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2022.12.14 箴言 3 章 13~20 節 「主の知恵と英知と知識」

牧師 松矢龍造

今日の御言葉は、神様からの知恵がもたらす、長寿や富、名誉や平和といった益を、まとめている知恵の賛歌となっています。また神様からの知恵を得る者の幸いが語られています。3 章 1 節「いかに幸いなことか、知恵に到達した人、英知を獲得した人は。」

冒頭の「いかに幸いなことか」と始まる内容は、新約聖書で、主イエス様が山上の説教で語られた8福の教えに影響を与えていると言われています。マタイによる福音書 5 章 3~12 節「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

旧約聖書の記述の仕方は、物資的な神様からの祝福が表面に語られ、その中に十字架と復活という霊的な祝福が内包されています。逆に新約聖書では、表面に十字架と復活という霊的な祝福が語られ、その中に物質的な祝福が内包されています。

「知恵」と訳された原文の言葉は、「思慮」という意味でもあります。また「英知」と訳された原文の言葉は、「理解」や「洞察力」という意味でもあります。神様からの知恵と英知に到達し、獲得した者は、いかに幸いでしょうか。

13~15 節を、分かりやすいリビングバイブ訳では次のようになっています。「良いことと悪いことの区別がつき、物事を正しく判断できる人は、大金持ちよりも、幸せです。高価な宝石であれ、このような知恵に比べたら、問題にもなりません。」

それでは新共同訳 14 節 15 節「知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる。真珠よりも貴く、どのような財宝も比べることはできない。」

現在は、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻によって、土地や家屋よりも、金や銀や宝石類に換えておく人たちが増えています。しかし金銀宝石には、弊害があります。一つに、偽物と本物の区別がつかず、うっかり偽物をつかまされる危険があります。二つ目に、いつ盗まれるか分かりません。三つ目に、いざという時に、金銀宝石は、煮ても焼いても食べることはできません。四つ目に、金銀宝石を子孫に残すと、争いが起こったり、なまけ者が出てきたりして、よいことがあまりありません。そして五つ目に、本当に大切なもの、目に見えない永遠のものから、心が離れてゆきます。

これに対して、この世の、どんな宝にも勝って素晴らしいものは、神様を知り、神様を恐れ敬うことです。ある方が、知恵の価値を次のように表現していました。一つ目に、これは目減りもしないし、盗まれもしません。二つ目に、神様を知る知恵は、どんな苦しい時でも、悲しい時でも、心の中から湧き上がる力を与えてくれます。三つ目に、子孫に伝えれば、どんな遺産を残すよりも、確実に子孫を幸いにします。四つ目に、神様の知恵は、その人に、いつも上を向いて、希望に満ちて生活させるだけでなくて、他の人にまで、恵みと力を与えます。そして五つ目に、その人に永遠の命を与えることを示します。

16 節 17 節「右の手には長寿を、左の手には富と名誉を持っている。彼女の道は喜ばしく、平和のうちにたどって行くことができる。」

分かりやすいリビングバイブルでは「知恵が与えるものは、充実した人生、財産、名誉、楽しみ、平安です。」神様の知恵は、命を保つのに欠かせない水に等しです。しかしアダムとエバによる堕落以降、時に罪が割り込み、主イエス様が、御自身の王国を確立するまで、いくらかの祝福を受けることが遅れてしまいます。ですから、見えるところによらず、信仰によって歩むことが大切になります。

コリントの信徒への手紙二 5 章 7 節「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。」あるいはヘブライの信徒への手紙 11 章 1 節「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」ですから、神様の知恵による歩みは、最終的には、真の祝福と命につながっていると確信することができます。

18 節「彼女をとらえる人には、命の木となり、保つ人は幸いを得る。」命の木の背景になっているのは、天地万物が創造された最初において、エデンの園の中央に、命の木と、善悪を知る木があったが背景にあります。人類が、善悪を知る木を食した為に、死がこの世の私たちの中に生じました。日本人の平均寿命は、昭和の時代の初めは 40 歳を越える位でした。現在は平均寿命が 80 歳を近くになっています。それでは二倍以上に平均寿命が増えましたが、幸いは二倍になったでしょうか。そうなっていません。それは罪の影響が私たちにあるということです。

ある方が「神様の知恵は、魂の健康である」と言っていました。霊魂が健康でなければ、肉体の寿命だけが増えても、真の幸いとはなりません。命の木は、神様の祝福の象徴です。それは、神様の知恵の具現化であるイエス・キリストの十字架の死と、復活による福音がなければ、霊魂の健康は、誰も得られません。神様の知恵であるキリストを信じて、内側に迎え入れてこそ、霊魂の健康と、真の幸いとなります。

さらにキリストを信じて、神様の知恵である、主の教えに従う者は、流れのほとりに植えられた木のように、実を結んでゆきます。詩編 1 編 1~3 節「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」

続いて 19 節 20 節「主の知恵によって地の基は据えられ、主の英知によって天は設けられた。主の知識によって深淵は分かたれ、雲は滴って露を置く。」リビングバイブル訳では 19 節「神様の知恵によって地球は造られ、宇宙は完全に出来上がりました。」

知恵の初めは、父なる神様と共にあり、その知恵によって、万物は神の御子・キリストを通して造られました。そして造られた被造物は、神様の栄光を表す為に造られています。この全世界を造られた創造主なる神様を忘れるところに、自然との不調和が生じます。

私たち人間は、愚かで弱いくせに、高慢な者で、すぐに自分の力に頼ろうとします。その愚かさを私たちに教える為に、主は愛をもって、時に懲らしめをお与えになります。ヘブライの信徒への手紙 12 章 5~13 節「また、子どもたちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。『わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。

なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。』あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。

更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。」

神様からの知恵は、この懲らしめが、父なる神様からの愛による懲らしめであると悟らせます。私たちは、状況を変えるよりも、自分を変えていただくことが解決の道であることが多いです。そして今日という日を大切にします。その為には、神様からの言葉を、心に留め、いつも自分の目にふれるところに書いておき、暗唱し、心に深く思い続けることが大切です。

ならば今日の日に、神様の国と神様の義を求めて歩みます。ある賢者が次のよう言われていました。「神様が今日、あなたに与えられている祝福を楽しみ、その与えてくださった災いを忍べ。ただ今日一日が、あなたものです。昨日はすでに死んで、明日はまだ生まれていません。」

主イエス様は、神様の知恵は、地上の宝に勝ると言われました。マタイによる福音書 13 章 45 節

46 節「また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」

何を求めよりも、真の知恵を求めることが大切です。あの旧約時代のヨブが、全財産と全部の子ども失っても、神様の知恵によって平安を得、最終的には、二倍の祝福を得ました。ヨブ記 1 章 21 節「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

幸いと訳された原文の言葉は、「まっすぐに進む」という意味でもあります。神様からの知恵に基づいて、その道をご聖霊の力を祈り求めて、まっすぐに向かうところに、まことの、主にある幸いがあります。

神様に愛されている皆さん、私たちも、何よりも神様からの知恵と英知を、生涯において、切に求め、真の幸いに預かってゆきませんか。お祈りいたします。


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