2022.7.20ダニエル書 6 章 1~29 節「義の為に迫害されている者」
- CPC K
- 2022年8月3日
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牧師 松矢龍造
起 異教社会で生かされ生きるキリスト者には、絶えず誘惑や迫害、妬みや執念深い憎しみを受けることがあります。さらに創造主なる神様に、祈らせないようにしようとする、悪魔の誘惑や攻撃があります。ですから脅しや多忙が、あなたの祈りの時間に割り込まないように、たえず、ご聖霊に頼って、注意が必要です。 何があっても、規則的に祈ることが必要です。祈りは、あなたと、主なる神様との生命線であるからです。宗教改革者の一人、マルチン・ルターの祈りに関する言葉は有名です。「私には、今日しなければならないことが、たくさんあるので、三時間以上、祈らなければ、とても成し遂げることはできない。」 承 ダニエル書では、すでにダニエルの三人の友人が、燃える炉に投げ込まれるという迫害があったことが記されていました。そして今日の御言葉では、ダニエル自身が、獅子・ライオンの洞窟に投げ込まれるという迫害のことが記されています。そして前の三友や、ダニエルに対しても、神様に信頼する者の勝利が記されています。 ピンチは、主にあってチャンスとなります。現在、コロナ禍、物価の上昇、ウクライナにおける戦争、高温と多湿など、マイナスに見えるものがあります。しかし、これらの中であっても、ピンチは、主にあってチャンスと受け留めることが出来ますように。 転 バビロンの王は、ネブカドネツァルの後、ナボニドス、ベルシャツァルとなり、その後に王国を継いだのは、メディア人ダレイオスでした。彼は既に 62 歳でしたが、王国に 120 の総督を置き、王に損失がないように、さらに三人の大臣をその上に置きました。ダニエルは、その大臣の一人でした。 王が総督や大臣を置いたのは、王が損害を受けない為とありますが、それは各地の反乱の防止 や、収賄の為に税収が損失を被らないようする為でした。その危険は常にありました。ですから、より不正のないことで知られる人物が、上に立てられました。その意味で、ダニエルが、王にと って、一番信用のおける人物であり、王は彼に王国全体を治めさせようとしました。加えて、ダ ニエルには、優れた霊が宿り、他の大臣よりも傑出していました。 すると他の二人の大臣は、総督たちと共に、ダニエルを妬み、政務に関してダニエルを陥れよ うと口実を探しました。ところが、ダニエルは政務に関して忠実であり、何の汚点も怠慢もなく、訴える口実を見つけることが出来ませんでした。 私たちの置かれている場所で、主なる神様に対する信仰のない人たちから、私たちは、どのように評価されているでしょうか。汚点や怠慢などで、神様の御名が汚されたり、キリスト者に対する悪いうわさがたったりしていないでしょうか。むしろ、神様がキリスト者を、それぞれの場所に置かれているのは、神様が、あなたを用いて、他の人に良い影響を与えるためです。その為には、主にあって、神様と働きに対して、忠実であることが大切になります。 そこで大臣たちと総督たちが、ダニエルを陥れる為に考えたことがダニエル書 6 章 6~10 節に記されています。「それで彼らは、『ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい』と話し合い、王のもとに集まってこう言った。 『ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように。王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項を、お定めいただこうということになりました。 すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。王様、どうぞこの禁令を出し、その書面に御署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシャの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。』ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。」 有能な政治家であったダレイオス王は、プライドという致命的な弱点があり、大臣と総督たちは、王の虚栄心をくすぐり、彼らが勧めた法律に合意をさせました。 これに対して、ダニエルは、家に帰ると、いつものとおり、二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際に、ひざまずき、日に三度の祈りと賛美を、自分の神に捧げました。律法には、朝と夕に祈りを命じています。歴代誌上 23 章 30 節「更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと。」 バビロンに捕囚になった後に、ユダヤ人は、悔い改めて、エルサレムの方向を向いて祈りました。