2022年4 月17 日 イースター・復活祭
- CPC K
- 2022年4月17日
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サムエル記上2 章1~10 節 ヨハネによる福音書21 章1~18 節
「陰府からの復活」
牧師 松矢龍造
起
イースター・復活祭おめでとうございます。COVID‑19・新型コロナ禍で迎える三度目のイースターです。教会学校も、三年連続で、早起きお祈り会を捧げることが自粛となりました。加えて今世界では、ウクライナへのロシアの侵攻という戦争の中にもあります。まさに受難の時代です。
そんな中でも、受難週祈祷会は、コロナ禍でも三年連続、ネット配信も含めて、捧げることが出来、感謝であります。今年の受難週祈祷会では、ヘブライ人への手紙と、ヨハネによる福音書から、「信仰と試練そしてキリストの受難」というテーマで先週の五つ間、10 回の祈祷会を持ちました。そしてイースター・復活祭では、今年の日々の聖句・ローズンゲンは、世界中のキリスト者と共に、ヨハネによる福音書とサムエル記上2 章の御言葉を読んでいます。
承
この旧約聖書と新約聖書には、二人の女性が精神的な陰府の縁から復活するという内容が記されています。旧約の女性は、預言者サムエルの母となりましたハンナという女性です。ハンナの祈りは、新約時代のイエス様の母マリアの賛歌に大きな影響を与えたとされています。ハンナは、子がなく、肉体的、精神的、社会的、霊的に、死んだような状況でした。
一方、新約時代の女性は、マグダラのマリアです。七つの悪霊をイエス様によって、追い出して頂いた娼婦でした。新生してからは、イエス様一向に同行して、イエス様と弟子たちに仕えていました。ところが、最大の希望であったイエス様が、十字架で死なれ、絶望の中で、イエス様が葬られた墓に向かった女性の一人でした。彼女もまた、精神的な陰府にいるような状態で、肉体的にも精神的にも社会的にも霊的にも。死んだような状態でした。
この二人の女性、いや私たち全員にとって、油注がれた救い主・メシアなるキリストが、復活された。それはどのような意味と状況をもたらすでしょうか。それが今年のイースターメッセージであります。
転
先ずキリストが復活されたことは、私たちにとって少なくても、四つのことを意味し、多大な影響を、私たち人類に与えています。
一つは、主イエス様は、死人の中から復活すると約束して下さいました。ならば最も困難のことの一つである死者の中かの復活を成し遂げてくださったのですから、ご自分が約束されたすべてのことを成し遂げてくださるということです。
二つ目に、主イエス様の肉体の復活は、生けるキリストが、偽預言者でも、詐欺師でもなく、神の永遠の御国の支配者であることを示しているということです。
三つ目に、主イエス様がた復活されたので、私たちは、自分たちも、イエス様を信じる時、復活させて下さると、確信することができます。
四つ目に、主イエス様を、生き返らせた父なる神様の力は、私たちを霊的にも、死人の中からも、生き返らせることが出お出来になるということです。
これらの四つは、キリストの復活によって、世に対する教会の証言の基礎であり、一大基盤となっています。
旧約時代のハンナの夫であるエルカナには、二人の妻がいました。ハンナの他にペニンナという女性です。このペニンナには、複数の子どもが与えられていました。結婚において、一人の夫と一人の妻が結ばれる。いわば一夫一婦の制度は、人類の最初から神様の意図されたものでした。創世記2 章24 節「こういうわけで、男(単数)は父母を離れて女(単数)と結ばれ、二人は一体となる。」
二人が一体となる。それは、3人以上は当てはまりません。この原則が破られる時、必ず家庭は乱れます。たいていの場合、そこで苦しむのは、敬虔で信心深い女性の方です。イスラエルの当時の女性にとって、不妊は恥辱であり、悲しみであり、神様からの呪いとまで言われていました。ハンナは、シロという場所で行われていた例祭の度ごとに、夫エルカナのもう一人の子宝に恵まれた妻ペニンナから、心の傷口に、塩を刷り込むようなことを言われ、食事も出来ないほどに傷つき続けていました。それは、彼女に対する夫の愛情も、その傷を癒せないほどでした。もう頼る御方は、主なる神様のみです。霊的な陰府にいるようなハンナは、切実に長く主の神殿で祈りました。すると主なる神様は、ハンナの祈りに応えて、預言者サムエルとなる子を授けて下さいました。そしてその後、サムエルを神様に献身させたのち、息子三人、娘二人を授かりました。
