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2022.5.4ダニエル書1 章1~6 節「捕囚の地の宮廷で仕えるイスラエルの少年たち」

牧師 松矢龍造


今日の祈祷会から、ダニエル書の連続講解説教となります。以前、主日礼拝において、ヨハネの黙示録の講解説教を終えた際に、ある教会員の方から、旧約聖書の黙示文学であるダニエル書を、続いて説教願えませんかと言われました。

その時は、聖書の中で難解と言われるローマ書と黙示録が続きましたので、比較的分かりやすい福音書が導かれておりましたので、いつか時を見てとお答えしました。日曜日の主日礼拝が新約聖書の中からなら、祈祷会は旧約聖書からとバランスを考えています。そこで日曜日は、現在ヨハネによる福音書となっていますので、前回、旧約聖書の民数記が終了しましので、今回からダニエル書の講解説教となります。

ダニエル書の背景は、イスラエルの民が捕囚先のバビロン帝国において困難さの中にありました。そして私たちが現在日本の状況において、コロナ禍、地震の多発、国際的なテロと侵攻、自然災害、そして個人的な試練の中にある人たちもいるでしょう。そのような背景の中で、私たちはダニエル書を読み進めることになります。

ヨハネの黙示録やダニエル書は、黙示文学で書かれています。黙示文学とは、迫害下など困難な状況において、象徴や視覚的表現を多用して、出来事の背後にある意味を示す文学様式のことです。けれど黙示文学として表現されますが、歴史的記述の真正性は揺るぎません。そして黙示文学においては、歴史的なものと、象徴的なものを明白に区別する必要があります。

ダニエル書は、ユダヤ教正典では、「諸書」と呼ばれている区分に入れられています。しかし紀元前・BC3世紀から2 世紀の間に成立したとされる70 人ギリシア語訳聖書では、預言書一つに数えられています。ダニエル書は、預言書であり、黙示文学です。文体は、一部ヘブライ語、一部アラム語で書かれています。アラム語は、紀元前BC1000 年頃から、アレクサンドロス大王の時まで、中近東の公用語でした。そしてアレクサンドロス大王の時、ギリシア語が公用語となりました。

ダニエル書は、苦難と迫害の中にある人々にとって、創造主なる神様にして贖い主なる神様の力強さを告げる大きな証しとなっています。

それでは、私たちは先ず、ダニエル書から、どのようなメッセージをおもに受け留めるかを確認いたします。第一に、この世界の諸王国に対する主権は、創造主なる神様にして贖い主なる神様がお持ちであるということです。

第二に、主権者なる神様は、歴史を支配なされるだけでなく、歴史の終末をも支配しておられるということです。

第三に、この世で力ある君主たちや、偉大な帝国も、主権者なる神様の御心によってのみ、権力を振るうことが許されているということです。

第四に、神の民の信仰による忍耐と堅忍、また神様とメシア・救い主による、永遠の御国の究極的確立の希望を、待ち望むように、激励しているということ。

第五に、地上の全ての力は、神様の許しによってのみ存在することを、ヨハネの黙示録同様、ダニエル書にも語られています。

第六に、人間の主権は、どんなものでも一時的ですが、創造主なる神様の支配と神の国は、永久に続くという事です。

第七に、創造主なる神様は、ご自身に信頼する者を、たとえ燃える炉の中や、獅子の穴などの窮地から、救い出すことが、お出来になる御方であることを示しています。

第八に、創造主なる神様の裁きによって、指導者が気がふれた者となったり、虚栄を張って力を誇示していた王や王国は無に帰したりするということです。

第九に、創造主なる神様の支配と権威は、この世の主権の根源であり、時が来れば、永遠の御国となって確立するということです。

第十に、御国の完全な救いは、イエス・キリストにおいて姿を現わし、これを受け留める者たちの、深い信仰と信頼と献身を提示しています。

次に、このダニエル書の名前となっていますダニエルは、ユダヤ人の貴族の出身で、バビロン軍によるユダヤ人捕虜者の中でも、卓越した人物でした。バビロンの王ネブカドネツァル王に認められ、捕虜の身でありながら、宮廷で王の廷臣となりました。

