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2022.3.27NGW エフェソの信徒への手紙5 章10 節『イエス様は御自身への精一杯の愛を喜ばれる』

「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。」


牧師 松矢龍造


皆様は、今にいたるまで、イエス様に捧げたもので、最大なものは何であったでしょうか。イエス様は、私たちを愛して、十字架で命を捧げて下さいました。その愛に応えて、どんな愛を、精一杯捧げたでしょうか。礼拝や、隣人への愛や、献金や献品などもあります。そして私の人生と愛を、神様に捧げますというものがあります。

今日の御言葉との関連で、イエス様ご自身への愛と感謝と献身の思いとして、高価な香油を捧げた女性のことが出てきます。この香油は、売ると3百デナリオン以上に売れるものでした。3百デナリオンという貨幣は、300 日間働いた額です。おおよそ今のお金に換算すると、300 万円くらいだったでしょうか。ユダヤ人たちは、ローマ帝国に支配されていたので植民地で、300 万円を持っている。それは相当な額です。

この香油は、ヒマラヤ産の植物から抽出された高価な香油です。それはナルドの香油と呼ばれ、インドでは、混じりけのない甘松という植物から作られたと言われています。古代では、香や油は、密封した壺に保存され、開ける為には、壺の首を折らねばなりませんでした。とても高価なものであり、女性が結婚する為に、長い間貯金したものから買われたものではないかと言われています。

もしこの女性が、ベタニヤに住んでいたマルタの妹、また弟ラザロを、死人の中から、よみがえらせ頂いたマリアであったのではないかと言われています。それならば、このマリアは、十字架で私たちの為に十字架について死なれる時が近づいているのを、イエス様のひざ元で教えを聞いていたことから、よく分からないながらも、直感していたのではないでしょうか。

このマリアには、弟のラザロを、よみがえられて頂いた大きな感謝の思いがありました。また死んで葬られる準備として、香油を捧げる献身の思いがあったのではないでしょうか。当時、香油と香草は、死体の埋葬準備に用いられていました。そして私たちを愛して、私たちを罪と死とから救ってくださる為に、命を捧げてくださるイエス様に対する愛と礼拝行為として、高価な香油を、イエス様に捧げたのではないでしょうか。

この女性が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った斥候の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエス様の頭に注ぎかけました。そこにいた何人かが、意味も分からずに、憤慨して互いに言いました。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は3 百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そしてこの女性を厳しく咎めました。

この咎めた中心人物は、イエス様を裏切り売るイスカリオテのユダであったと福音書に記されています。このユダが、憤慨したのは、貧しい人々たちへの気遣いからではなく、貪欲に基づいたものでした。この時、ユダは、皆から信頼されて会計係をしていました。しかしユダはその中から、お金を盗んでいたのです。この女性が、貧しい人たちの為に捧げたら、その中から自分がまた、お金を盗むことが出来たという思いを隠しながら、憤慨したのです。

これに対してイエス様は次のように言われました。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。

この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

イエス様は、貧しい人たちを無視せよと言われたわけではありません。また貧しい人たちへの無関心を正当化したのでもありません。貧しい人たちへの施しは、この後に、いつでも出来ます。しかし十字架の死を目前とされていたイエス様です。このイエス様に、愛と感謝と献身を表すとしたら、この今の時しかないのです。まじかに死に直面されていたイエス様は、この女性の油注ぎによって励まれさたでしょう。そして油注ぎは、救い主・メシアに、ふさわしいものでした。

この女性の愛と感謝と献身が、どれほど主イエスを感動させ、どれほど後にイエス様に従う人々への模範となったことでしょうか。それは現在でも、世界の何十億といるクリスチャンの模範となっています。それ故イエス様は、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるであろう」と強調されました。

主キリストを礼拝する真髄は、キリストを最大限に愛し、尊敬し、献身することです。

そして、私たちの最も大切なものを、喜んで、お捧げすることです。父なる神様は、私た

ちを愛して、最も大切な神の御子を、私たちに捧げて下さいました。またイエス様は、私

たちを極みまで愛して、私たちの罪の身代わりとなって十字架で苦しみ死なれることをよ

しとして、捧げて下さいました。

この愛に応えて、私たち一人ひとりも、イエス様への精一杯の愛と捧げるなら、イエス

様は、喜んでくださいます、今、私たち一人一人が、何を捧げることが、主イエス様に喜

ばれることなのか、考え吟味出来ますように。ご聖霊様の導きに従い、これを捧げる愛と

力を頂いて、祈りつつ実行出来してゆきませんか。

主イエス様は全てを捧げられました。ならば私はイエス様に、何を捧げたでしょうか。ナルドの香油はインド産でしたが、最後にインドの女性の宣教師であった、エミー・カーマイケルの「愛の人に」という祈りを受け留めます。「イエス様は、傷ついた葦を、いやす御方、忍耐強く、愛を注いでくださる御方。

わたしの隣人は、この愛を必要としているのです。わたしを愛の人にしてください。こ

の傷んだ葦が、ふたたび、あなたの調べを奏でるために。おお主よ、わたしを真の愛の人

にしてください。くすぶる燈心に、火をともしてくださる御方。燃えるような愛を、注い

でくださる御方。あなたのしもべに、欠けているものを、お与えください。この弱々しい

燈心が、生き返り、あなたに向かって、燃え立つために。おお主よ、わたしを真の愛の人

にしてください。」

お祈り致します。

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