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2022.10.12箴言 1 章 8~19 節 「主にある父母の諭しと教え」

  • 執筆者の写真: CPC K
    CPC K
  • 2022年10月29日
  • 読了時間: 8分

牧師 松矢龍造


前回から、箴言の連続講解説教となっています。箴言のおもな舞台は、エルサレムにありますソロモンの王宮でした。シェバの女王は、ソロモンの知恵を聞き付けて、それを試しに訪問した際も、その場所は、エルサレムにありますソロモンの王宮でした。

ソロモンが国を治めていた 40 年間は、エルサレムには平和と繁栄があり、知恵文学を記して行く時間と余裕がありました。そして、世界中から、その知恵を求めて来る人々がいました。その一例がシェバの女王です。

列王記上 10 章 1~9節「シェバの女王は主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。彼女は極めて大勢の随員を伴い、香料、非常に多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来た。

ソロモンのところに来ると、彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせたが、ソロモンはそのすべてに解答を与えた。王に分からない事、答えられない事は何一つなかった。

シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官、それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった。

女王は王に言った。『わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じてはいませんでした。しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。

あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立ってあなたのお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう。あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです。』」

イスラエルでは、神様からの知恵は、おもに主にある父と母を通して子どもに伝えられました。8 節 9 節「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。それらは頭に戴く優雅な冠、首にかける飾りとなる。」

頭に戴く優雅な冠、首にかける飾りとは、二つの意味があるでしょう。一つは、その諭しと教えを、絶えず身に着けて何度も繰り返し覚えて、身につけるようにするということです。申命記 6 章6~9 節「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」

そしてもう一つは、優雅な冠のように、知恵ある生き方は、誰の目にも、明らかで美しいということでもあります。

ですから、小さな皮袋に知恵の一部を入れて身につけ、御言葉を絶えず覚え覚える。そして生活化して身につける。この両方のことを言っているのでしょう。

諭しや教えと言ったとき、私たちの行いは、言葉よりも雄弁です。家庭では特にそうです。子どもは、親が、どのように行動し、反応するかを、観察しながら、価値観と道徳観を学びます。もし親が、神様に対する深い尊敬と信頼を示すなら、子どもは、それらの態度をくみ取ります。

10 節「わが子よ、ならず者があなたを誘惑しても、くみしてはならない。」父母が家庭で諭と教えを身に着けさせても、外に出れば、ならず者が、子どもたちを誘惑してきます。ならず者とは、神様に背を向けて、律法に従わない人のことで、その罪は死に至ります。またならず者や愚かな者とは、主が与えてくださるものよりも、自分の欲望に従ったほうが、幸福になると思っている人のことです。

罪人は、自分だけが罪を犯すのではなく、徒党を組むことを本性としています。ことわざの一つに「あなたの交わる友を示してください。私は、あなたに、あなたの人となりを告げます」とあります。

11~14 節「彼らはこう言うだろう。『一緒に来い。待ち伏せして、血を流してやろう。罪もない者をだれかれかまわず隠れて待ち、陰府のように、生きながらひと呑みにし、丸呑みにして、墓穴に沈めてやろう。金目の物は何ひとつ見落とさず、奪った物で家をいっぱいにしよう。』」

人を陥れ、不正をなして、短時間に富を得る。この世の支配者である悪魔の誘惑、人間の内なる欲望の声です。罪は、繁栄や快楽への近道を提供します。そして人々に仲間入りができるように感じさせますので、魅力的です。

これに対して、イエス様は、たとえ全世界を手に入れても、この命を損じたら、何になるかと言われています。マタイによる福音書 16 章 26 節「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」

15 節「わが子よ、彼らの道を共に歩いてはならない。その道に足を踏み入れるな。」私たちの前には、絶えず命と滅びの道の二つがあります。マタイによる福音書 7 章 13 節 14 節「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

16 節 17 節「彼らの足は悪事に向かって走り、流血をたくらんで急ぐ。翼あるものは見ている。網を仕掛けるのは徒労だ。」

鳥や小動物は、罠を使って捕えます。しかし鳥や小動物の見ている前で、罠を仕掛けていると、見破られて無駄になります。それと同じように、不当な利益を求めることは、徒労に終わるという意味だと考えられます。

しかしそもそも盗みや貪りは、主の律法に反します。出エジプト記 20 章 15~17 節「盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」そして盗みのような罪も、最後には、殺人のような大罪に至ることが示されています。

18 節 19 節「待ち伏せて流すのは自分の血。隠れて待っても、落とすのは自分の命。これが不当な利益を求める者の末路。奪われるのは自分の命だ。」

歴史的には、旧約時代の、エジプト、アッシリア、バビロン、ギリシア、ローマ帝国の末路を思います。また近世では、ヒットラーとナチス、日本の軍国主義を思います。そして現在で言えば、イラクのクエート侵攻、ロシアのウクライナ侵攻、中国の香港や台湾やウイグル地区への弾圧、ミッヤンマーや、イラクでの政治的クーデターを思います。

これらは、みな待ち伏せして流すのは、最終的には、自分の血であり、落とすのは自分の命です。個人レベルでも、他の命を狙い、不当な利益を得る者の末路も然りです。それは、審判主にして、復讐をなされる、義なる主がおられるからです。

ですから、そうならない為に、主にある父と母の諭と教えを疎かにしてはなりません。主は、父母、預言者、使徒、伝道者、牧師、教師を用いて、ご聖霊によって語られます。それらを疎かにしてはなりません。

知恵は、親から子へ、年配者から若者へ、神の御言葉を受けた者から、他の人へと伝えられてゆきます。父と母の諭しと教えとは、愛ある者に従えということでもあります。主の愛、父母の愛、師の愛に基づく諭しと教えを、ご聖霊と共に、学び、理解し、修得します。

さらに悪い人の誘惑を断固として拒絶する覚悟を持つことが必要であり、その悪しき者のところに留まっていてはなりません。詩編 1 編 1 節 2 節「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。」

私たちは、特別に学問をしたことがない多くの素朴な人々が、非常に賢い忠告をし、鋭い洞察をし、出来事を懸命に観察し、直観力を持っている人を知っているのではないでしょうか。それらは、全て主なる神様を恐れ敬うことに基づいています。

新約聖書では、神様を恐れ、悔い改め、キリストを信じ、そして知恵を祈り求めることです。ヤコブ書 1 章 5~7 節「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。

疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいだけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。」

あらゆる人間関係においても成功するようになるには、先ず親子関係を見直し、洗い直すことが必要です。この親子関係で成功すると、その他の人間関係でも成功するようになります。その為には、先ず主を恐れ敬うことが、基礎であり、土台です。1 章 7 節「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」

麗しい人間関係は、花輪や首飾りのようです。ある方が、それをハワイで受ける花輪や首飾りをたとえとしていました。それは好意と愛に包まれて、うっとりとします。主を恐れ敬い、主にある父と母の諭しと教えに、ご聖霊にって従い、麗しい人間関係を築いて行きませんか。

最後に、詩篇 133 編 1 節「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」お祈り致します。

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