2022.9.7ダニエル書 11 章 2~20 節 「人間の支配の儚さと神の真理の不変」
- CPC K
- 2022年9月16日
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牧師 松矢龍造
起
人類と世界の歴史は、衝突と戦争、疾病や不幸が、うんざりするほど、繰り返されています。現在も、中国と香港やウイグル地区との衝突、ロシアのウクライナへの侵攻と戦争、コロナ禍と自然災害が現在もあります。
さらに私たちの身近な中にも、病や不調和、偽りや不正があります。遠くのことは、身近なのことでもあります。それらの暗黒の時に、あの創造の時に、混沌の闇を、神様の霊が覆っておられて、世界が形造られたことを思い起こすことが大切です。ご聖霊なる神様は、たとえ最暗黒であっても、それを覆い、やがて神様の時に、秩序と美を回復される。それが聖書の預言です。
今日の御言葉は、ペルシア帝国とギリシア帝国の争いが記されています。これを読む私たちは、いったい自分たちに、どのような関係があるのか戸惑いながら、読み進めたのではないでしょうか。
歴史上の闇は分かるが、私とどのように関係があるのだろうか。最初は、わたしは今日の御言葉が、響いてきませんでした。ならば、何を説教で語ることが出来るのだろか。とまどいながら準備を始めました。しかしまさにここに記されている人間の歴史の混沌は、わたしの人生にも当てはまるということが、だんだん分かってきました。
承
預言者ダニエルは 90 歳位になっており、晩年を迎えていました。ペルシアの時代になりまして、キュロス王によって捕囚から解放されたイスラエルの民の中から、エルサレムに帰還して神殿を再建していきました。この後、イスラエルの民と世界は、どうなってしまうのだろうか。自分が天に召された後の世界は、どうなってしまうのか。ダニエルは、不安の中にいました。
そんな中で、天使長ミカエルやガブリエル等から助けられて、創造主なる神様からの預言を受けて記しています。私たちも、今後の世界がどうなってしまうのか。不安のなかにあっても、主が神様の言葉によって、励まし、強め、希望を与えて下さいます。
イスラエルの歴史は、北と南にあります大国の狭間で、絶えず振るわれて来ました。北のアッシリアやバビロン、南のエジプトという大国の狭間で、小国イスラエルの運命が左右されるように、世には見えます。その中で、イスラエルの生命線は、主からの言葉と、創造主なる神様への信頼でした。しかし偶像や大国に頼る愚かさの繰り返しを見せた歴史でもあります。
転
ダニエル書 11 章 2 節「さて、お前に真理を告げよう。見よ、ペルシアになお三人の王が立つ。次に、第四の王はだれにもまさって富み栄え、富の力をもってすべての者を動員し、ギリシア王国に挑戦する。」
預言者ダニエルに対して、「真理を告げよう」と言われています。「真理」と訳された原文の言葉は、「確かさ」「信頼性」「信頼できること」と言う意味でもあります。これから後に起きることは、この預言の通り確かなことであり、ペルシアはこの後四人の王が立ち、その後ギリシア帝国になる。まさにこの後、ペルシアとギリシアの国に起きたことは、預言の通りです。
この預言の言葉は、単なる予測や予想ではなく、必ずそうなると信頼を持って受け留めることが出来る言葉だと言われています。そして天では、後のことも確かに把握していることが示されています。
ペルシアの王キュロスの命令によって、捕囚の地から、父祖の地であるエルサレムに帰還したイスラエルの民でした。その民を心配していたダニエルに対して、希望と将来を与えるものとなってゆきます。
主から後のことを示されたダニエルは、人間の支配の儚さの中で、選びの民に対する不変の守りを受け留めます。選びの民の為には、天使たちを動員して、大国間の争いに巻き込まれることのないように、主なる神様は守って下さっている。イスラエルに対しては、天使長ミカエルが守っています。
この 11 章というのは、旧約聖書マラキ書と、新約聖書のマタイによる福音書の間の、中間時代に関することが預言されていますので、大変貴重な預言でもあります。
ペルシアの王クロスの後に、3 人の王が起こります。そして第四の王は、クセルクセス、またの名をアハシュエロス王です。その後、一人の勇敢な王アレキサンドロス王が、ギリシア帝国を打ち建てます。アレキサンドロス大王は、32 歳で没するまで、12 年と 8 か月の治世の間、世界地図を変えたと言われるほどに勇敢な王でした。大きな権力をもって治め、思いのままに振る舞いました。しかし急死して、その帝国は、4 人の将軍によって分割されて、支配されることになりました。アレキサンドロス大王には、二人の息子がいましたが、権力争いの為に、二人とも殺害されました。人間の支配の儚さを、ここでも思います。
