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  • 執筆者の写真CPC K

2022.6.5 ペンテコステ礼拝・創立60 周年記念礼拝_使徒言行録2 章1~21 節、41~47 節

更新日:2022年6月9日

「ご聖霊による教会の誕生」


牧師 松矢龍造


ペンテコステ・ご聖霊の降臨、おめでとうございます。そして希望が丘教会の創立 60 周年記念礼拝として、宣教の主イエス・キリストの父なる神様に感謝致します。そしてここまで、導いて下さった聖霊なる神様を讃美致します。コロナ過で、一年、創立 60 周年記念礼拝と記念愛餐会が延期となりましたが、新約の教会の誕生記念日なるペンテコステ礼拝と、御摂理の中で重なる恵みとなりましことも感謝であります。

希望が丘教会の種が蒔かれたのは、71 年前、希望ヶ丘在住であり、高座教会の教会員であった石橋宅で行われていた家庭集会でした。そして高座教会の教会学校の分校としての教会学校のスタートでもありました。そしてその 10 年後の1961 年に、希望が丘伝道所が創立となました。初代の担任牧師として竹入牧師が就任され、創立 8 年目に、めぐみ幼児園が開設されました。

二代目の担任牧師として、瀬底牧師が就任され、「生み出す信仰・生み出す教会」をスローガンに宣教が前進しました。この 60 年の間に、「丘の上に立つ十字架」を象徴にして、

旧会堂の献堂 10 周年がありました。また新会堂の「鐘の音にのせて」を象徴として新会堂としての 30 周年がありました。そしてステンドグラスが象徴する、希望の光を会堂に受

ける 50 周年がありました。

1968 年に教会付属めぐみ幼児園を設立して 1000 名以上の卒園児を、教会堂から送り出してきました。そして希望が丘教会の現在は、三世代のクリチャンからなる信仰と希望と愛の共同体から、四世代が共に教会生活をする時代に移っています。

私は三代目の担任牧師として、小さな者ですが、34 年目の奉職となり、60 年の約半分の年月、希望が丘教会にお仕えする恵みに、主にあって預かってきました。そして就任した年の 4 月 1 日は、妻との結婚した日でもありましたから、希望が丘教会と霊的に結婚した思いともなっています。

希望が丘教会は、めぐみ幼児園、教会学校、ガールスカウト、ボーイスカウト、小羊の会など、子どもへの教育伝道を大切にして来ました。また教会学校教師研修会、信徒研修会、執事研修会、長老研修会、各会の修養会など、信徒の弟子養育にも力を注いで来ました。

新約の教会の誕生は、ご聖霊の降臨によって約 2000 年前に始まりました。使徒たちや女性の弟子たちが、心を一つにして祈っていますと、突然、激しい風が吹いて来るような音が、天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響きました。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。すると一同は、ご聖霊に満たされ、御聖霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出しました。

この時は五旬祭の日でした。五旬祭は、収穫祭でもあります。過ぎ越しの祭りから 50 日目に行われるユダヤ人の祭りでした。ペンテコステとは、50 日目というギリシア語から由来しています。旧約時代は、イスラエルの民が奴隷とされていたエジプトから解放され、50 日目にシナイ山で、モーセが律法の板を頂いたことを覚えての祭りでした。また後に麦の初穂を刈り入れてから 50 日目に、小麦の収穫を感謝することが加わりました。そしてイエス様が、復活されてから 50 日目に、御聖霊が降って、キリストの福音が、多言語で語られ、世界的な霊の収穫が始まったことを感謝することが加えられました。それはバベルの塔を建設して、神様の裁きを受けて、全世界に散らされた人類が、キリストとご聖霊によって、調和が与えられる記念日でもあります。

希望が丘教会は、カンバーランド長老キリスト教会に属する群れです。18 世紀に、アメリカのテネシー州の近くのカンバーランド地方に、ご聖霊のいちじるしい御業・霊的リバイバルが興りました。そして短期間に多くの人々が救われ、多くの教会が誕生し、町のならず者が回心するという奇跡が、ご聖霊によって起こりました。そしてテネシー州にあります丸太小屋で、三人の教職者たちが徹夜の祈りを通して、伝統的なアメリカ長老教会から分かれて、カンバーランド長老教会が誕生しました。そして日本には、戦前には、ヘール宣教師兄弟が派遣され、戦後は、フォレスター宣教師、ディル宣教師、スタット宣教師が遣わされ、希望が丘教会は、この戦後の三人の宣教師の助けを受けてきました。

御聖霊の降臨は、火と関係があります。シナイ山で、モーセが律法の板を頂いた時、神様は天から火と共に降りてきたとあります。出エジプト記 19 章 16~18 節「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を、山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。」

また預言者エリヤは、激しい大風、地震、最期に火があり、そして神様のかすかな細い声を聞きました。列王記上 19 章10~12 節「エリヤは答えた。『わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。』

主は、『そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい』と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」

