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2022.5.15ヨハネによる福音書7 章1~13 節「人の時でなく神様の時」

牧師 松矢龍造


すべての営みには、ふさわしい時があります。それは私達人間の勝手な思いの時ではなく、神様が最も良い時を示されます。祈りの答えとして、叶うものとかなわないものがありますが、御心に適うなら必ずなります。しかしそれが実現する為には、しばしば神様の時を待つことがあります。信仰には、信頼と忍耐と待つことが必要となります。

コヘレトの言葉3 章1~11 節「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、求める時、失う時、保つ時、放つ時、裂く時、縫う時、黙する時、語る時、愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」

神の御子イエス様の真のメシア性は、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、復活されることにおいて示されます。そしていつ十字架にかかり、死にて葬られ、三日目に復活されるかは、神様の時がありました。

イエス様がご聖霊によって誕生されてから後、マリアとヨセフの間に何人かの兄弟たちが生まれました。しかしその兄弟たちは、イエス様の真のメシア性を理解せず、後にエルサレム教会の指導者となる弟のヤコブも、この時はまだ兄を、救い主・メシアと信じていませんでした。イエス様は、群衆だけでなく、母を同じくする兄弟までもが、主イエス様の言葉や、主の業を疑うことは、神でありながら人となられたイエス様にとって、特別につらいことであったに違いありません。

主イエス様に忠実であろうとする時、最も激しく反対するのが、一番近くで大切な人であるという場合がなんと多いことでしょうか。私も直接献身して、牧師の道に進もうとした時、母からは、その道に進むことがよいか、親戚中回って聞いてみなさいと言われました。また父からは、一切援助はしないと言われました。仕事を止めて神学校に入学してから8 年間、国民保健に加入も出来ませんでした。けれどその8 年間、神様は一度も、病院に行くことがないように守ってくださいました。感謝だけです。牧師になって、社会保険に入れて頂いたとたんに、風邪や歯の治療の為に、病院に行くことが出てきました。これも神様の不思議な時です。

今日の御言葉をもう一度7 章1 節「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。」ユダヤ人がイエス様を殺そうとしていたとありますが、このユダヤ人とは、誰のことなのか。ここでのユダヤ人とは、ユダヤ最高法院に属する議員のことで、神殿の祭司職に就き、ファリサイ派や他の指導者たちに影響力を持つユダヤ教の教師でもありました。ローマ帝国は、このユダヤ最高法院に、ユダヤ人の慣習、特に宗教に関する決定権を与えていました。

そしてこのユダヤ人は、イエス様が、御自身を天の父なる神様の子であると言われたので、妬みの心と共に、冒涜罪で殺そうと思っていたのです。

イエス様は、迫害や危険を恐れて、エルサレムのある南のユダヤ地方を巡らずに、北方のガリラヤ地方を巡ったのではありません。まだ十字架と復活の時が満ちていないので、この年の春から秋にかけて、ガリラヤを巡って宣教をされていました。2 節「ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。」仮庵祭は、ユダヤ人の三大祭りの一つで、秋の収穫が済んだ後に行われました。過ぎ越しの祭りから約六か月後の10 月頃に行われます。仮庵の祭りとは、収穫の感謝をすることと共に、仮小屋を作って祭りを行う事から、その名がついています。仮小屋を作って何を思い起こすのか。それはイスラエルの民が、エジプトで奴隷であった所から解放されて、荒れ野に出てさ迷っていた時、イスラエルの民が、いかに多くの創造主なる神様からの守りと助けがあったかを忘れないために、仮小屋を作って思い起しました。

3 節~5 節「イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。』兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。」

ユダヤ三大祭の時には、エルサレムには、多くの人々が集まります。兄弟たちは、もし兄が、政治的、軍事的メシアなら、そのメシア性を公にするように勧めました。この時、兄弟たちも、イエス様に対する真のメシア理解を持っていませんでした。群衆のように、イエス様を地上の王としようとしたことに通じます。

6 節「そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。』」「わたしの時はまだ来ていない」とは、イエス様の死と復活によって、神の御子としての栄光が現れる時は、まだ来ていないということです。しかし弟たちは、いつでも祭りの時は、エルサレムに上ることが出来るということです。

7節「世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。」イエス様は、ユダヤ当局者たちの罪を指摘しました。すると自分の罪の姿が、このように暴露されると、人は憤ります。それは悔い改めて、神様の憐れみを求めるのではなく、人間は自分の罪を暴いた方を、殺そうとするのです。

