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2022.7.27恵みの祈祷会前半_コロサイの信徒への手紙 3 章 16~19 節

前半 3 章 16~17 節「キリストの言葉と感謝と讃美」


牧師 松矢龍造


キリストによって救われたクリスチャンは、キリストにある新しい人生を、どのように歩んだらよいのでしょうか。一連のコロサイの信徒への手紙では、同情心、寛容、赦す心、愛、平和を身にまとい、主イエス様の名によって、感謝して行動することでした。

感謝を表す人は、真心を込めて礼拝することが出来ます。そして感謝の気持ちは、神様との平和に対して、私たちの心を開き、私たちが愛を身につけることができるように導きます。


御言葉と感謝と讃美とは、一方では、教会という共同体の行為である礼拝を意味します。また他方においては、日常のあらゆる面と活動において、キリストをあがめることを意味します。すなわちキリスト者の、私的な日常生活全体が、神様を礼拝する心の中で、営まれて行くことが求められています。一方では、共同体として礼拝堂で、礼拝や祈祷会を持つことと、もう一方は、日常において置かれた場所、遣わされた場所で、御言葉と感謝と讃美に生きるクリスチャン生活が意図されています。


16 節、「キリストの言葉が、あなたがたの内に、豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい」とあります。「宿す」と訳された原文の言葉は、「内在する」「中に住む」という意味でもあります。キリスト者の内に、キリストの言葉を、心情と知性の中に宿らせることです。もっと言えば、キ リストとの対話の中で、潤されていることです。

16節をリビングライフ訳聖書では「キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい」とあります。さらに創造主訳聖書では「キリストの御心を自分のものとし、キリストの助けによって、信者相互に啓発し合い、創造主の恵みに溢れ、心から創造主を讃美しなさい」と訳されています。

キリストの言葉を、心の内に蓄え、それを単に記憶したり、理解したりするにとどめず、教会という共同体という場で、あるいは、日常の生活の中で、互いに教え、戒め合うことを言っています。

初代教会では、神の言葉である聖書は、今のように紙に印刷されているわけでもなく、羊皮紙に記されているだけでした。ですから、キリストについての話や教えを、暗記して人から人へと伝えられました。その際に、単に暗記され伝えられる以上のことが求められました。すなわち、キリストの言葉は、それが信者の思いを支配するほどに深く、生活の中に根を下ろしたものでなければならなかったのです。

暗記して伝えられることは、時に曲がつけられて、讃美歌の歌詞としても伝えられました。そ して讃美は、クリスチャンの礼拝と教育の重要な部分となってゆきました。詩編と言われている 讃美は、旧約聖書の詩編の言葉そのものに、音符がつけられて讃美されたものと考えられます。 また賛歌は、聖書や信仰の内容が歌詞となって歌われたものと思いわれます。そして霊的な歌は、日常のあらゆる活動の中で、キリストを崇め感謝するワーシップソングや、ゴスペルソングなど を意味したかもしれません。

いずれにせよ、御言葉と感謝と讃美が、礼拝と日常生活に満ち溢れていることが命じられています。かつて旧約聖書のアモスの時代に言われた「御言葉を聞くことの飢饉」とは著しい対照をなした生活を意味しています。アモス書 8 章 11 節「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。」

あらゆる状況の中で、クリスチャンライフで最も困難な時は、主の言葉を聞くことの飢えと渇きです。そうならないために、あらゆる状況において、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」が大切になります。

17 節「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」何を話し、何を行うか。それは主イエスの名によって行うことだと言われています。主イエス様の名によって行う。それは一つには、主イエス様の代理人として行動することです。

二つ目に、主イエス様のご人格により頼んで行うことです。三つ目に、主イエス様によって生かされている者らしくするということです。四つ目に、キリストの臨在の下で行いなさいということです。五つ目に、キリストの為に行うことです。六つ目に、主イエス様と共に、父なる神様の前に出て、行うことです。

ですから、今語ろうとしていることが、イエス様の御名を唱えると同じ口で、そのことを話せるだろうか。今行おうとしていることが、神様に感謝出来るだろうか。今なそうとしていることが、キリストの為になるだろうか。たえず吟味する必要があります。

そしてイエス様によって、父なる神様に感謝しなさいと言われています。16 節にも、「感謝して心から神をほめたたえなさい。」と言われています。15 節にも「いつも感謝していなさい」とありました。15 節から 17 節まで、感謝が三回繰り返されています。

感謝の気持ちは、本来、私自身は、神様から招かれる資格がない罪人であるのに、こんな罪人 である私が招かれていることからきます。罪人である私が、ただ主の恵みによって招かれている。まさに感謝の他、何もでもありません。


17紀に、パウル・ゲルハルトというドイツ最高の信仰詩人と呼ばれるルター派の牧師がいま

した。69年の生涯の中で、実に 132 篇の讃美歌を主にあって、生み出しています。この人物の歌詞は、歌い出すという状況においてではなく、大概の人なら泣き叫ぶような状況のもとで書かれました。

彼の前半生は、戦乱の為に定職もなく貧困を極め、後半生は、家庭的には妻子に先立たれ、大 教会の牧師となりましたが、紛争で辞任させられました。いわば彼の生涯は、悲劇の連続でした。彼は、このような逆境の中にあっても、決して作詞を止めませんでした。彼が天に召された後に 銅像が建てられ、その銘に「サタンのふるいによって、ふるわれた神学者」と記されています。

彼の代表作は「あなたの道を」であると言われています。これは彼の信仰による不屈の生涯を よく表しています。一節に「あなたの道を、主にまかせて」。二節に、「どんな時にも、道を備え」。三節に、「悪が支配し、おどす時も」。四節「走るべき道を、走り終えて、栄光の御国へ、帰るそ の日、勝利の冠、与えられて、喜びの歌、共に歌おう」と凱歌をあげています。

どんな時にも、キリストの言葉が心に満ち溢れ、感謝と讃美が、日々の生活と礼拝において満ち溢れる生活となりますように。ご聖霊様の助けを頂き、その導きに従えますように。

(二人ずつ間隔をあけて、互いに前を向いての分かち合い)



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