牧師 松矢龍造
起
私たちの人生における道には、心を騒がせてしまうことが起こりえます。親しい人の死に
直面したり、自分自身の死期が近づいて来たりした時、私たちは、心を騒がせるのではない
でしょうか。イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から、地上を去られる日が近いことを
聞かされて、心を騒がせ、動揺しました。
新共同訳聖書では「心騒がす」と訳された原文の言葉は「心を乱す」あるいは「不安を感
じさせる」「動揺させる」という意味でもあります。他の聖書訳では「心配する」あるいは
「あわてる」と訳しているものもあります。
ですから今日の御言葉の冒頭の14章1節でイエス様は弟子たちに言われました。「心を
騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」私たちが、心が不安にな
り、心騒ぐ時、最も必要なことは、父なる神様と御子 イエス様に、信仰的、霊的に、結びつき、信頼することです。
承
今日の御言葉である14章~16章は、十字架の死の直前として、イエス様が告別説教をな
された内容となります。ある方は、これをキリスト伝の至聖所と表現して、イエス様が語ら
れた中で、最も奥深い教えであると言っています。
特に、イエス様は、天の父なる神様に至る道であると言われています。トマス・ア・ケン
ピスという方が次のように言われています。「道がなければ、歩くことができない。真理が
なければ、知ることができない。いのちがなければ、生きることができない。」
さらに聖ベルナルドという方も、イエス様が道であることを次のように言われていました。「彼は道であるから、わたしたちは、愛によって歩むのである。また彼は、真理であるから、わたしたちは、信仰によって彼にすがるのである。また彼はいのちであるから、私たちは、希望によって彼に、あこがれるのである。」
イエス様が、道であり、真理であり、命であることと、使徒パウロが言われた、愛と信仰
と希望の三つを、合わせています。
転
それでは、14章2節をもう一度。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなけ
れば、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」
ここで「わたしの父の家」とは、天の御国・天国のことです。十字架にかけられて陰府に
降り、復活されたイエス様は、天に昇られ、天の御国に行かれました。そして、イエス様を
信じる人たちと、父なる神様が共なる場所を、備えに行かれます。
3節「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしの
もとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
ある聖徒が天国について次のように言われています。「天国は、備えられたる人民の為に、備えられたる場所である。」そこは死もなく悲しみも絶望も動揺することもない場所です。ヨハネの黙示録21章1~4節「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最
初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を
整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りか
ける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の
民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って
くださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったか
らである。」
天の御国において、イエス様を信じる神の民が、父なる神様と共なる場所を、イエス様は
用意する為に、陰府に降られて後、復活されて天に昇られました。そして用意されたら、世
の終末の時に、地上に戻って来られます。そして神の民を、天の御国に迎え入れて、御父と
御子イエス様と共に、永遠に共に過ごしてくださいます。
4節5節「『わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。』トマスが言っ
た。『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知る
ことができるでしょうか。』」
トマスは、疑い深い弟子として後にも、その名が出てきます。トマスは、イエス様が行か
れる場所が天の御国とは 思えず、地上のどこかの場所に行かれるものと、勘違いをしていました。
6節「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らな
ければ、だれも父のもとに行くことができない。』」
イエス様こそが、私たちが神の真理を学び、神と共にある命を見出すための、道であると
言われています。そして父なる神様の御もとへ至る道であり、イエス様以外の道を通っては、父なる神様の御もとに行くことが出来ません。もっと言えば、イエス様は、永遠の命に至る門であり、神の御子・救い主なるイエス様に以外に、父なる神様の御もとに行く道は、他にありません。
使徒言行録4章12節「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救わ
れるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
7節「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、
あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
イエス様の言葉と教え、また御業と奇跡は、イエス様をお遣わしになられた父なる神様の、言葉と教え、また御業と奇跡と同じなのです。
8節「フィリポが『主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます』
と言うと、イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分か
っていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、【わたしたちに御父をお示しく
ださい】と言うのか。』」
フィリポは、かつてシナイ山で、モーセが雷の中で、主と出会ったように、自分にもその
ように示されるのではないかと思っていたかもしれません。しかしイエス様が、示された父
なる神様は、日常のキリストの姿の中に、父なる神様の本質を見るというものでした。すで
にヨハネによる福音書では、冒頭から、父なる神様を、誰も肉眼で見ることは出来ないけれ
ども、イエス様を通して、その本質が分かると言われてきました。
1章18節「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、
この方が神を示されたのである。」
他にもヘブライ人への手紙1章3節「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な
現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清めら
れた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」
ヨハネによる福音書14章10節11節「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられ
ることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな
い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」
御子が父なる神様の内におられ、父なる神様が御子の内におられるとは、御父と御子の一
体性を表現しています。またその権限と御業においても、同等であることの示しです。
12節「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっ
と大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」
イエス様が地上でなさっておられた御業を、弟子たちも行えるようにされ、さらに天に昇
られたイエス様は、さらに大きな業を、御自身の僕たちが行うようにされます。ご聖霊の降
臨後に、使徒ペトロが神の国の福音を語ると、一日で、3千人ほどの人々が、イエス様を信
じで回心しました。
近世においては、ジョン・ウェスレー、ホイット・フィールド、フィニー、ムディー、ビ
リーグラハムなど、数万人、数十万人が、救い主なるイエス様を信じる御業が行われてきま
した。
13節14節「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は
子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえて
あげよう。」
イエス様の御名による祈りは、あたかも、イエス様ご自身が祈られたように聞かれるので
す。ただし、神の目に喜ばれることのみを願う時に叶えられます。すなわち、主イエス様の
御思いと、ご意志に沿って願うときに叶えられます。そして大きな栄光が、父なる神様に帰
されます。
神の御心にかなう内容は、神様に栄光を帰し、人類の祝福となり、自分自身の霊的な益と
なることを求めることが、少なくても言えます。さらに言えば、キリストの御名によって祈
り求める為には、キリストとの親しい交わりの中に生きなければなりません。そうでなけれ
ば、主がどのような態度を取られるかが、分かりようがありません。
主イエス様との霊的な距離が、近ければ近いほど、私の願いが、主イエス様の願いと同じ
ものになってゆきます。そして心から神様に従い、神様の御心を求めるなら、私達の願いが、神様の望んでおられることと一致し、神様は、それを叶えてくださいます。一言で言えば、主イエス様が求められることは何でも祈りなさい。そうすれば、祈りは叶えられます。
ヨハネによる福音書15章16節「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
ヨハネの手紙一5章14節「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は
聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」
結
主イエス様こそ、道であり、真理であり、命です。主イエスのみが、父なる神様と、天の
御国に至る道です。そしてイエス様の御名によって、主のみこころを祈るなら、父なる神様
は、必ず実現してくださいます。全てを、主イエス様の御名によって、ご聖霊を求め、祈り、信じ、従ってゆきませんか。お祈り致します。