top of page
  • 執筆者の写真CPC K

2022.8.31ダニエル書 10 章 1 節~11 章 1 節

牧師 松矢龍造


日本では、旧統一教会と政治家の癒着の問題が連日報道されています。地上のことでありますが、異端の背後には悪い天使すなわち、悪霊や悪魔が背後にいます。いわば地上と霊的な存在、表現を変えれば、地上と天上の両方において、私たちは警戒が必要となります。

ある霊的に鋭い人の言葉が遺されています。それは戦争をしている上空に、悪の霊が存在していると言われていました。現在、ロシアがウクライナに侵攻していますが、この地上の戦争の上空には、悪霊の存在があるのではないでしょうか。

今日の御言葉には、ペルシアの天使長とか、ギリシアの天使長という表現が出てきます。古代中近東の物語には、国々の戦は、それぞれの国の神々の戦い、あるいは天使長の戦として描かれることが多いです。それはそれぞれの国国々には、それぞれの神々や天使長がいて、その国々を守っていたとされています。しかし天使長と言っても、堕落して、悪魔に従った天使とも言えます。


以前、結婚 25 周年、そして希望が丘教会奉職 25 周年を記念して、夫婦でイタリアのバチカンや、フランスのモンサンミッシェルへと旅をしたことがありました。モンサンミッシェルの島にあります修道院の天上には、天使ミカエルが、サタンを踏んでいる像が存在しています。そして天使ミカエルは、悪魔や悪霊から人を守ると信じられていました。

さらにユダヤでは、大天使ミカエルは、イスラエルの守護天使とされています。ダニエル書 12章 1 節にもう一度出てきます。「その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く、国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。」

カトリックでは、信者に対して守護天使の存在を強調しますが、プロテスタントでは、キリストの臨在や、ご聖霊の内住の方が強調されています。

今日の御言葉では、預言者ダニエルが、嘆きの祈りをしていた際に、天使が励まし、助け、支え、力づけることが記されています。キリストや御聖霊が直接助けてくださることであっても、間接的に天使が用いられることでも、どちらでも、私たちが、傷つき、弱っている時に、神様に祈るなら、癒しや平安、励ましや力づけてくださることは、現代でも同じです。

今日の御子の冒頭で、ペルシアの王キュロスの治世第三年のことであると始まっています。ペ ルシアの王キュロスは、BC539 年に、バビロンを破って支配下に置きました。そしてキュロスは、バビロンに捕囚になっていた民を解放しました。それでイスラエルの民の一部は、エルサレムに 帰還して、神殿を再建してゆきました。

しかしダニエルは、ペルシアに留まりました。それは、年齢が 80 歳以上であった為、長い危険な旅をするには高齢過ぎたという説があります。また他の説では、ペルシア帝国の政府において、なおダニエルに仕事が託されたと言っているものもあります。そしてさらに他の説では、そこに 留まるように、神様から使命を受けており、その仕事をやり遂げるように、神様から告げられて いたのかもしれません。私は、これら三つの全ての要因の為であったのではないかと思っています。

10 章~12 章には、ダニエルに与えられた、最後の幻が記されています。そこには、世の終末に向けて、神の民と、それを滅ぼそうとする者たちの、大いなる霊的な戦について、より詳細な洞察が与えられる内容となっています。

ダニエルは、この最後の幻が与えられたのは、85 歳以上まもなく 90 歳を迎えようとしていた時と考えられます。三週間にわたる嘆きの祈りをしていたとあります。この三週間には、肉も酒も口にせず、体には香油も塗らなかったとあります。預言者ダニエルは、特定の食品を食べることを控え、香油も体に塗りませんでした。これらは全て祝宴と喜びのしるしであったからでしょう。憂いと苦しみの中で、祈りと霊的な戦に臨んでいたのではないでしょうか。

ダニエルが、祈りの中にいますと、一人の麻の衣を着、純金の帯を腰に締めて立っている人が現われました。他にも「体は宝石のようで、顔は稲妻のよう、目は松明の炎のようで、腕と足は磨かれた青銅のよう、話す声は大群衆の声のようであった」とあります。

上質の亜麻布は、きよさを表し、イスラエルでは祭司の衣服に用いられました。純金は、高貴な存在を表しています。この人は、受肉前のキリストと言う説、天使カブリエルと言う説、そして他の名前が記されていない天使という説があります。いずれにせよ、預言者ダニエルは、超自然的な善と、悪の力の戦を垣間見たのです。

ダニエルの所にこようとしていた人が、ペルシア王国の悪の天使長に抵抗されて、21 日間行くことが出来ませんでした。しかし天使長ミカエルが、来て助けてくれたので、ダニエルの所に、その人が伝えに来ることが出来ました。そしてダニエルに相対します。