旧約時代、火は一つの場所に降り、一人に下りました。しかし新約のペンテコステでは、ご聖霊の炎は、神様を信じる全ての人達の上に現れ、一人一人の上に留まりました。そして御聖霊のご臨在と力を悟りました。使徒たちは、彼らが行く所では、どこででも、ご聖霊の御力において仕えました。

人種、肌の色、国籍、言語、男女などが、何であろうとも、神様は、あなたに語り掛けておられます。そしてペンテコステの祭りおいて、世界中から集まっていた人々に、キリストの福音が、それぞれの母国で語られるという奇跡が興りました。そして救われた人たちは、それぞれの国に帰国して、またそれぞれの国に、キリストの福音が広げられて行きました。

アメリカのニューヨークに研修に行かせた頂いた時に、国連本部ビルの近くに、トゥリニティ教会があり、そこで研修の一つがありました。この教会の使命は、世界各地から国連本部に派遣されてくる人々に、キリストの福音を証しするということです。そしてこの教会でキリスト者となりますと、何年かして、国連本部から、母国に帰国した際には、それぞれの国で、キリストの証人とされて、それぞれの国々に、キリストの福音が証しされて行きます。

イスラエルには、雨季が年に二度あります。前の雨と、後の雨と言われ、麦の収穫には、前の雨と、後の雨の両方が必要です。2000 年前に、ご聖霊の降臨があり、著しいご聖霊の御業が興りました。これは霊的な前の雨と言われます。そして世の終末の時に、霊的な後の雨として、再び著しい御聖霊の御業が興るでしょう。

終末は、全民族に福音が宣べ伝えてから来ると預言されています。現在は、ウィクリフという語学宣教団体があり、世界の様々な部族に派遣されて、現地の言語に聖書を翻訳して宣教を続けています。しかしそれでは、長い年月が必要です。しかしもし 2000 年前の、前の雨における、それぞれの母国語で、キリストの福音が一斉に語られるという奇跡が、後の雨として起こるなら、一時に全世界の民族、国語の人達にキリストの福音が語られる奇跡が興ることになります。そして異邦人に福音が満ちますと、今度はイスラエルの民が、民族的な回心の奇跡を頂いて、キリストの再臨と世の終末となります。どの民族の人であっても、主の御名を呼ぶ者は、皆救われます。

最初のペンテコステでは、その後にペトロが、12 弟子を代表して語りました。そこに他の 11 弟子の妬みはなく、代表として語るペトロの為に、他の使徒たちは、祈って支えたでしょう。このペトロは、イエス様の十字架の前に逃げ、また大祭司の庭で、三度イエス様を否みました。そんなペトロが、12 弟子を代表して、キリストの福音を語る者とされています。

それは復活の主と出合い、恵みによって赦しを頂き、ご聖霊の力によって、説教しました。誰もが、主イエス様の恵みと憐れみの中で、赦され、隣人に証しをします。私も失敗したり、不完全な者の一人ですが、主イエス様の恵みと、ご聖霊の力によって、説教し、証しをしています。ペトロがご聖霊によって語りますと、一日で三千人の人が信じて、クリスチャンとなりました。すると彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂く聖餐式、祈ることに熱心でした。そして神殿で礼拝をささげ、後に家ごとに集まって交わりました。喜びと真心をもって一緒に食事をし、神様を讃美したので、民衆全体から好意を寄せられ、

を日々仲間に加えられました。

希望が丘教会の創立 60 周年の記念誌が、皆様の手元にあると思いますが、今回の記念誌には特徴があります。それは、希望が丘教会は、現在 60 以上の小グループからなる教会となっています。そしてその小グループの紹介をすることが、記念誌の主要な内容になっています。初代教会が、神殿で礼拝を捧げた後に、家ごとに集まって、小グループの交わりをしていました。

教会全体も、小グループも、礼拝、伝道、交わり、弟子養育、奉仕の五つが、教会の使命です。この五つの使命を果たす為に、ご聖霊の力に預かって、次の 70 周年に向けて、福音の宣教と愛の証しに励んでゆきましょう。

御聖霊の働きは、炎のような舌とあります。舌は、話すことや、福音の伝達を象徴します。また火は、神様のきよめのご臨在を象徴し、人生の望ましくない要素を焼き尽くし、他の人の人生に火をつけるように、私たちの心を燃え立たせます。そして、風は御聖霊の象徴です。この御聖霊の風は、ご聖霊御自身が好むところに吹かれます。それは心を一つにして祈り、愛し合い、一致し、神様に栄光を帰するところに、著しく吹かれるのではないでしょうか。ただし、ご聖霊の御業は、私達人間が限定出来るものではありません。

御聖霊は、神の御子を証しする霊ですが、キリストを信じる者の内側に住んで下さいます。そして私たちの内に、キリストがおられることが、分かるような生き方をすることが、期待されています。内なるキリストが、隣人に分かるような生き方に、ご聖霊の助けによってなってゆきませんか。

最後にマタイによる福音書 5 章 13~16 節を拝読して閉じます。「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」お祈り致します。

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