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2022.9.21 ダニエル書 12 章 1~13 節「時の終わりに定められている永遠の命」

牧師 松矢龍造


ダニエル書の連続講解説教を始めまして、今日が最終回となります。新約聖書における黙示文学の代表的な書簡は、ヨハネの黙示録です。ヨハネの黙示録の連続講解説教が終えた後に、この旧約聖書の代表的な黙示文学の一つであるダニエル書が導かれました。難解な黙示表現がありましたが、最後まで、御忍耐の中で、受け留めて頂いて感謝です。

最後に強調されているのは、迫害や困難さの中にあっても、永遠の命の確信を持てることです。現在の私たちも、旧約時代に生きていた人々も、目指していたのは、永遠の天の故郷、天の都でした。アブラハムたちも、地上での約束の嗣業地は、天の嗣業地の保証ということでしたから、最終的に目指していたことは、天の都、天の嗣業でした。

ヘブライの信徒への手紙 11 章 16 節「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」


旧約聖書においては、永遠の天の嗣業という表現は出て来ても、直接、永遠の生命という言葉自体が出てくるのは稀です。しかし今日の御言葉にあります 12 章 2 節には確実に「永遠の生命に入り」とあります。他にも旧約聖書の中で数少ない永遠の命に関する言葉は、イザヤ書 26 章 19 節にあります。「あなたの死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がりますように。塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます。」

新約聖書には、旧約聖書に比べ比較的多く出てきます。たとえばマタイによる福音書 25 章 46 節「こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」他にもヨハネによる福音書 5 章 29 節「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。」


それではダニエル書 12 章 1 節をもう一度「その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く、国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。」

大天使長ミカエルは、ユダヤ人にとっては、ユダヤの民を守る守護天使として受け留めています。しかし大天使ミカエルは、ユダヤ人だけでなく、全ての神の民の守護天使です。そして世の終わりには、サタンとその勢力に対して、大天使長ミカエルが率いる天使の軍団が勝利します。

ヨハネの黙示録 12 章7~10 節「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。』」

けれど神の時が来るまで、神の民には、苦難が許されます。それは一つには、サタンの勢力の中から、救い出される人たちがいるかもしれないので、主が忍耐を持って、その裁きの時を遅らせておられるからです。ペトロの手紙二 3 章 9 節「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」

二つ目の理由として考えられるのは、逆に、その時神の民と思われても、本当に神の民であるかが、試練を通して明らかにされる為です。そして三つ目の理由として、神の民の純化と聖化の為です。ローマの信徒への手紙 5 章 3~5 節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

「あの書に記された人々」とは、命の書に名が記されている人たちのことです。イエス様を信じる神の民であり、忠実な聖徒たちのことです。ヨハネの黙示録 3 章 5 節「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。」

続いてダニエル書 12 章 2 節「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。」小羊なるキリストの贖いを受け入れる者には、救いと永遠の生命が与えられます。しかし拒む者には、永遠に続く恥と憎悪と地獄が待っています。

3節「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。」主イエス様を信じて、霊的に目覚めた者たちは、大空のように輝き、さらに多くの者の救いとなった人々は、とこしえの星と輝きます。ですから、主イエス様を信じることと、その後にキリストを証しして、多くの者の救いの為に用いられる人々は、主の御前に輝く存在となります。

4節「ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」終末のことは語られますが、しかし詳細に関しては隠されています。

5~7 節「わたしダニエルは、なお眺め続けていると、見よ、更に二人の人が、川の両岸に一人ずつ立っているのが見えた。その一人が、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人に向かって、『これらの驚くべきことはいつまで続くのでしょうか』と尋ねた。すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。

『一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。』」

ダニエルが見た二人とは、一人は天使カブリエルではないでしょうか。もう一人麻の衣を着て、永遠に生きる方とは、受肉前のキリストではないかと考えられます。そして反キリストによって神の民が苦難を受ける期間は、一時期、二時期、そして半時期と言われています。これは三年半という象徴的な数です。完全数7の半分にあたり、それは限定的であり、創造主なる神様が、その期間を制限され、全ては主なる神様によって治められていることを示しています。そして国家的にも、個人的にも、苦難の時が窮みに達する時、主なる神様による救いの時は近いです。

8~10 節「こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。

多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが、目覚めた人々は悟る。」

最初はサタンの勢力の中にいた人々の中にも、主なる神様が、反抗的な民のおごりと自己満足を打ち砕く時、その民の中から、神様を自分たちの主として受け入れる人々起こされるようになります。しかし逆らう者はなお逆らいます。

11~12 節「日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。」

日毎の供え物を廃止する、憎むべき荒廃をもたらす者とは、直近では、シリアのアンティオコス4 世ですが、終末における反キリストの勢力のことも含めた二重、三重預言ではないでしょうか。そして 1290 日とは、激しい迫害の期間のことであり、1335 日は、これに 45 日が加えられた数字ですが、完全な勝利に至る時のことでしょう。

ですから、終わりの時が知らされているのですから、最後まで耐え忍ぶ者は幸いであるということです。マタイによる福音書 24 章 6~14 節「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

13 節「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」

ダニエルも、肉体の死の時がおとずれ、土の中に眠るでしょう。しかし時の終わりに、ダニエルも必ず復活にあずかることができます。

運命と訳された原文の言葉は「受けるべき分」あるいは「割り当たられたもの」という意味でもあります。神の民、キリストに贖われた民は皆、復活して天の御国で、割り当ての地に立つのです。


地上の民は、裁かれて永遠の命にいたる者たちと、永遠の滅びとなる者たちに分けられます。また神様への忠義は、この人生においてではないとしても、確実に、次の天の世の生活において、豊かな報いを受けます。救われたなら、他の人々の救いの為に、主と共に、主の御言葉を輝かしながら、仕えてゆきましょう。そして主から自分に委ねられている道を、警戒し祈りつつ、ご聖霊の助けを頂いて、最後まで、歩もうではありませんか。時の終わりに、自分の割り当ての地に立たせて頂けます。お祈り致します。


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