政治家と預言者という二つの職務を持ち、60 年以上もの間、政治的な指導権を握ることになります。そしてネブカドネツァル王のもとで、卓越した知恵と夢を解釈する能力を創造主なる神様から委ねられ、行政のトップの地位に上りました。そしてユダヤ民族に関連する国際的な展開の最も詳細で拡大的な視点が、神様から与えられました。

ダニエルは、捕囚の期間、ネブカドネツァル、ベルシャツアル、メデイア人ダリヨスに仕えました。その奉仕の期間は、紀元前・BC600 年頃から、ペルシヤ王クロスの治世第三年のBC536 年までとされています。ダニエルは、クロス王のバビロン征服の時までは、バビロン帝国で第三の地位を約束されていました。そしてメド・ペルシャ王国で、ダニエルは再び責任の重い地位を与えられました。

ダニエル書は、クロス王のバビロン占領の後に、ユダヤ人がエルサレムに帰還した、第一次帰還の後に完成したとみられています。ダニエルの預言は、ユダとイスラエルの残りの民が、捕囚の期間70 年間に与えられた啓示より成っています。バビロンに捕囚となった民は、祖国から切り離され、神殿を含むエルサレムが破壊されるのを目撃していました。その絶望的な状況の中で、イスラエルの民は、再び主の恵みと救いを求めて、主に向かいます。

イスラエルの歴史の初期に、創造主なる神様は、ヨセフをエジプトの宮廷に置かれましたが、今再び、イスラエルの重大な危機の時に、捕囚の全時代のために、バビロン帝国の政治の中枢に、ダニエルを置かれました。

ダニエル書は、12 章からなり、大きく分けて1 章~6 章は、ダニエルと三人の友人たちについて、三人称で語られています。そして7 章~12 章は、ダニエルが1 人称で書いた部分で、幻と解釈からなります。さらに1 章~6 章では、異教と異文化の中で、信仰者の信仰と、主なる神様が挑戦を受けます。その中で、主なる神様が奇跡の御業をもって、御自身を現わし、異邦の君主たちが、真の神様を認めるという事件が6 回繰り返されます。そして行動される主なる神様が示されています。

そしてダニエル書の中心的な聖句は、2 章21 節です。「神は時を移し、季節を変え、王を退け、王を立て、知者に知恵を、識者に知識を与えられる。」

それでは、ダニエル書1 章1 節「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。」

ユダの王ヨヤキムが即位して3 年目であるBC606 年、彼はバビロン軍に捕らえられ、バビロンに連行されました。ネブカドネツァル2 世は、ヨヤキムの子ヨヤキンの治世であるBC587 年と586年に、エルサレムを占領しました。そしてユダの民は、創造主なる神様に忠実でなかった為、バビロンに強制的に移住させられました。

1 章2 節「主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。」シンアルとは、バビロンの別名です。また自分の神々とは、バビロニヤの主神マルドゥリ・別名ベルのことです。

3節4 節「さて、ネブカドネツァル王は、侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。」

ユダヤ人の指導者階級の子弟が、宮廷に仕えるようになれば、イスラエル人が、バビロンに忠実となり、バビロニヤの習慣と宗教を受け入れるようになると期待したからです。

少年達は、エルサレムからバビロンまで800 ㎞を移動され、バビロンの宮廷で仕えるようになるために学びを受けました。その学びの内容は、数学、天文学、歴史、科学、魔術、アラム語、常用語、古代バビロニヤ語、規律正しさなどです。

5節「王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした。」三年間の養成は、古代中近東では、教育の為の一般的な年数であったとされます。

6 節「この少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。」ヘブライ語で、「ダニエル」は「神は裁き人」という意味です。「ハナンヤ」は「主は恵みを示す」という意味です。「ミシャエル」は、「神のような者は誰か」という意味です。そして「アザルヤ」は「神は助ける」という意味です。この四人の少年たちは、主なる神様が、特別に選ばれた主の僕たちでした。

