、関係と一致を大切にする文化です。第五に、委ねられた賜物を神様の栄光の為に用いる文化です。第六に、主を恐れ敬う知恵を第一とする文化です。第七に、地の塩、世の光として生かされ生きる文化です。
私たちが、主の栄光を共に受け、主にあって一つとされる時、世は私たちが、神の民であることを認め、そして引き付けられます。ご聖霊によって、このような神の国の文化が浸透する五か年となりますように。
転
キリストの愛を抑えつけてしまう第一の方法は、自分が好む人々とだけ仲良くすることだと言われています。ユダヤ人は、自分たちの隣人は、同胞の人々だけであり、異邦人は隣人となっていませんでした。しかしこれは、ユダヤ人だけでなく、全ての人類の問題となっています。人種、肌の色、抑圧と差別は、どの国にもあります。そして教会の課題でもあります。
イエス様のたとえ話の一つに、良きサマリア人の譬えがありました。ユダヤ人にとって、サマリア人は異邦人であり、敵対関係にありました。ところがユダヤ人の人が、道で追いはぎに遭い、半殺しの目にあいましたとき、同胞の祭司とレビ人は、道の反対側を通って、傷ついた同胞の人々と関係を持たずに通り過ぎていきました。しかし敵国であったサマリア人は、ユダヤ人で傷ついている人を介抱しました。
この良きサマリア人として例えられたのは、イエス様のことで、傷ついた人が、私たち一人一人であったと解釈されています。キリストは、罪人であり、弱く、敵であった私たちの一人一人を愛して、十字架で身代わりとなって死んで下さいました。キリストこそ、私たちの平和です。神様と私との間の平和、隣人と私との間の平和もキリストです。神の家族、それは、キリストによる贖いと救いによって、同じ神の子とされ、神の家族とされた者たちのことです。それは、自分が好む人とだけ仲良くすることを越えています。
交わりの基本は、キリストとの交わりです。このキリストから愛と平和を頂くことが、交わりの出発点です。年度課題の一つに「キリストとの愛の交わり」が入れられているのは、このことの故です。人との交わりが空しくならず健全なものになるためには、先ず主イエス様との愛の交わりが大切です。主と交わることなく、人と交われば、争ったり、さばいたり、ゴシップ話となってしまいます。
逆にキリストと交わっただけで、人と交わることがなければ、独善や孤立に陥ります。交わりの専門家であるディートリッヒ・ボンヘッファーは、次のように言われています。「ひとりでいることなしに交わりを望む者は、言葉と感情の虚しさに陥り、交わりなしに、ひとりでいることを求める者は、虚栄心と自己陶酔の絶望の深みに落ちて滅びるのである。」
子どもたちとの交わりであっても、また大人たちとの交わりであっても、主キリストと先ず日毎に交わり、キリストに愛されている恵みをもって、他者と交わることを大切にしてゆきます。私たちは、先ず存在を、あるがままで、そのままで主イエス様から愛されています。その愛に応えて、隣人の存在を、あるがままで、そのままで愛し、時に慰め、時に励まし、時に戒め合うことが、出来ますように。日々、祈りと御言葉を通して先ず神様と交わり、そして隣人との交わりが祝されることになりますように。
ヨハネの手紙一1 章3節4 節「わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。」
次に、年度課題のもう一つは「子どもたちとの愛の交わり」です。今年からBCGJKM 祈りのサポーターを実施してゆきます。BCGJKM とは、ボーイスカウト、教会学校、ガールスカウト、中高科、こひつじの会、めぐみ幼児園、それぞれの頭文字を結びつけたものです。希望が丘教会の特徴の一つは、子どもたちへの教育宣教です。子どもたちは、将来の教会と地域と国を担う大切な存在です。
主イエス様は、群衆の中で、子どもたちを群れの中心に据えておられました。皆様には、BCGJKMのどれかの祈りのサポーターとなって頂きたいのです。もちろん複数の祈りのサポーターとなって頂くことも可能です。それぞれの子どもたちの為に先ず祈って頂き、神様に示されたなら、献金を献げてくださったり、活動に参加してくださったりして頂きたいのです。
それぞれの部門への参加に関しては、BCGJKM の各代表に問い合わせ頂くことになっています。ある方は、祈りの課題を知る為に、教会学校の教師会に参加したりされている例があります。子どもたちの救いと成長の為に、主にあって、皆様の祈りを強化して頂けますように。