その後、紀元前BC300 年から 200 年の間に、帰還したイスラエルの民が住むパレスチナの支配を巡って、北と南の王による闘争、すなわちプトレマイオスとセレウコスによる闘争が起こります。政略結婚やその失敗など、様々な人間模様も記されています。
主なる神様は、高ぶる王には、メネ、メネ、テケル、ウバルシンと警告されたり、裁いたりされます。北のシリアと南のエジプトの王たちの間の陰謀の渦巻く中でも、選民の歴史に、影響を与えて滅ぼすようなことは、記されていません。それは現在の色々な出来事があっても、神の民と教会の為に、御摂理を持って創造主なる神様が支配しておられることを示すものでもあります。
創造主なる神様から、全世界の祝福の基となるように召し出されたイスラエルです。この神様に選ばれたイスラエルの民に、影響を及ぼすものとして、この 11 章は記されています。それはまた現在、私たちがこの 11 章を読む中で、現在においても、様々な出来事が起きても、神様の民と、キリストの教会の為に、創造主にして救い主なる神様の御摂理が働いておられる。そのことを聖書の読み手に示しているものでもあります。
様々な人類の歴史の中であっても、神様の永遠のご計画は、とこしえに堅く立ちます。父なる神様は、主イエス様に、全地を委ねておられます。マタイによる福音書 28 章 19 節 20 節「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」
人間の支配は儚いです。しかし神様の真理は不変です。人と国の両方は、混沌の状態にあります。創造主なる神様から離れるなら、どの人も国も混沌の状態となります。まさに人類の歴史は、創造主なる神様に背を向けたことによって、混乱と争い、闘争と残虐、迫害と不安、権力争いと滅びの中にあります。その中で、ハデスの門も、教会を破壊することは出来ません。神様が共におられるからです。
マタイによる福音書 16 章 18 節「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」
混沌からの救いは、主イエス様によって、父なる神様のもとに立ち帰ることです。そしてご聖霊によって、救いと再生、秩序と美を回復して頂くことです。
結
最後に、キム・ナムグクという方の「自分が願うことだけを信じる愚かさ」という内容を受け留めます。「ある有名なお坊さんの Youtube を見たことがあります。集会の中で、ある仏教信者が、こう質問しました。『母が突然亡くなった時、極楽往生を願って熱心に祈りました。本当に極楽があるでしょうか。母はそこにいて、待っていてくれるでしょうか。今日、和尚さんから希望を持てるように、答えを聞きたいです』。
すると、そのお坊さんは、『お母さんが、極楽に行ったと信じたいですか。それとも地獄に行ったと信じたいですか』と尋ねました。信者が『極楽です』と答えると、お坊さんは『そうでしょう。そう信じれば、心が楽になりますよ』と言いました。世の中には、様々な宗教がありますが、このように自分が願ったことは成就すると教えることで、解脱を強調することが多いです。
これらの宗教とキリスト教の違いは何でしょうか。それは、自身の信念を信じるのではなく、イエス様を信じることです。私たちの救いは、空しい願いにあるのではなく、イエス様にあることを信じることです。私たちの奇跡は、イエス様です。イエス様が私たちを導いていかれること、私がイエス様を信じていることが奇跡なのです。
お金や職場が与えられることが奇跡ではないのです。この世の人々が、自分の願いがかなったことを誇っても、動揺したり、うらやましがったりする必要はありません。最後には、神様の真理が勝利します。私たちは、イエス様だけを、追い求めていけばよいのです。」
神様に愛されている皆さん、人間の支配も、人間の願望も、実に儚いものです。創造主なる神様から離れるなら、全ての人も、国々も、混沌の闇に陥ります。神の御子イエス様の真理だけが、光と救い、信じる者に確かな永遠の命と、本当の人間の生き方を与えてくださいます。その恵みに預かり、イエス様だけが救いであると祈り、ご聖霊によってさらに証しをしてゆきませんか。お祈り致します。

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