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2023.1.29ヨハネによる福音書 16 章 25~33 節「主イエス様は既に悪の世に勝っている」

牧師 松矢龍造


聖書に出てきます「世」とは、三つの意味があります。一つは、創造主なる神様によって造られた世界、すなわち天と地と宇宙のことです。ヘブライ人への手紙 11 章 3 節「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」

二つ目に、この世に住んでいる人々のことです。ヨハネによる福音書 3 章 16 節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

そして三つ目に、悪魔の配下にある堕落した世界のことです。ヨハネの手紙一 5 章 19 節「わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。」

今日の御言葉で、イエス様が、既に「世に」勝っているといわれている「世」とは、三番面 の、悪魔の支配下にある堕落した世界のことです。父なる神様が、イエス様を、この世に遣わされた理由の一つは、悪魔とその働きを滅ぼすためでした。

ヨハネの手紙一 3 章 7 節 8 節「子たちよ、だれにも惑わされないようにしなさい。義を行う者は、御子と同じように、正しい人です。罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。」

悪魔は、神様と神の民に敵対する勢力の指導者です。主イエス様が、この世に来られたのは、罪と死、悪魔とその勢力に打ち勝ち、滅ぼす為でした。主イエス様は、既に十字架と復活によって、全ての罪と死、悪魔とその勢力に打ち勝っておられます。ですから、私たちの勝利は、このお方に、しっかりと結びついていることです。

ヨハネの手紙一 5 章4節 5 節「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」

それでは、ヨハネの福音書 16 章 25 節をもう一度「わたしは、これらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。」

ここで「たとえ」と訳されている言葉は、原文では「比喩」あるいは「ことわざ」という意味でもあります。ですから、「たとえとしてヴェールをかけた話」あるいは「譬えで真の意図を隠した表現」と受けとめることができます。

このたとえによって、覆いがかかっていたものが、もはや、たとえによらず、はっきりと父なる神様について知らせる時が来ます。それは、この後、ご聖霊の降臨に伴って、父なる神様についての教えが、明確さを増すことを示しています。

26 節「その日には、あなたがたは、わたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。」イエス様が地上におられた時は、イエス様が、弟子たちの願いを、とりなして、父なる神様に祈りました。

しかしご聖霊が下った現在は、罪なく独り十字架上で死んで復活された主イエス様の名によって、私たちが、直接、父なる神様に祈り願う時代となっています。ですから、主イエス様の名によって、すなわち主イエス様を信じる者なので、主イエス様の名によって、父なる神様に、私たちは、直接祈れる、新しい時代になっています。

27 節「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。」

イエス様の十字架と復活後、全ての信者は、父なる神様に、自ら親しく直接、話をする新約的な祭司とされています。そして父なる神様は、全てイエス様を信じる者たちを、直接、愛される時代となっています。

ヘブライ人への手紙 10 章 19~23 節「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司(キリスト)がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。」

続いて 28 節「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」ここには、主イエス様が、天の父なる神様のもとから地上に来られ、また天の父なる神様ものもとに行かれるという、栄光の主イエス様の、全ご生涯が要約されています。

しかも預言者ならば、「神のもとから出て」と言われますが、ここでは「父のもとから出て」となっております。主イエス様が、永遠の父なる神様の、永遠の御子であるからです。いわば、主イエス様と父なる神様の一体性が、示されています。

29~31 節「弟子たちは言った。『今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。』イエスはお答えになった。『今ようやく、信じるようになったのか。』」

弟子たちは、ようやくイエス様が、真に誰であるかを知ったのですが、これから起こるイエス様の苦難と死は、彼らの信仰と勇気を試すものとなります。

32 節「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。」

弟子たちは、最初、苦難の中にいるイエス様の元から逃げてゆきます。そのことは、既に旧約聖書に預言されていました。ゼカリヤ書 13 章 7 節「剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ、わたしの同僚であった男に立ち向かえと、万軍の主は言われる。羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ。」

弟子たちは、イエス様を見捨てて、散らされる失敗を通して、逆に真の望みを、神様に置くことが出来るようになってゆきます。主イエス様は、弟子たちの弱さをご存じでした。けれども、この上なく愛し抜かれるイエス様は、彼らの未熟な信仰の表明を受け入れられました。しかし私たちは、自分の言葉と生き方が、一致するように、弟子たち同様、成長してゆかなければなりません。

宗教改革者の一人ジョン・フスという方は、獄中にあって、この 32 節の聖句を暗しょうし、これを胸の奥に銘記しつつ、勇ましい殉教の死を遂げたと伝えられています。

イエス様は、弟子たちをはじめ、全ての人が、自分を捨てて、ひとりになられます。けれど、父なる神様が共にいてくださいます。ただこの後一時だけ、父なる神様に捨てられる時があります。それは、私たちの罪の為に、十字架上で、祈られ、死なれた時です。「わが神、わが神、なにゆえに私をお見捨てになるのですか。」その時だけは「父よ」と祈らず「わが神」となっていま す。

そして息を引き取られる時には、ふたたび、死後の復活のゆえに「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われています。けれど、私たちが、主に助けを求めるなら、全ての瞬間瞬間、父なる神様は、イエス様に故に、私たちと共にいて、私たちを支えてくださいます。

33 節「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

宗教改革者の一人マルチン・ルターは、この 33 節を引用して次のように言われています。「されば、我ら勝利者たるものが、被征服者たる世俗を、恐怖すべき理由がないではないか。」悪魔とその勢力に対して、恐れず、どのような場合においても、大胆に、勇猛に、この霊的な戦いを、闘うべきです。

ここで世では苦難があると訳されている「苦難」とは、原文では、圧迫、艱難、悩み、迫害という意味でもあります。他の聖書訳では、「患難、試練、困苦、挫折」と訳している聖書もあります。

あらゆる時代、あらゆる場所において、苦難に直面し、信仰の懐疑に悩まされている者がいる限り、イエス様のこの訣別説教は恒久的な意味を持ち続けています。たとえ、世から憎まれ、追跡され、迫害され、いわれのない罪に問われ、拷問にかけられる時ですら、平安を持つことが出来ます。

主イエス様は、カルバリの十字架において、世に打ち勝たれました。ですから、キリスト者は、どんな患難があっても、自分自身が、勝利者の側についていることを確信すればよいので

す。イエス様に既に、悪の世に勝利されているからです。「世に勝つ」勝利を得る。打ち勝つ。打ち負かす。征服する。凌駕する。それが、キリストの十字架と復活です。

使徒パウロは、この主イエス様にある勝利を、次のように告げています。コリントの信徒への手紙一 15 章 54~58 節「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』

死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

父なる神様に愛されている皆さん、キリストは、既に悪の世にうち勝たれています。御聖霊によって、この勝利を私たちのものとして、世に対して、雄々しく歩んでいきませんか。

お祈り致します。


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