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2023.1.11箴言 4 章 1~27 節「知恵と分別による恩恵」

牧師 松矢龍造


箴言には、二つの道と人生が対比されています。一つは、知恵があり、神様に従う人の道は、まっすぐで、真の命が与えられ、輝いています。そしてもう一つは、愚かで悪事を働く者の道であり、曲がっていて、闇であり、死と滅びに至ります。

今日の箴言 4 章の御言葉には、知恵と分別を心に留めて歩むことの恩寵が展開されています。知恵や分別は、子どもの時には、主にある父や母から教えられます。この箴言の多くは、ソロモン王が記したされています。ソロモンの知恵は、子どもの頃は、父ダビデ王に由来するでしょう。そして子どもから大人になるにつれて、教師や律法から知恵を頂き、それらの全ての元は、創造主にして救い主なる神様から来ています。

7 節「知恵の初めとして知恵を獲得せよ。」とあります。知恵の初めは、主を恐れ敬う知恵です。それが知恵と分別の全ての方向性です。

分別とは、知恵と同義語です。知恵や分別を説くとは、幸いと真の命を説くことです。旧約聖書では、知恵と出てきますが、新約聖書では、福音と言い換えてもよいと思います。旧約聖書でいう知恵は、おもに真の神様を知り、その御旨をわきまえることです。

そして新約聖書では、福音や知恵とは、キリストであり、このキリスト的な生活を営むことです。キリストの内には、知恵と知識が豊かに存在しています。コロサイの信徒への手紙 2 章 3 節「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」

使徒パウロは、この知恵と知識の宝が全て隠れているキリストを知ることに比べたら、他のものは塵あくたと言っています。フィリピの信徒への手紙 3 章 8 節「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」

そして主イエス様は、御自身の中に、永遠の真の命があると言われています。ヨハネによる福音書 17 章 3 節「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」

箴言 4 章 1 節2節「子らよ、父の諭しを聞け、分別をわきまえるために、耳を傾けよ。わたしは幸いを説いているのだ。わたしの教えを捨ててはならない。」知恵や分別は、最初、家庭で教えられるものです。この聖句は、イングランドとスコットランドの清教徒・ピューリタンに、理想の家庭を教えたと言われています。

もっとも、これと似たような教えは、モーセが、イスラエルの人々に与えた戒めでもあります。申命記 6 章 6 節 7 節「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」

信仰と知恵に関しては、先ず各家庭で実行すべきことです。モファットという聖徒が少年時代に、家を出て他の地に出かける時、彼の母が、行く先々で、必ず毎日聖書を読み、神様に祈ることを約束するように求めました。モファットは、最初これを拒みましたが、後には母の涙ながらの懇請に逆らうことかでできないで、それを約束して実行しました。

その結果は、自分が恵みのうちに成長するばかりか、他の人の救いにまで熱心となり、後年、アフリカ伝道の開祖になりました。それは、まったく母から受けた信仰の感化によるものだと言われています。

また親子の例ばかりでなく、知恵を愛することは、妻への誠実な愛に等しいと表現される方もいます。知恵の恩恵の第一は、あなたを見守り守ってくれます。6 節「知恵を捨てるな、彼女はあなたを見守ってくれる。分別を愛せよ、彼女はあなたを守ってくれる。」

また 23 節に「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」とあります。心を守るとは、一つに、罪から救うことです。二つ目に、救いを持続し、恩恵のうちに、成長進歩します。三つ目に、進んで他の人も、同じ救いに入らせる為に、力を尽くします。

雪の中を旅行する者があり、疲れて道に倒れそうになりました。しかし倒れたら凍死する恐れがあることを知っているので、しいて気を励まし前進するうちに、途上に、他の旅人が倒れているのを発見しました。驚いて、必死になって応急手当をして骨折ったかいがあり、倒れていた人はやがて息を吹き返しました。

それと同時に、人を助けるために尽力した旅人の方も、おかげで、新しい気力を回復し、人を助けた報いとして、自分も救う結果になりました。私たちは、自分の霊魂を健全に保護するためにも、最も必要なことは、他の人を滅びから救うために奮闘することではないでしょうか。

