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2022.11.27ヨハネによる福音書14章1~14節「イエス様は天の父なる神様に至る道」

牧師 松矢龍造



私たちの人生における道には、心を騒がせてしまうことが起こりえます。親しい人の死に

直面したり、自分自身の死期が近づいて来たりした時、私たちは、心を騒がせるのではない

でしょうか。イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から、地上を去られる日が近いことを

聞かされて、心を騒がせ、動揺しました。

新共同訳聖書では「心騒がす」と訳された原文の言葉は「心を乱す」あるいは「不安を感

じさせる」「動揺させる」という意味でもあります。他の聖書訳では「心配する」あるいは

「あわてる」と訳しているものもあります。

ですから今日の御言葉の冒頭の14章1節でイエス様は弟子たちに言われました。「心を

騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」私たちが、心が不安にな

り、心騒ぐ時、最も必要なことは、父なる神様と御子 イエス様に、信仰的、霊的に、結びつき、信頼することです。


今日の御言葉である14章~16章は、十字架の死の直前として、イエス様が告別説教をな

された内容となります。ある方は、これをキリスト伝の至聖所と表現して、イエス様が語ら

れた中で、最も奥深い教えであると言っています。

特に、イエス様は、天の父なる神様に至る道であると言われています。トマス・ア・ケン

ピスという方が次のように言われています。「道がなければ、歩くことができない。真理が

なければ、知ることができない。いのちがなければ、生きることができない。」

さらに聖ベルナルドという方も、イエス様が道であることを次のように言われていました。「彼は道であるから、わたしたちは、愛によって歩むのである。また彼は、真理であるから、わたしたちは、信仰によって彼にすがるのである。また彼はいのちであるから、私たちは、希望によって彼に、あこがれるのである。」

イエス様が、道であり、真理であり、命であることと、使徒パウロが言われた、愛と信仰

と希望の三つを、合わせています。


それでは、14章2節をもう一度。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなけ

れば、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」

ここで「わたしの父の家」とは、天の御国・天国のことです。十字架にかけられて陰府に

降り、復活されたイエス様は、天に昇られ、天の御国に行かれました。そして、イエス様を

信じる人たちと、父なる神様が共なる場所を、備えに行かれます。

3節「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしの

もとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」

ある聖徒が天国について次のように言われています。「天国は、備えられたる人民の為に、備えられたる場所である。」そこは死もなく悲しみも絶望も動揺することもない場所です。ヨハネの黙示録21章1~4節「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最

初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を

整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りか

ける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の

民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って

くださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったか

らである。」

天の御国において、イエス様を信じる神の民が、父なる神様と共なる場所を、イエス様は

用意する為に、陰府に降られて後、復活されて天に昇られました。そして用意されたら、世

の終末の時に、地上に戻って来られます。そして神の民を、天の御国に迎え入れて、御父と

御子イエス様と共に、永遠に共に過ごしてくださいます。

4節5節「『わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。』トマスが言っ

た。『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知る

ことができるでしょうか。』」

トマスは、疑い深い弟子として後にも、その名が出てきます。トマスは、イエス様が行か

れる場所が天の御国とは 思えず、地上のどこかの場所に行かれるものと、勘違いをしていました。

6節「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らな

ければ、だれも父のもとに行くことができない。』」

イエス様こそが、私たちが神の真理を学び、神と共にある命を見出すための、道であると

言われています。そして父なる神様の御もとへ至る道であり、イエス様以外の道を通っては、父なる神様の御もとに行くことが出来ません。もっと言えば、イエス様は、永遠の命に至る門であり、神の御子・救い主なるイエス様に以外に、父なる神様の御もとに行く道は、他にありません。

使徒言行録4章12節「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救わ

れるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

7節「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、

あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

イエス様の言葉と教え、また御業と奇跡は、イエス様をお遣わしになられた父なる神様の、言葉と教え、また御業と奇跡と同じなのです。

8節「フィリポが『主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます』

と言うと、イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分か

っていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、【わたしたちに御父をお示しく

ださい】と言うのか。』」

フィリポは、かつてシナイ山で、モーセが雷の中で、主と出会ったように、自分にもその

ように示されるのではないかと思っていたかもしれません。しかしイエス様が、示された父

なる神様は、日常のキリストの姿の中に、父なる神様の本質を見るというものでした。すで

にヨハネによる福音書では、冒頭から、父なる神様を、誰も肉眼で見ることは出来ないけれ

ども、イエス様を通して、その本質が分かると言われてきました。

1章18節「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、

この方が神を示されたのである。」

他にもヘブライ人への手紙1章3節「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な

現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清めら

れた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」

ヨハネによる福音書14章10節11節「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられ

ることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな

い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」

御子が父なる神様の内におられ、父なる神様が御子の内におられるとは、御父と御子の一

体性を表現しています。またその権限と御業においても、同等であることの示しです。

12節「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっ

と大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」

イエス様が地上でなさっておられた御業を、弟子たちも行えるようにされ、さらに天に昇

られたイエス様は、さらに大きな業を、御自身の僕たちが行うようにされます。ご聖霊の降

臨後に、使徒ペトロが神の国の福音を語ると、一日で、3千人ほどの人々が、イエス様を信

じで回心しました。

近世においては、ジョン・ウェスレー、ホイット・フィールド、フィニー、ムディー、ビ

リーグラハムなど、数万人、数十万人が、救い主なるイエス様を信じる御業が行われてきま

した。

13節14節「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は

子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえて

あげよう。」

イエス様の御名による祈りは、あたかも、イエス様ご自身が祈られたように聞かれるので

す。ただし、神の目に喜ばれることのみを願う時に叶えられます。すなわち、主イエス様の

御思いと、ご意志に沿って願うときに叶えられます。そして大きな栄光が、父なる神様に帰

されます。

神の御心にかなう内容は、神様に栄光を帰し、人類の祝福となり、自分自身の霊的な益と

なることを求めることが、少なくても言えます。さらに言えば、キリストの御名によって祈

り求める為には、キリストとの親しい交わりの中に生きなければなりません。そうでなけれ

ば、主がどのような態度を取られるかが、分かりようがありません。

主イエス様との霊的な距離が、近ければ近いほど、私の願いが、主イエス様の願いと同じ

ものになってゆきます。そして心から神様に従い、神様の御心を求めるなら、私達の願いが、神様の望んでおられることと一致し、神様は、それを叶えてくださいます。一言で言えば、主イエス様が求められることは何でも祈りなさい。そうすれば、祈りは叶えられます。

ヨハネによる福音書15章16節「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」

ヨハネの手紙一5章14節「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は

聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。」


主イエス様こそ、道であり、真理であり、命です。主イエスのみが、父なる神様と、天の

御国に至る道です。そしてイエス様の御名によって、主のみこころを祈るなら、父なる神様

は、必ず実現してくださいます。全てを、主イエス様の御名によって、ご聖霊を求め、祈り、信じ、従ってゆきませんか。お祈り致します。


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