18 節 19 節「人のようなその姿は、再びわたしに触れて力づけてくれた。彼は言った。『恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。』こう言われて、わたしは力を取り戻し、こう答えた。『主よ、お話しください。わたしは力が出てきました。』」

このところから、いくつか、私たちに対しても、示されることがあります。一つ目に、神様がダニエルを力づけて下さったように、私たちも、傷ついているとき、主は癒してくださいます。また困難な時に、平安を与えてくださいます。そして弱っている時に、強めてくださいます。

二つ目に、私たちの祈りに対する答えは、時に見えない霊的な妨害によって、邪魔されるかもしれないということです。ですから、神様から、祈りの応答が、簡単に素早く来ると期待しないようにということです。

ですから三つ目に、祈りが悪の勢力によって攻撃されているかもしれませんから、熱烈にご聖霊に助けられて、祈り続けることが大切だということです。

四つ目に、神様は、しかるべき時に、祈りに対してお答えくださいます。それを信じて、待ち望みます。

そして五つ目に、私たちの祈りに対しても、主は励ましの言葉をくださいます。「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」

ペルシアもギリシアも、悪の天使長すなわち悪霊たちの支配下にあります。しかし過去、現在、未来において、さらにその上から支配しておられるのは、創造主なる神様です。そして全ては「真理の書」に記されています。真理の書とは、創造主なる神様に属する人の名が記されており、また人々の善行と悪行が全て記されている書の事でしょう。

出エジプト記 32 章 32 節 33 節「『今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。』主はモーセに言われた。『わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。』」

現在は、私たちの助けは、先ず十字架と復活によって、サタンに勝利して下さったキリストがおられます。また父と御子から遣われさた真理の御霊様がおられます。そして終末の時に、悪魔に勝利する天使ミカエルがいます。ヨハネの黙示録 12 章 7 節 8 節「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。」

そして父なる神様の大能の力に預かり、神様の武具を身につける必要があります。神様の武具の中心は、ご聖霊による御言葉の剣と、ご聖霊による祈りです。その祈りは祈り祈られる共同体の祈りでもあります。礼拝や祈祷会で、ご聖霊によって、祈り合うことの大切です。

最後に、私たちにとって、地上と天上での戦いと言えば、戦争という大きなこともありますが、身近には、病との闘いがあります。最後にグ・インユという方の「アバ、父の腕枕」の中から、「病の時に覚えるべき恵み」を受け留めます。

「私たちは、何らかの病や痛みを抱えることがありますが、そのうちにあるものは、神様が触れてくださると、きれいになくなります。苦しみの多い人生の中で、そのような癒しを経験することは恵みです。しかし、ある病は、そうではありません。長い時間が流れた後に、ようやく治ったり、治ったりしても、再発を繰り返して、生涯を過ごすこともあります。

あるいは、全く良くなる兆しが見られない場合もあります。しかし、このような病を抱えたとき、自分が望む時に、自分が願う通りに癒してくださいと、神様に強いる態度は、考え直すべきです。長い間、良くならない病のために、神様は、私を見放されたとか、自分の信仰が足りないせいだなどと、勝手に判断する態度も、考え直すべきです。

このような時に、できることは、信仰により、神様の愛を受け留め、味わい、分かち合うこと です。パウロも、生涯『肉体の棘』を抱えていました。主が癒やさないと決められたからです。 彼は、3度も癒してくださるように願いましたが、主は『わたしの恵みは、あなたに十分である』と言われました。

私たちが考える有益と、神様がお考えになる有益は、明らかに違いがあります。苦しみがなくなることと、品格が変わることと、どちらが優先でしょうか。私たちは、『必ず、この病を癒してください』と、だだをこねるのではなく、『この病を恵みにふさわしく受け入れて生きていけるようにしてください』と祈りたいものです。

そして、神様のすばらしいご計画によって、癒されない病と苦しみがあるということを覚えておくべきです。」

主に愛されている皆さん、神様が愛しておられることと、病や苦しみが許されていることは、矛盾しません。そのことを、万事益としてくださる父なる神様の御摂理を覚え、また御子イエス様の十字架と復活による愛と力に預かり、さらに、ご聖霊の望みと助けに信頼して、受け留めてゆきませんか。

そして地上と天上での戦いを、御言葉によって受け留めながら、信仰と霊的な戦に、神様の力と、神様の武具によって、勝利させて頂きませんか。

お祈り致します。

閲覧数:1回0件のコメント
bottom of page