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2023.1.18箴言 5 章 1~23 節「祝されたプライバシー」

牧師 松矢龍造


キリスト教も聖書も、禁欲主義ではありません。しかし同時に、放縦主義でもありません。もともと創造主なる神様は、人を男と女に造られ、性的なことも含めて、祝福されています。創世記 1 章 27 節 28 節「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」

しかしその祝福は、一人の男性と一人の女性が、結婚した中での、二人だけのプライバシーに限られます。創世記 2 章 24 節「 こういうわけで、男(単数)は父母を離れて女(単数)と結ばれ、二人は一体となる。」

しかしアダムとイブが堕落した後に、性の交わりにおいても、人格的な破壊が起こりました。本来、性的交わりは、人格的な交わりです。ところが性を享楽することは、人格としての破滅となります。

不品行とは、結婚していない男女の性的な関係を表すことが多いです。また結婚している男女が、他の異性と関係を持つことは、姦淫と呼ばれることが多く、現代では不倫と言われます。モーセの十戒の中でも、禁じられている一つです。出エジプト記 20 章 14 節「姦淫してはならない。」

ここでの姦淫とは、結婚外の性のことであり、不品行と不倫の総称でもあります。

性的逸脱が起こる時、様々な弊害と繋がって行きます。一つ目に、知恵の追及を止めさせてしまいます。二つ目に、家庭生活を破壊してゆきます。三つ目に、人の価値を破壊してゆきます。四つ目に、病を引き起こします。五つ目に、望まない子どもが出来てしまいます。六つ目に、財産を失って行きます。七つ目に、地位を失って行きます。八つ目に、神様の律法に反して、裁かれます。九つ目に、悔い改める機会が失われてゆきます。最後に、最終的に悔い改めなれば、地獄で滅んで行きます。

3節「よその女の唇は蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだ。」「よその女」と訳された原文の言葉は、「外国の女」とも訳されます。そこから遊女、淫らな女、売春婦、悪女という意味合いともなります。しかし総称として、結婚外の全ての女性のことでしょう。

「唇は密を滴らせ、その口は油よりも滑らか」とは、姦淫の罠のことを意味しているでしょう。密は、誘惑の言葉が甘く、魅惑的であることを表しています。しかし伴侶以外と性的な関係を持つことは、裏切りであり、神様に対する不忠実を表す比喩としても使われます。

4 節「だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり、両刃の剣のように鋭くなる。」「苦よもぎ」とは、苦みが強く、黄色の花を咲かせる植物です。この苦よもぎが、象徴していることは、苦痛や苦難です。姦淫は、魅惑的に見えながら、実は苦痛と苦難に至ることが語られています。

5 節「彼女の足は死へ下って行き、一歩一歩と、陰府に達する。」陰府とは、死後、魂が行くとされる、暗い死者の世界のことです。姦淫は、魂が、一歩一歩、陰府に下ることであると言っています。

6 節「人生の道のりを計ろうともせず、自分の道から外れても、知ることもない。」姦淫は、知恵 の追及を止めさせ、やがて、罪であることにも、無感覚になってゆきます。こんな例があります。ある青年が、数十冊の、まじめな雑誌を持って来て、それを示して言うには、「わたしは上京し

た初め、学業の余暇に、このような読み物に親しんで、修養に励みました。

しかし二か月後に、「〇〇の女」という本を読むと、その中に、市中のある所に、奇異な一地域のあることが書かれているのを見て、好奇心にかられ、見物に出かけました。最初の一度は、無事に帰り、二度目は、あぶなく魔の手を脱しました。三度目に行った時には、とうとう、そのとりことなってしまいました。

そして四度、五度と度重なるにつれて、わたしは堕落してしまいました。今では、学問はすさみ、精神は腐敗して、肉体も、神経衰弱にかかり、自分で自分を持て余しています。私のような者は、もはや助かる見込みがないのでしょうか」と言うのでした。

9 節 10 節「あなたの栄えを他人に、長寿を残酷なものに渡してはならない。よその者が、あな たの力に飽き足りることを許すな。異邦人の家を、あなたが労した実りで満たしてはならない。」財産が、外国人の手に渡ることは、自分の信仰と生活を捨て、外国の偶像の神々への信仰と習慣 を取り入れることを象徴的に表しています。よその女と関わる者は、短命となり、財産を失い、自らの健康を損ない、神様の裁きが待っています。