哀歌2 章19 節「立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て、水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ、あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。」
さらに教会の交わりは、子どもたちだけに止まりません。全世代の人々が対象です。昨年の終わりに、ある会社の代表が、宇宙ステーションに行ったことが話題となりました。宇宙飛行士の訓練の一つに、孤独に耐えるというものがあるそうです。隔離されたカプセル型の宇宙船の模型の中へ、ひとりずつ入り、そこで何日間か生活します。するとたいていの人は、やがて気力を失い、寂しさが不安を生んで、不眠が続き、ひどくなると人によっては幻覚が起こったりするそうです。孤独は、人間を異常にしてしまうことが分かる例です。
ある方がこのように言われていました。「近頃、高層マンションや団地などで、孤独から心や精神に異常をきたして悩む人が増えていると聞きます。主婦の方が、朝、夫と子どもを送り出し、夕方までひとりで部屋に閉じこもっているとしたら、毎日、孤独のカプセルにいるようなのかもしれません。
若者や小中学生が、生きる気力を失い、追い詰められてしまう状況には、深い孤独が潜んでいると考えられます。孤独は、ひとりという状況に生まれるだけでなく、人が大勢いても、忍び寄るもので、場所だけの問題ではなく、心の深刻な問題であると思います。」
年度課題のもう一つは「全世代との愛の交わり」です。交わりと祈りを必要としているのは、子どもたちだけでなく、青年、壮年、婦人、グランド世代など全ての人々です。そして多くの人々は、聴く耳と心を求めています。また宣教に関しても、キリストの福音を伝える為には、先ず、つながりや交わりに価値を見いだすことが必要です。人々は、信じる前に居場所を見つけます。
社会から嫌われていた取税人ザアカイの例では、イエス様はザアカイの家で先ず食事をなさいました。ザアカイは、イエス様に出会って自分の居場所を得、そして彼の人生は、イエス様によって変えられました。私たちは、その人に居場所を与える前に、真理を伝えようとします。しかし私たちも人々に、先ず居場所を与えることが重要です。
礼拝も重要ですが、日曜日や平日においても、大切な人々が、つながっているか、愛されているかを大切にすることが重要です。家族のような関係になると、そのつながりは強いものとなります。イエス様を信じる前に起きたことです。先ず関係を築くことが大切です。「Welcome Home」これは、「ありのままで来てください」ということでもあります。このことは、スローガンというより、私たちの心であり、信じている文化となりたいのです。コロナ禍の中でも、ネットでさらに多くの人々と、つながることができました。私たちは、人々に悔い改めて主イエス様の福音を信じて救われて欲しいと思いますが、それは愛の関係の中で起こります。つながること、交わること、居場所を大切にしながら、キリストの福音を証ししてゆく年となりますように。ローマの信徒への手紙12 章15 節「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
結
主イエス様は、「わたしは、あなたがたを捨てて、孤児にはしません」と言われました。ヨハネによる福音書14 章18 節。また「見よ、わたしは世の終わりで、あなたがたと共にいます」と復活されたイエス様が言われました。マタイによる福音書28 章20 節。さらにヘブライ人への手紙13 章5 節では「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われています。イエス様は、十字架上で、父なる神様から見捨てられるという深い孤独を経験されました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになられたのですか」。それは、私たち一人ひとりの罪の身代わりとなって、十字架で死なれるためで
した。これは、究極的な孤独を受けられたイエス様が、私たちの孤独の深みを理解されて、「私はあなたの、孤独のつらさがよくわかる」と受け留められる為でもありました。
どんな時も、見捨てず、共にいてくださる。このキリストの愛と確かな温もりの中で一致を保ち、私たちも、神様の家族として、ご聖霊によって住まいとなってゆく、年とならせて頂きませんか。最期にヨハネによる福音書17 章22~23 節による大祭司イエス様の祈りを持って閉じます。「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」
お祈り致します。

コメント