ハンナの祈りは、人生に起こる全ての出来事において、全知全能の神様が、究極的に全てを支配しおられることに、信頼し、感謝し、讃美する祈りです。私たちもまた、全ての良き賜物について、神様をほめたたえることによって、私たちは、人生のあらゆる出来事を、究極的には神様が支配しておられることを知り、認識してゆきます。どんな時にも、岩なる神様に望みを置きましょう。神様の慈しみは、決して絶えることがありません。この信頼と望みに生かされたハンナは、もう一人の妻ペニンナの罪と高慢を、主がすべてご存知なので、その裁きを神様に委ねました。私たちも、自分の手で復讐したいと言う誘惑に、主にあって負けてはなりません。主なる神様は、不正を働いた人物の行いだけでなく、あなたの思いと行いをも量られます。
続いてハンナの祈りの中で、「油注がれた者の角を高くあげられる」とあります。油注がれたメシアなるキリストは、十字架の苦難の後に、陰府から高く引き上げられました。この復活されたキリストが、マグダラのマリアに現れました。復活されたので、空の墓となったことを見たマリアは、復活の主イエス様から、「マリア」と名前を呼ぶのを聴いて心の目が開かれました。このイエス様の呼びかけが、ただそこに誰かがいるという認識から、復活の主イエス様を信じる信仰へと目覚めさせました。復活されたイエス様は、あなたの側に今も霊的におられて、あなたの名を読んでおられるのではないでしょうか。ハンナとマリアは、共に精神的な陰府にいる状態から、イエス様によって引き上げられました。
一方イエス様は、十字架の死後に、墓に葬られて、実際の陰府に降られました。陰府とは、死者が影として生きる霊的な地下の世界です。そして全ての人が、死後に行き、裁きを待つ場のことです。この後、刑罰を受ける地である地獄のことではありません。
キリストの福音を一度も聞くことがなく、召された人々は、どうなるのでしょうか。二つの可能性があります。
一つは、自然啓示を通して神の存在を知り、人を裁いて同じことをしている自分の罪に気づき、心の良心という律法に照らして、この神に悔い改めて祈ったなら、聖書もキリストも知らない人でも、救われる可能性があります。
もう一つ、キリストが陰府に行かれた時に、陰府で死者に対して、キリストが福音を語られた。そして悔い改めてキリストを信じたなら救われる可能性があります。ハンナとマリアが、精神的な陰府から、引き上げられたことは、死者の復活ではなく、死に直面した状況からの回復を意味しています。一方キリストの陰府よりの復活は、まさに死者の中からの復活、陰府からの復活のことです。
ハンナとマリアの精神的な陰府より引き上げられたことも、キリストの実際の陰府よりの復活も、どちらにとっても、父なる神様は、救いの岩です。この岩は、決して変わることなく、安全で確実な永遠の確かさです。そしてどんな困難と死の時にも、私たちの永遠の確かな避難所です。
詩編30 編4 節「主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、わたしに命を得させてくださいました。」詩編49 編16 節「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる。」
結
最後に、ハ・ヨンジョ師の「復活信仰がありますか」という内容を受け留めます。「信仰のクライマックスは、イエス・キリストを死者の中から、よみがえらせた神様を信じることです。私たちは、生きている間、親や友人など、人の死に遭遇します。葬儀に行ったことのない人はいないでしょう。ところが、復活は、人がこの世では経験できないものです。
天の御国が、どんな所で、復活がどのようなものであるかを、事前に知ることが出来るなら、この世での、どんな苦難や悲しみがあっても、問題にならないでしょう。ですから、天の御国があるという事実を、信仰によって受け入れてください。そうすれば、どんなことがあっても、恐れなくなります。
『明日』が確かな人は、『今日』という日が明確になります。『明日』が不確かな人は、『今日』の人生に自信がありません。疑い深く、不安や心配しかないからです。忘れないでください。神様は、死者を生かし、無いものを有るものとして召されるお方です。
私たちの心が、天の御国に対する希望で満たされるように願います。ご聖霊を受けた人は、天の御国が、自分の近くにあるのを感じます。信仰によって、天の御国を見、イエス様の苦難を感じ、十字架の出来事を悟るのです。イエス・キリストの贖いに対する信仰がなければ、風に吹き飛ばされる籾殻のようです。その救いの先に、復活があるという信仰を握りしめる人は滅びません。イエス様と共に永遠に生きます。私たちの心に、このような確かな信仰が根づくことを切に願います。」
主に愛されている皆さん、十字架に付けられ、死にて墓に葬られ、陰府に降られたイエス様は、復活して、今は天の右の座におられます。そしてどんな精神的な陰府も、実際の陰府であっても、キリストを信じる者は、復活して、永遠の命と、永遠の確かさの中にあります。あなたも、復活されたキリストを信じ、キリストを隣人に証ししてゆきませんか。
お祈り致します。

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