歴代誌下 6 章 37~39 節「彼らが捕虜になっている地で自らを省み、その捕らわれの地であなたに立ち帰って憐れみを乞い、『わたしたちは罪を犯しました。 不正を行い、悪に染まりました』と言い、捕虜になっている地で、心を尽くし、魂を尽くしてあなたに立ち帰り、あなたが先祖にお与えになった地、あなたがお選びになった都、御名のためにわたしが建てた神殿の方を向いてあなたに祈るなら、あなたはお住まいである天からその祈りと願いに耳を傾け、裁きを行い、あなたに罪を犯した民を赦してください。」 そして朝、昼、夕の祈りは、捕囚期以降のユダヤ人の習慣となりました。加えて、ダニエルは、ひざまずいて祈ったとあります。公の祈りは、立って捧げましたが、切迫した祈りの場合は、ひ ざまずいて祈りました。私たちにも、祈らないことの危険が、いつもそこにあります。祈らない ようにさせようとする大臣や総督たちの背後に、サタンと悪霊がいます。 大臣と総督たちは、ダニエルが祈っている姿を目撃するや、ダレイオス王に、ダニエルを訴えました。王が署名した律法は、必ず実行すべきものでした。しかし王は、ダニエルを助ける方法はないものかと、心を砕き、救おうと日が暮れるまで努力しました。しかし王が署名したので、その勅令や禁令は取り消しが出来ず、王はやむなく、ダニエルを獅子の洞窟に投げ込ませることにしました。 ダニエルを死に直面させる法令を出したのは、ダレイオス王でしたが、ダニエルが死なないように願ったのも、この王でした。その姿は、後にポンテオ・ピラトが、イエス様を十字架にかけることを許しましたが、救い出そうと努力した姿に似ています。 王は宮殿に帰りましたが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟に行きました。6 章 21~25 節「洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。『ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。』 ダニエルは王に答えた。『王様がとこしえまでも生き永らえられますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。』 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。王は命令を下して、ダニエ ルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも 達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。」
法を犯した者の家族も、死刑になることがありました。それは遺族による復讐を防ぐためであったと考えられます。それにしても、執念深い憎しみは、被害者よりも、加害者を傷つけることになります。それは、創造主なる神様が、全てを見ておられ、正しく裁かれるからです。
そしてダレイオス王は、全地に伝令を送ります。6 章 26~28 節「ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。『いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし、その主権は滅びることなく、その支配は永遠。この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い、ダニエルを獅子の力から救われた。』」
結
ダニエルの神は、生きておられます。そして人々の日々の生活を導かれる神様です。ダニエルを救った神様は、あなたをも救ってくださいます。イエス様は、言われました。迫害されている者、義の為に苦しめられている者は、幸いであると。マタイによる福音書 5 章 10~12 節「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
初代教会のキリスト者たちは、ローマ皇帝ネロによって、獅子の餌食とされました。ダニエル は獅子の洞窟から救い出されましたが、初代教会のキリスト者は、獅子から救い出されませんで した。しかし復活して天の御国に入れて頂きました。加えて、初代教会、最初の殉教者であった ステパノは、後の使徒となるパウロに大きな影響を与えました。同じように、初代教会の殉教者 たちは、ローマの市民たちに、大きな影響を与えました。殉教の血は、宣教の拡大となりました。
日本のキリスト者は少数であり、異教、異端、無神論者に多く囲まれている場所に置かれています。その場所で、未信者である人たちに対して、私達キリスト者は、熱心に責任を果たし、祈り、献身する姿を通して、大きな影響力を与えて行きます。
十字架にかかり、復活された主イエス様が共にいてくださり、ご聖霊の力が与えられる時に、 そのことは可能になってゆきます。神様に愛されている皆さん、あなたも、義の為に迫害される 側となり、良き感化を、主にあって、置かれた場所で、発揮してゆきませんか。
お祈り致します。

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