世の罪と友になるなら、それは神様に敵対することです。ヤコブの手紙4 章4 節「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」

8節9 節「『あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。』こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。」敬虔なるユダヤ人としては、主イエス様は、その祭りへの参加は望まれました。ただし、兄弟たちと共に行って、公然と奇跡を起こすことの為に、今は上って行かないと言われたのです。10 節「しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。」イエス様は、兄弟たちの意図には同意せず、その為には祭りの上らないと言われましたが、後に別の目的を持っておられて、エルサレムに上られました。イエス様は、注目を集めないように、ひっそりと行動されました。イエス様には、奇跡や癒しのみを求めている群衆、政治的、軍事的、経済的なメシアを求めている群衆がいるのが分かっていました。そして奇跡によってのみ、人々を信じさせるのは危険だと分かっていました。

11 節「祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた。」

イエス様が、隠れるようにしてエルサレムに行かれると、イエス様を捜すユダヤ人たちがいました。そして待ち受けていたのは、イエス様についての分かれる評価でした。イエス様が、救い主として来られたのに、この世では、イエス様を憎み、イエス様の兄弟たちは信じることなく、ユダヤ当局はイエス様を殺そうとしていました。

イエス様が十字架につけられる時が、一刻一刻と近づいてゆきます。イエス様を信じて、救いと平和を頂く者と、イエス様を拒む者と、いつの時代にも分かれます。どうかイエス様への偏見や誤解や無知などがなく、イエス様を信じて心の中に迎え入れられる人々が、さらにこの街に、また私たちの隣人の中に、増して行くことになりますように。

13 節「しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。」公然と語ると訳された原文の言葉は「言いたいことを、はばかりなく、自由に大胆に全部話せること」という意味があります。

ユダヤ人の宗教指導者たちは、イエス様を公然と支持する者は、ユダヤ教から破門すると脅していたのでしょう。

現在、ロシア国内では、ウクライナ戦争は間違っている。プーチン大統領は間違っていると言う事は、時のロシア当局を恐れて公然と語ることが難しいです。同様に日本においても、第二次世界大戦の時、戦争反対と言うと、非国民とレッテルを張られて、公然と語ることは出来ず、語れば投獄され、獄中死する人々も出ました。

イエス様は、私たちがイエス様を、人の前でも認めるなら、イエス様も、天の父なる神様の御前で、認めてくださいます。マタイによる福音書10 章32 節「だから、だれでも人々の前で自分を、わたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。」公然と語る為には、使徒たち同様、ご聖霊の力に預かる必要があります。

私たちの信仰生活において、人の時ではなく、神様の時に、語り行うことが大切です。そして私たちは、神様の御心とご計画に従って、今の時を用いることが重要です。最後に、イ・チャンスという方の「福音によって生きる」から「苦難を受けることは使命を担うこと」を受け留めます。

「何年か前の年末年始礼拝の時、抗がん治療中の幼い子を持つ若い夫婦を講壇に招き、ともに祈って励ましました。その後、どう過ごされているか気になって連絡したところ、お母さんの方から長文のメールが来ました。子どもが

生後50 日くらいの時に、原因不明の高熱で小児科に行ったことから始まり、わが子に注射の針が刺さるのを見るだけで、心が折れそうになったという、涙ながらの闘病生活が綴られていました。

中でも、その最後の文章を読んだ時、心が打たれて涙が込み上げてきました。『終わることのないように思えた時間が過ぎ、悲しくて憂鬱とばかり思っていた時間が、感謝の思いで満たされました。今では、数えきれないほどの多くの感謝が、私の人生にあふれています。』今、この時も、多くの信仰者が苦しみの中にいます。配偶者の裏切り、子どもの反抗期、病気や失職、経済的な苦しみなど、様々です。しかし、その苦しみの中でも倒れないために力を尽くす時、その過程を振り返ってみると、痛みばかりではなく、主の恵みがあったと告白することができます。

アフリカに行かなければ使命を果たせないのではなく、今日、私に与えられた重い現実に打ち勝とうと、もがくことが、使命を担うことなのです。『神様が私を選ばれたので、私は苦難を乗り越えなければならない』と必死に絶えている姿が美しい理由が、ここにありま。」神様に愛されている皆さん、皆さんの今の時は、どのようなものでしょうか。主の御心に沿って、今の時を、神様の栄光の為に、神様と人への愛の為に、神様の時を弁えて、聖霊によって、乗り越えてゆきませんか。

お祈り致します。

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