11~14 節「さもなければ後になって、肉も筋も消耗し、あなたは呻き、言わなければならない。

『どうして、わたしの心は諭しを憎み、懲らしめをないがしろにしたのだろうか。教えてくれる人の声に聞き従わず、導いてくれる人の声に耳を向けなかった。会衆の中でも、共同体の中でも、わたしは最悪の者になりそうだ。』」

肉体的な健康が損なわれ、社会的な名誉と立場も失うことにもなってしまいます。それが姦淫の罪です。ムーディという方が、次のように言われていました。「淫行は、地獄の滅亡に至る、一番の近道である。」

そうならないために、先ず必要なことは、先ず第一に、誘惑されるところに、近づかずに、遠ざかることです。箴言 5 章 8 節「あなたの道を彼女から遠ざけよ。その門口に近寄るな。」

第二に、適当な時期に、適切な配偶者を持って、幸福な家庭を営むことが、望ましいです。15 節「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。」

ユダヤでは、花嫁や恋人は、水や泉に例えられました。雅歌 4 章 12~15 節「わたしの妹、花嫁 は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉。ほとりには、みごとな実を結ぶ、ざくろの森、ナルドやコフェルの花房、ナルドやサフラン、菖蒲やシナモン、乳香の木、ミルラやアロエ、さまざまな、すばらしい香り草。園の泉は、命の水を汲むところ、レバノンの山から流れて来る水を。」17 節「その水をあなただけのものにせよ。あなたのもとにいるよその者に渡すな。」ユダヤでは、水は貴重であり、井戸を掘って確保します。他の人の井戸から水を汲むことは、罪とされました。同じように、他人の配偶者と姦淫することは、他の井戸から水を汲むと同じく、罪とされました。18 節 19 節「あなたの水の源は祝福されよ。若いときからの妻に喜びを抱け。彼女は愛情深い雌鹿、優雅なかもしか。いつまでもその乳房によって満ち足り、常にその愛に酔うがよい。」

夫婦は、主にあって、お互い夢中になるまで、愛し合い、喜び楽しんでよいのです。主が許して、祝福されています。逆に、結婚生活が、つまらなくなると、他の場所で、興奮や楽しみを見出す為に、お互いから離れる誘惑が、夫にも妻にも多く訪れるようになります。

むしろ自分自身を、神様と配偶者に捧げることによって、配偶者と共に喜ぶことです。その喜びが、健全で、強い家庭の土台となります。それはまた、よその女、よその男に走らない為に必要なことです。

第三に、不品行や不倫の罪は、人目を忍んで犯されますが、主は、その全てを知っておられます。そのことを忘れてはならないということです。21 節「人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主は、すべて計っておられる。」

イエス様のところに、姦淫の現場で捕らえられた女性が連れてこられました。イエス様は、この女性に対して、「もう罪を犯してはならない」と言われました。しかしそこには男性がいませんでした。人の目には、男性は隠されていましたが、主は全てを御存じです。この男性は、神様が全てを知っておられことを認めて、悔い改めることが必要でしたのに、はたして、この男性は、主の憐れみと恵みに預かったでしょうか。

第四に、全ては、最後に裁かれることを忘れてはなりません。22 節 23 節「主に逆らう者は、自分の悪の罠にかかり、自分の罪の綱が彼を捕える。諭しを受け入れることもなく、重なる愚行に狂ったまま、死ぬであろう。」

不倫の罪を犯す者は、結局、自分で自分の首を絞めることになります。懲らしめられても、それを受け入れて、悔い改めなければ、過ちを犯したまま死に至ります。人生の最後に、貧しさ、病気、不安、独りぼっち、そして神の裁きが待っています。

第五に、男も女も、老人も若者も、主キリスト様に、自分の魂の見張り人となって頂くべきです。そしてキリストご自身の、神として、人としての、きよさを、分けていただくべきです。

自分は、大丈夫と思う人ほど、失敗します。私たちは、皆、誰でも弱さを持っています。金銭欲、名誉欲、異性の誘惑には、常に注意が必要です。私たちは、それぞれ弱さを自覚して、神様の愛と、きよさと、御聖霊の助けと力を追い求めることが必要です。

テモテへの手紙二 2 章 22 節「若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」加えてヘブライ人への手紙 13 章 4 節「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。」

神様に愛されている皆さん、私たちは、不品行と不道徳によって、わが身と霊魂とを、滅亡させてはなりません。そのためには、不断の警戒が必要であり、御聖霊様に祈って頼り、神様のきよさを、常に心の中に、求めてゆきませんか。お祈り致します。


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