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  • 執筆者の写真CPC K

2022.12.25 クリスマス礼拝_マタイによる福音書 1 章 18~25 節「イエス様の養父ヨセフに倣いて」

クリスマスおめでとうございます。以前、イスラエル研修で、訪れた場所の一つに、ナザレにありますマリアの受胎告知記念教会がありました。大変大きな建物でしたが、そのすぐ脇に、小さなヨセフ記念教会がありました。マリア記念教会に比べて、実に目立たない、小さな教会です。おそらくクリスマスの登場人物の中で、マリアに比べて、実に目立たない存在の一人である、ヨセフを象徴していかのようです。

神の御子イエス様は、御聖霊によってマリアの胎に宿ったので、ヨセフは、イエス様の養父であり義理の父です。ヨセフ記念教会の中に入りますと、早くして天に召されたヨセフの病床を囲んでいる、マリアとイエス様の絵が壁にかけられていました。

この年、クリスマス礼拝における聖書個所とテーマを祈り求めていますと、今年は「イエス様の養父ヨセフに倣いて」が導かれました。

イエス様の養父として用いられましたヨセフについては、聖書の中では、わずかの箇所しかありません。しかし彼の信仰的な生き方は、まさしく、信仰者の模範と言える点が、いつくもあります。イエス様が、12歳になってエルサレムの神殿に一緒行って帰ったあたりから、ヨセフの名前は、聖書の中に見られません。

けれど、イエス様が、天の父なる神様に、全幅の信頼をよせて祈っている姿から、養父としてのヨセフとの関係は、愛情深い、信仰の篤い人物であったと思えます。私自身の肉の父親に対して、私は尊敬と愛情の念をもっています。それで信仰を頂いた時、心から信頼して「天の父なる神様」と祈れるのは、肉の父のおかげであると感謝しております。

信仰者の中で、「神様」「イエス様」「聖霊様」と祈れても、「父なる神様」と祈れませんという方がおられます。それは、肉の父との関係が悪かったので、「父」という祈りの言葉が、とても難しいと言われるのです。著名な無神論者の多くは、父が不在であったり、父親との関係が悪かったりした人がほとんどであると言われています。イエス様が、心から信頼して「父なる神様」と祈られている背景に、養父であったヨセフとの関係が、実に愛情深く、信仰の篤い人であったことが、推察されます。

今日の御言葉の冒頭はこうです。18節19節「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」

ユダヤでは、婚約は結婚と同等の貞淑義務が課せれられており、婚約期間に、婚約者以外の人と性的な関係、すなわち姦淫の罪を犯すなら、旧約時代は、厳しい時は、石打の刑による死と言われています。2千年前のユダヤでは、その地域から、不名誉と共に追放になっていただろうと推察されます。

ヨセフは、「正しい人であった」とあります。正しい人であればあるだけ、ユダヤの律法を忠実に守ろうとします。その正しいヨセフが、「マリアのことを表ざたにするのを望まず」とありますから、不貞をなした婚約者に対して、憐れみの心を持ち、「ひそかに縁を切る」かたちで、マリアを守りながら、他の場所に送ろうとしたのではないかと思われます。

自分の正しさだけを振り回すのでもなく、また憐れみの心の中で、律法をないがしろにしてしまうのでもありません。まさに使徒パウロの言う成熟した人間の在り方である「愛をもって真理をなす人でした。エフェソの信徒への手紙4章15節「むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。」

そんなヨセフに対して、主の天使が夢に現れて「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」

ヨセフのことを、ダビデの子ヨセフと言われています。救い主・メシアは、ダビデの子孫として生まれると、旧約聖書で預言されてきました。家系は普通、男子直系の流れとなります。けれど、ここで、マリアは、御聖霊によって救い主を宿しますので、ここで血の流れは、絶たれています。しかしマリアも、ダビデの末なので、ダビデの末は、維持されます。けれど男子直系の血筋は、絶たれています。そこに、人が救われるのは、血筋でも、家柄でも、肉の欲でもなく、主の恵みであることが示されています。

ヨハネによる福音書1章12節13節「しかし、言(キリスト)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」

ヨセフは、マリアは、他の男性ではなく、神様の霊・御聖霊によって、救い主を宿したと聞いても、人間的には、よく分からなかったと思われます。しかし主が示されことの故に、たとえよくわからなくても、忠実に従う。それがたとえ、社会的に誤解を受けても、主が示されたことに従う。この忠実な信仰者ヨセフが、イエス様の養父として用いられた。それはうなずけることです。

ヨセフは、夢から覚めると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻として迎え入れ、救い主が生まれるまで、マリアと性的な関係を持つことなく、そして、生まれた子の名を、「イエス」と名付けました。

さらに、当方の博士たちが来訪した後、ヘロデ王が、新しい王を、妬みの中で虐殺するという状況の時、また夢でお告げを受けました。マタイによる福音書2章13節「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』」

マリアと生まれた子と共に、エジプトに逃げよと言われた。するとその夢で告げられた主の言葉に、また忠実に従います。博士たちが捧げた、黄金、乳香、没薬は、どれも当時高価なものであり、エジプトへの逃避と滞在の旅費となったでしょう。また怪我をした時の薬ともなります。主が告げられたことに従う時、必要なものは全て備えて与えられることを覚えさせられたでしょう。

私は、来年、牧師として、通算奉職40年目を迎えます。ここまで、主に召し出された牧師の道を歩ませて頂いていますが、必要なものは全て備えられてきたと、私も証し出来ます。

2章14節15節「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」

後にヘロデが死ぬと、また主の天使が夢で現れて、言いました。20節~23節「『起きて、子どもとその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。

しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。」

ヨセフは、聖書の中で少なくとも、四度、夢によって天使からお告げを受け、これに従いました。旧約時代に、ヨセフと同じ名前であり、しかも同じく夢によるお告げを受けた、忠実な信仰者がいました。それはアブラハムの子イサクの子ヤコブ・別名イスラエルの12人の子どもの一人であるヨセフでした。

彼は夢でお告げを受けた通り、エジプトに奴隷として売られましたが、やがて神の時に、エジプトの総理大臣となり、兄弟たちから、敬われることになります。そしてイスラエルの民も、エジプトの民も、周辺諸国の民も、飢饉から救い出される働きに用いられました。

主からの夢や、啓示に生かされる者であることが共通しています。そして示された夢やお告げに、困難な日々が続いても、従い通す。そんな二人のヨセフの信仰の姿勢は、私たちに対し対しても、大いなる信仰の模範です。

ある方は、ヨセフのことを「夢に生きる人」あるいは「御聖霊の霊感に従う人」、どんなことがあっても「神のお告げに従う人」と表現していました。皆さんも、この世の闇の中で、様々な生活の中で、困難さや辛さ、悲しみや問題をかかえているでしょう。しかし主から示されたことに従う、若者、壮年、老人たちでありたいものです。

使徒言行録2章17~21節「『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」

神様に愛されている皆さん、御聖霊によって、預言と幻と夢を頂いて、私たちも、救いを頂きませんか。また人々の為にとりなし、愛の業に生かされ、そして主のお告げに従い、救い主を、証していきませんか。お祈り致します。


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