バイブルナビという書物がありますが、ダニエル書の序文があり、現代の私たちが置かれた状況において、ダニエル書を読む意義について、教えられることが多い内容でした。「地震は、私たちの安全を根底から揺るがし、竜巻は生涯の宝を吹き飛ばし、暗殺者の弾丸は、国の歴史を変え、飲酒運転者は、犠牲者から命を奪い、離婚は家庭を粉々にし、テロ行為は、国を脅かす。

国際的、個人的な悲劇のために、この世界は邪悪が満ち溢れていて、手に負えない恐怖に満ちた、恐ろしい場所と思われる。そして爆弾事件、クーデター、殺人、自然災害のニュースに、私たちは神が存在しないか無力だと考えかねない。『神はどこにおられるのか』。悲しみと絶望に圧倒されて私たちは叫ぶ。

2500 年前、ダニエルは、絶望してもおかしくない状況にいた。ユダが征服された後、ダニエルと数千人の同胞たちは、外国へ追放された。彼は、いつのまにか、自己中心的な暴君と顔を突き合わせ、偶像礼拝者たちに囲まれていた。しかし屈服したり、諦めたりする代わりに、この勇敢な若者は、神への信仰を固守した。

ダニエルは、置かれた状況にもかかわらず、神が主権を持っておられ、国々や個人個人に対する計画を実行しておられるのだと知っていた。ダニエル書は、この深遠な真理、神の主権を中心として書かれている。

ネブカドネツァルによるエルサレム包囲、敗北について短く述べた後、場面は素早くダニエルと三人の友人である、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤへ移る。彼らはバビロンの政府でも、突出した地位にあった。特にダニエルは、神の計画を告げる王の夢を解釈する能力のために、高い地位にあった。夢のエピソードに挟まれているのは、ダニエルの3 人の友人たちと、燃える炉の素晴らしい物語である。彼らは金の彫像を拝むことを拒んだため、火あぶりの刑に処せられた。しかし神が介入され、彼らの命を救われた。

ペルシャツアルは、ネブカドネツァルの後に、バビロンを支配した。彼と壁に書かれた神のメッセージとの遭遇が記されており、メッセージを解釈するために、召喚されたダニエルは、メディアとペルシヤに対するバビロンの敗北を予告した。この予告は、その夜に成就し、メディアの王ダリヨスは、バビロンを征服した。

ダニエルは、ダリヨスの最も信頼する顧問の一人となった。ダニエルが、特権階級にあったことに、他の役人が怒り、彼らはダニエルが法に背いた祈りをしていると王を説き伏せて、ダニエルを殺す策略を練った。法にかかわらず、ダニエルは、主権者たる主に祈り続けた。その結果、彼は飢えた獅子の穴に放り込まれることになった。再び神が介入して、彼を救い、獅子の口を塞がれた。ダニエル書は、ベルシャザル、ダリヨス、クロスの治世下で、ダニエルが見た、一連の幻で締めくくられる。これらの夢は、バビロンから始まり、この世の終わりまで続く、神による未来の計画の概要を劇的に描き出す。それらは神の救済を、わかりやすく予告しており、あらゆる聖書の預言を解く手がかりと呼ばれてきた。

主権は神にある。神はバビロンを支配し、歴史の中で働き続け、ずっと人々の運命を支配してこられた。そして今も神が支配しておられると確信できる。ダニエル書を読むとき、神の御業に目を留め、神が主権を握っておられることに安心しよう。」

神様に愛されている皆さん、私たちも、ダニエルたちを支えた同じ神様に仕えています。この主なる神様は、世界のどこにおいても、主権者であり、救いの御手をもって治めておられるお方です。この主にあって、私たちも置かれた場所で、主を恐れ敬い、主にある使命を果たして行けますように。地震と災害、コロナ禍とウクライナ侵攻、そして私たちの個人的な状況の中で、ご聖霊の助けを祈り求め、信仰と信頼と献身の歩となってゆきませんか。

お祈り致します。

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