第二に、知恵の恩恵は、真の命を得ることにつながります。4 節「父はわたしに教えて言った。

『わたしの言葉をお前の心に保ち、わたしの戒めを守って、命を得よ。』」13 節にもあります。「諭しをとらえて放してはならない。それを守れ、それはあなたの命だ。」

新約聖書で、イエス様も言われています。ヨハネによる福音書 4 章 14 節「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

第三に、知恵の恩恵は、全身を健康にします。22 節「それらに到達する者にとって、それは命となり、全身を健康にする。」知恵や分別によって、不養生をしなくなってゆきます。また無駄な思い煩いをしなくなります。そして神様に信頼して、道にかなった生活をします。すると病気をすることが少なく、病気をしても、直りが早くなります。さらに病気をしても、大きな喜びを、心と魂に持ち、病気に魂が負けません。そして死んだ後には、御国に入る確実な希望があります。

ある方が、老年に、病気で手術を受けなければならなくなり、医師は彼が高齢であるため躊躇しました。しかし彼が「わたしは酒を飲まず、たばこを吸わず、一生一妻を守って一度も不品行のために身を汚したことがありません」と言うのを聞いて、医師は「それなら大丈夫、安全に手術を行うことができる」と言いました。真の信仰は、肉体の健康にとっても良薬の働きをします。

第四に、知恵の恩恵は、足取りにおいて、たじろかず、つまずくことがありません。12 節「歩いても、あなたの足取りはたじろがず、走っても、つまずくことはないであろう。」26 節にも「どう足を進めるかをよく計るなら、あなたの道は常に確かなものとなろう。」

古代の道は、たいてい岩だらけで、曲がりくねっています。ですから旅行は、楽なものではなく、危険がともないました。ですから、まっすぐな道は、旅人の理想であったでしょう。まっすぐな道とは、知恵を持って神様の教えに従うことです。そこには、真の命と真の自由、長寿と幸い、生活におけるあらゆる面での豊かさと繁栄があります。

第五に、知恵の恩恵は、輝きを増します。18 節「神に従う人の道は輝き出る光、進むほどに光は増し、真昼の輝きとなる。」逆に、愚かな道を歩むなら、夜と闇と死となります。古代世界では、夜は特に恐ろしい時間であったので、悪や愚かさを象徴していました。また死は、闇と表現されました。愚かで、悪事を働く者の道は、曲がっていて闇であり、死と滅びに至ります。

これに対して、正しく知恵深い人の人生は、太陽の輝きのようであり、律法は、灯火と表現されています。知恵ある生き方は、誰の目にも明らかで美しく、成功と名誉を与えます。イエス様は、世の光であり、このキリストに従う者たちも、世の光とされ、御聖霊によって、良き業や愛の業をなします。

最後に、知恵ある生き方を妨げるものがあることを受け留めます。それは、耳で何を聞き、心をどこに向け、足をどこに向かわせ、口の利き方に注意が必要です。20 節 21 節「わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。見失うことなく、心に納めて守れ。」

そして 24~27 節「曲がった言葉をあなたの口から退け、ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。目をまっすぐ前に注げ。あなたに対しているものに、まなざしを正しく向けよ。どう足を進めるかをよく計るなら、あなたの道は常に確かなものとなろう。右にも左にも偏ってはならない。悪から足を避けよ。」

私たちは、心に満ちているものを語り、行います。心に、神様の知恵と愛と真理を満たしていることが必要です。また耳には、神様の御言葉を常に聴いている必要があります。そして目を正しいもの、特にキリストに向ける必要があります。さらに曲がった言葉や、ひねくれた言葉を口と唇から遠ざけます。加えて足をして悪から遠ざかります。

まっすぐに語り、まっすぐに見、まっすぐに歩む力は、神様との正しくある心からだけ出てきます。心が、御聖霊に満たされたなら、委ねられている耳、口、目、足を、心を尽くして神様を愛し、隣人を自分と同じように愛する為に、用いてゆきませんか。お祈り致します。




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